ハイクノミカタ

蛍火や飯盛女飯を盛る 山口青邨【季語=蛍火(夏)】


蛍火や飯盛女飯を盛る

山口青邨
(『雑草園』)

飯盛女とは、街道の宿場の旅籠屋で宿泊客の給仕をする女性のことである。客に飯を盛ることから飯盛女と呼ばれ、客の床の相手もするようになった。遊郭の遊女よりも安く、面倒な駆け引きもせずに床入りできるため人気を集めた。

江戸時代は、日光詣や参勤交代などで街道の宿場が賑わった。江戸初期の旅籠屋は、客から芸者や娼婦の要請があれば、贔屓の置屋に連絡をして呼び出していた。やがて商売競争の激化による経済難を打破するため、飯盛女に客をとらせるようになった。世の乱れや不景気なども重なり、男達は、給仕をしてくれる手頃な女に癒されるようになったのだろう。当初は素朴な飯盛女が流行ったが、江戸に近い宿場町では、遊女のような華やかさを見せた。多くの飯盛女を囲う旅籠屋は、遊郭と変わらない様相となった。特に、江戸四宿と呼ばれる、東海道の品川、甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋、日光・奥州街道の千住は、旅人よりも江戸から通う客で賑わい、顔見せも行われていた。

ただ、江戸から遠い宿場町では、給仕のみをして床の相手をしない飯盛女も存在した。気に入れば直接値段交渉をする。最初から床入りできる飯盛女を頼む客もいた。遊郭と異なるのは、値段もそうだが一見の客が多いことである。ひと夜だけの関係だ。現在も、飯盛女で栄えた宿場町には、風俗店が立ち並ぶ。

府中宿と藤沢宿には、飯盛女の墓があるが、通常は投げ込み寺に捨てられ無縁仏になる。遊女のように身売りされて年季奉公する場合が多く、みな貧困家庭の妻や娘たちであった。客に気に入られ、身請けされる場合もある。遊女が公的に認められた公娼であるのに対し、飯盛女は、旅籠屋の奉公人であり私娼である。江戸から離れるほど、待遇は悪くなり、幕府の取り締まりなどの影響も受けて地味な装いであったとされる。芸事や教養のレベルは低く、素人に近かった。

明治に入り、芸娼妓解放令により飯盛女は、実家に戻されることになる。実際には、前借金の返済のため、自由意志で残ることが余儀なくされた。また、参勤交代の廃止や鉄道の開通により旅籠屋の多くが廃業になった。娼館に売られた飯盛女は、旅籠の奉公人から売春婦に身を落とすことになる。飯盛女という言葉は消えたが、生き残った旅籠屋や旅館では、しばらくの間、仲居に客を取らせる風習があったという。昭和33年の売春禁止法により宿主の斡旋による売春はなくなったとされる。

蛍火や飯盛女飯を盛る
山口青邨

作者は、明治25年、岩手県の士族の家に生まれた。東京帝国大学工科大学採鉱科を卒業し古河鉱業に入社した。2年後には退社し、農商務省技師として鉱山省に勤務。シベリア炭鉱の調査を経て東京大学工学部教授となる。鉱山学者である一方、文学にも興味を持ち、30歳の頃、高浜虚子に師事。同門の水原秋桜子、山口誓子、富安風生、高野素十らと東大俳句会を結成。「ホトトギス」の同人として活躍しつつ「夏草」を創刊し、選者を経て主宰となる。多くの俳人を育てた。東京大学構内には〈銀杏散るまつただ中に法科あり 青邨〉の句碑が残る。

掲句は、出張か帰省かあるいは旅行の途中で旅籠屋に泊まったのだろう。時代的に飯盛女はいないので、給仕をしてくれた仲居を見て詠んだと思われる。老舗の旅籠屋への挨拶として詠んだ句と理解している。

かつて飯盛女で栄えた宿には、美しい仲居がいて飯を盛ってくれた。外では、蛍が舞っている。求愛のための蛍の火は旅の夜に情趣を与え、飯を盛る女の仕草も艶めいて見えた。江戸時代の侍であったら、食事の世話を焼く女との一夜を想い胸が高鳴ったことであろう。真っ白に盛られた飯が柔らかな女体を想像させる。だが、目の前の仲居は給仕に専念していた。文字通りの飯を盛るだけの女なのだ。今日も明日もひたすら、人の飯を盛り続ける。ふと妻のことを考えた。30歳で娶った妻もまた毎日飯を盛ってくれる。母親もそうであった。飯を盛られただけで男は目の前の女に安心感を覚える。だから飯盛女は、客を呼べるようになったのだ。仲居に惹かれたのは一瞬のこと。蛍の火が消える頃には、そんな気分も失せていた。飯盛女はもう存在しないのだから。

飯盛女の名残ではないが、旅館の仲居と客との恋の話は聞いたことがある。とある80歳の男性は今から45年程前、仕事の関係で週に一度、東北の温泉地に出張していたという。当時は好景気であったため、老舗の旅館に宿泊していた。男性の一人客にしては広い部屋に、担当の仲居がつき、手の込んだ料理が並べられる。最初の頃は、土地の話などをしていた仲居も通ううちに打ち解けてきて身の上話もするようになった。高校卒業後、家を出たくて住み込み可能な旅館で働きだしたことや酒屋の息子に見初められ結婚したこと、嫁ぎ先の家風が合わず離婚したことなど。仲居は二つ年下の33歳だったが、ふっくらとした頬が若く映った。ある時、「ここから少し歩いたところに蛍の飛ぶ沢があるのですが、食事が終わったら見に行きませんか」と誘われた。散歩をするにはちょうど良い夜風が吹いていた。沢に出るとすでに何匹もの蛍が舞っていた。「きれいだね」と自然に彼女の手を握った。すると彼女が耳元で囁いた。「今日、美味しい地酒を買ってきたの。後で部屋にお持ちしますね」と。

それからは、宿泊するたびに夜を共にした。やがて東北での仕事が一段落し最後の出張の夜となった。「これからも月に一度は逢いにくるから」「男の人は次の仕事が始まれば、そっちに夢中になってしまうでしょ。私のことは時々想い出してくれればいいから」。彼女の予想通り、逢うためだけに東北まで足を運ぶのは難しかった。それでも何とか仕事の用事を取り付けて宿に泊まった時には半年が過ぎていた。彼女はもういなかった。ベテランの仲居の話によると仙台の実業家が店を持たせてくれることになり、ひと月前に出て行ったとのこと。「実業家とは5年程続いていたかしら。ようやくという感じではあったけど、所詮愛人でしょ。他にも良い話が沢山あったのに」。まさか他にも恋人がいたとは。

そういう男性もまた家庭があったから、半分は本気で半分は行きずりであったという。昭和の小説や歌謡曲のような話だが、旅館の仲居と客との恋は存在するのだ。ひと夜の夢を売り物にしていた飯盛女にも恋はあったのだろう。東北の沢に蛍が舞うのは7月の初めの頃。源氏蛍と平家蛍が同時に行き交う。80歳の男性が今も若々しい眼差しで語る儚い恋。それが美しさを帯びるのは蛍のせいであろう。蛍から始まった恋は蛍のように消えてしまった。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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