ハイクノミカタ

卒業す片恋少女鮮烈に 加藤楸邨【季語=卒業(春)】


卒業す片恋少女鮮烈に

加藤楸邨
(『吹越』)

春の別れ、それは卒業式。憧れの先輩も同級生もみな新しい生活へと旅立ってゆく。もう、一緒に机を並べることもなければ、校舎ですれ違うこともない。だから、最後に渾身の想いを込めて愛を告げる。「ありがとう」で終わることもあれば、連絡先を交換し恋に発展することもある。一縷の期待を込めて告げる「好きです」という言葉にどれほどの勇気と重さがあるか、告げられた方は知る由もない。

卒業の恋を語る歌謡曲は、時代によって変化している。私が小学生の頃は、柏原芳恵の「春なのに」や斉藤由貴の「卒業」が流行った。第二ボタンや机に彫るイニシャルなど、現代の若者に理解できるのだろうか。尾崎豊の「卒業」にいたっては、放課後にピンボールのスコアを競ったり、校舎の窓ガラスを割ったりする高校生活が描かれている。体験はなくとも思春期のあがきは伝わってくる。恋も生活も大人の支配下にあった時代からの卒業なのだ。そして人生には、幾度もの卒業がある。

松任谷由実やDREAMS COME TRUEの卒業をテーマにした曲も根強い人気がある。恋仲にあった男子へ卒業後の想いを歌う。一緒に駆け抜けた青春を翼にして未来へ羽ばたかせるような歌詞は、学生という時間がいかに貴重であったかを思い知らされる。何も知らないからこそ強く、無邪気に恋を謳歌した。学生時代の恋は、辛いことや悲しいことも、希望に変えた。恋が全てだった時代は、誰しもあるものだ。

卒業式の日の「第二ボタン」とは、学ランの上から二つ目のボタンのこと。男子から好きな女子に渡したり、女子が好きな男子に貰いに行ったり。恋の想いを示す習わしである。何故、第二ボタンなのかについては諸説あるが、心臓に近い部分であるからという説が有力だ。元々は、戦時中に学徒出陣する男子が、再び逢うことを約束する形見として女子に渡したのが最初と言われている。とある校長先生がそのエピソードを語ったことにより、全国に広まった。昭和の歌謡曲や漫画によりさらに拡散した。日本には古来より、恋人同士が衣の一部を交換することで、相手を想い合う風習があった。

学舎の机に好きな人の名前やイニシャルを彫るのもまた、名前の呪力の名残である。古代日本では、自身の本名は親族しか知らなかった。本名とは、自身の魂の名であり、他人に知られると、操られてしまうと考えられていた。親族になっても良いと思う異性には、秘かに明かし、その名で呼び合う。2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、龍雲丸が「本名を知りたい」と告げ、直虎が「おとわ」と答え、接吻を交す場面が話題となった。現代でも普段は役職名や苗字で呼ぶが、親しくなると下の名前で呼び合う。好きな相手の名を自身の使っていた机に彫るのは、恋をした証となる。ひと昔前の机は木造のため、コンパスの針などを用いれば彫れたのである。イニシャルが流行ったのは、秘密の暗号のような気持ちになれるからだろう。あなただけには、気付いて欲しいという想いだ。

中学校でも高校でも、積極的なのは女子の方である。卒業式は、バレンタインデーと同じく、その日だけは、女子から告白してもよい日なのである。最後だからというのもあるし、恋をした記念に相手の触れた何かを貰いたいのだ。野球部のエースは、サイン入りのボールを20個配ったという伝説もある。でも誰とも恋仲にならなかったとか。

私の従妹は、卒業式の日に勇気を出して同級生に告白。第二ボタンは貰うのだが「今は、東京に行くことで頭がいっぱいなので交際はできないけど、ありがとう」と言われた。数年後、地元の豪農の息子と結婚する際も、第二ボタンを卒業証書とともに小箱に入れ嫁いで行った。40歳の同窓会で再会した時には「俺、恋とかと無縁だったから、ちょっと怖かったんだ。あれが人生の最初で最後の告白された体験なんだよね。ずっと気になってはいたんだけど、いまだに奥手でさ」と言われたらしい。すらりとした寡黙の文学少年は、多弁のおっさんになっており、幻滅したという後日談がある。

