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向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一【季語=飛蝗(秋)】


向いてゐる方へは飛べぬばつたかな)

抜井諒一


 なりたい自分の「なりたい」が職業や肩書きだとすると、現在の自分は子どもの頃になりたかった自分ではない。だが落胆はしていない。挫折した部分もあるが予想外の浮上もあったりして、プラスマイナスでいえばプラスなのである。

 すごくベタな話をすると、この人生だからこその出逢いがあって、一つ道を間違えていたらその人達と出逢えなかったであろうことを考えると、なりたかった自分になるよりも今この人生を生きることの方が大事なのである。

 なりたかった自分といっても当時は今の形を想像出来ていなかっただけで、やりたかったことは思った以上に出来ている。憧れの職業は複数あり、その中の一つに作家があった。しかしそれは文章を書く仕事として作家しか思いつかなかっただけのこと。作文は好きでも物語を作ることにあまり興味はなかった。

 それを思うと、このように連載を任せてもらえることは何よりの喜びだ。会社員としてもタイトルを考えて文章を書き、人に読んでもらえる機会を得ている。そして俳句を作るようになったことは大きなプラス要因だ。

 行きたい方に向かって歩いていたら見たこともない街に着いてしまった。でもこの街を目指していた気がする。そんな心境だ。今回の句はやたら人生とリンクしてしまった。

  向いてゐる方へは飛べぬばつたかな   抜井諒一

 飛蝗を見ていると、こっちに飛ぶのかなと思ったのとは違う方に進むことが確かにある。飛蝗は後ろ足の筋肉が太く、この筋力を使ってジャンプしながら羽ばたくので風の影響を受けることもあるだろう。また、例えばトノサマバッタなら体長の約20倍、約1メートルも飛ぶので、わずかなズレが大きく方向を変えてしまう。さらに、小さな体がそれだけの距離を飛ぶと、真っ直ぐ飛んでいるかどうか人間の目では判断しにくく、作者には飛蝗の望む方向へ飛べていないと感じられたのだ。

 あらぬ方へ飛んでいると思ってしまうもう一つの理由に飛び方もあるのではないだろうか。足をだらんと下げながら翅をばたばたさせる飛び方はスマートとはいえない。そのため、出来ているものも出来ていないように見えてしまう。「ばった」の仮名遣いも未熟な印象を強める。だが本当のところ、当の飛蝗は狙い通りに飛んでいるのかもしれない。

 「飛ばぬ」ではなく「飛べぬ」とすることで愛嬌ある一場面となり、人生の重ね甲斐がある一句となった。向いて「いない」方へは飛べると読んでも面白い。

筆者が飛蝗だったとすると、着地点は想像とずれているが目指す方向へは進み続けているといったところか。こんなことを素面で書いてしまう秋の夜なのである。

 『金色』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


抜井諒一さんの句集『金色』(角川書店)はこちらから↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人
>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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