 私は、卒業式に告白をしたことはない。だから、卒業式に告白する女子や男子が羨ましかった。ひとつだけ想い出があるとすれば、卒業アルバムのコメント欄で告白されたことである。相手は、詩を編む少年。私もポエムな乙女であったため、授業中にノートの隅に書き込んだ甘い詩を見せ合った。卒業式の日に話をした記憶はあるのだが、進路のことだったと思う。卒業式の数日後に郵送されてきた卒業アルバムを開くと、その少年詩人のコメント欄には〈一枚のクラス写真のなかに、生涯で一番愛した女の顔がある。その人のイニシャルはH.S。〉と記されていた。クラスメイトでH.Sのイニシャルを持つ女子は、私だけ。同級生から「これって、あなたのことだよね。どうするの、どうするの?」と、問い合わせの電話が殺到。別れた恋人への未練を引きずっていた私には、遥か遠くの出来事のように思えた。東京で暮らし始めた頃に電話があり「逢いたい」と言われたが、恋愛対象ではなかったため断った。本当は、ずっと前から彼の気持ちに気付いていた。一途な眼差しが怖かった。

卒業す片恋少女鮮烈に   加藤楸邨

作者の加藤楸邨は、鉄道員であった父の転勤に伴い幼い頃から各地を転々としていた。16歳の頃、石川啄木や斎藤茂吉に憧れ短歌を詠み始める。家の貧窮により大学進学を諦め、石川県の小学校の代用教員となる。その後も、家や仕事の事情で転々としつつも学問を深めた。24歳、結婚を機に埼玉県春日部にて教員となる。村上鬼城の弟子であった同僚の誘いで俳句を詠み始める。水原秋桜子との出会い契機に『馬酔木』に入会。28歳の時である。すぐに頭角を現し、秋桜子の勧めにより念願の大学へ進学。石田波郷とともに『馬酔木』の編集に携わる。34歳、第一句集『寒雷』を出版。俳句総合誌『俳句研究』の座談会にて石田波郷、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれるようになる。大学卒業後に「寒雷」を創刊し主宰。戦時中は、歌人の土屋文明と中国報道部の嘱託となる。戦乱を経て、「寒雷」を復刊し、大学の教授を勤めながら弟子の育成に励んだ。1993年、享年88歳で死去。主宰誌「寒雷」では多くの有力俳人を育て、俳壇に多大なる影響を与えた。いわゆる「楸邨山脈」である。

掲句は、40代の頃の句で、教員時代の回想と思われる。当時の女性は奥ゆかしくあらねばならない一方で、恋愛に対して積極的なモダンガールもいた。男性から見初められるのを待つのではなく、自分から男性を選ぶ時代になったのだ。卒業式の日の少女の熱い眼差しは鮮烈で、怖いほどの美しさがあったのだろう。蝶が蛹を脱ぐように、恋を知った少女が鮮やかな羽を得た瞬間を捉えた一句である。

教え子から告白されたのか、あるいは同級生に詰め寄る少女を目撃したのか、それは分からない。教員男性の話によれば、卒業式の日に思わぬ生徒から告白されることは、よくあるとのこと。

真面目な学級委員であった女子生徒は、同じく学級委員であった男子と仲が良かった。男子生徒からは、学級委員女子への恋愛相談も受けていた。卒業式の1週間前に開催された「卒業生を送る会」を無事に済ませた後、二人を食事に連れて行った。地元の大学へ進学が決まっている二人は、自動車教習所も一緒らしく「免許を取ったら海までドライブをしよう」などと話し合っていたという。「先生の車で練習させてあげよう。邪魔かもしれないけど、二人だけは危ないよ」と言ってしまった。卒業式の日、学級委員女子が駆け寄ってきて「先生、私と二人だけでドライブしませんか」と囁いた。薄い化粧を施した女子生徒の唇にドキリとした。「今まで見せていた、あの熱く潤んだ眼差しは、学級委員男子に向けていたのではなく、俺?俺なの?」。きっちりと編み込んでいた髪を解き始めたのは、文化祭の頃。可愛いなと感じたことはある。胸元のリボンの結び方をゆるくしたのは、学級委員男子へのアピールかと微笑ましく思っていた。その男子に「卒業式の日に第二ボタンを渡して告白しろ」とけしかけたのも俺。いや、もしかしたらデートの練習かもしれない。「アイツと行けよ。運動神経も良いから車の運転も、きっと大丈夫だ」と答えた。「アイツは子供だもん。私は、私は先生だけを見てきたの。もっと、もっと素敵な大人になったら、もう一度逢いに来るから。待っててね」。少女は走り去った。その夜、男子生徒から「好きな人がいるからと振られました」との報告があった。2年後の成人式の日には、ドキドキしながら参列した。あの時の少女は、驚くほど美人になっていて「私、今、助教授と付き合っているの」と言った。先生と呼ばれる人に憧れる時期は、女性にはあるものだ。分かってはいるのだが、勿体ないことをしたと思ったらしい。教員男性は、告白された瞬間にその少女へ恋をしたのだ。理性の強い私の友人だが、美しい想い出として心の奥に仕舞っておくべきだ。少女にとって、先生への恋は通過点でしかないのだから。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔132〕誰をおもひかくもやさしき雛の眉 加藤三七子
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>>〔130〕鳥の恋いま白髪となる途中 鳥居真里子
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