ハイクノミカタ

冬河原のつぴきならぬ恋ならめ 行方克巳【季語=冬河原(冬)】


冬河原のつぴきならぬ恋ならめ

行方克巳
(『昆虫記』)

 冬の河原とは、意外と人が歩いているものである。夏のような賑やかさは無いものの、必ず誰かしらとすれ違う。冬の河原で異性と二人きりになって何かしようとしても、草木の枯れた水辺は、がらんとしていて逆に目立ってしまう。

 夫と鄙びた温泉に行ったときのことである。寒中の宿は、私たちともう一組だけであった。広々とした夕食の座敷では、どうしても相客が気になった。湯上りの浴衣姿でビールを飲みながら、句帳を開き俳句を練っている我々夫婦も相当不思議なカップルに見えたことであろう。相客はというと、男性は40代ほどできっちりとスーツを着込んでおり、女性の方は、フード付きのニットのワンピースというラフな格好で20代半ばに見えた。始終無言で食事をしていた。気まずい空気もまた俳句のネタになる。私たちも無言で句帳に文字を書き散らした。部屋に戻り、私が「あのカップルは、訳ありだよね。男性の出張に有休を取って付いてきた若い愛人かしら」というと夫は「君の発想はいつも三流小説の域を出ないな。あの二人は、実は曾祖父と曾孫の関係で女性は、これから起こる事件を阻止するために未来からやって来たんだよ」と言いだす。「そのネタも類想があって、まだまだね。女性はやんごとなき人の末裔で、男性は前世において結ばれなかった人の生まれ変わりなのよ」「少女漫画のほうがまだ面白い。男性は、実は火星人で・・・」などと、妄想話は夜明けまで続いた。

 翌朝、チェックアウトした後に河原を歩いた。温泉と川しかない土地だ。冬の透き通った水辺には魚の影すらない。石を拾ったり投げたりしていると対岸に例のカップルが降りてきた。昨夜と同じ服で、旅行鞄も持っていなかった。二人は、民家のない上流の方へ歩いてゆく。私たちも後を追うともなく、川を遡った。すると二人は何やら口論を始めた。どちらかというと、女性の方が感情的に高い声をあげており、男性は頷いているだけであった。やがて男性が女性を抱き寄せた。女性は泣いているように見えた。

 バスの時間になったため引き上げたが、我々の妄想はさらに膨らんだ。滝を見たり、近くの温泉街を散策したりして、ローカル線に乗り込んだのは夕方の頃である。車両には、宿を同じくしたスーツ姿の男性が一人だけ乗っていた。女性とは、はぐれたのか、別々に帰ることになったのか。どんな妄想も現実には敵わないのだろうなと思いつつ、秘境の温泉地を後にした。

冬河原のつぴきならぬ恋ならめ 行方克巳

 作者は、十代の頃より作句を始め、大学では慶應義塾大学俳句研究会に所属。清崎敏郎氏に師事した。同門の西村和子氏と共に「知音」を創刊し主宰。虹色に染めた頭髪で30年間教員を勤めた。

 数年前、長野県小諸市で開催された俳句祭で行方克巳氏と吟行をご一緒したことがある。道中のバスの中で、「行方先生の虹色の髪の毛は目立って良いですね。私も迷子にならずに済みそうです」と言って笑い合った。ところが、千曲川の河原に降りると行方氏の頭髪は川面の光りや背景の山々に同化してしまった。確かに、七色の頭髪は、建物の中では目立つものの、どこか落ち着いた風情があった。自然界の色だったことに気が付いた。

 そんな作者なので、冬の河原でも恋する二人に気付かれることなく一部始終をご覧になっていたのだろう。人の恋愛模様ほど面白いものはない。〈のつぴきならぬ恋〉とは、どのような恋なのだろうか。後にも先にも引けない恋。場所は冬の河原である。心中するほどではないが、切羽詰まった雰囲気であったのだ。男性視点の句ということを考慮すると、女性が泣き叫んでいて、自分まで追い詰められたような気持ちになったのかもしれない。

 三流小説の発想しかない私には、不倫の恋の果てとしか妄想が追い付かない。ただ、ぼんやりと友人の恋のことを思い出した。友人のサチさんは「君のためなら川に飛び込んでもいい」と言った男性が、本当に靴を濡らして川に入っていったことに心を打たれて恋仲となった。数年の交際の後に、想い出の河原で結婚を匂わせると「どうしようね。まだ全然じゃない」と言う。「将来的に、いつならいいの」と迫ると「いや、全然」。「私のことまだ好き?」「それは全然」「じゃあ、川に飛び込んでよ」。男性は、冷たい冬の川に爪先ほども近づくことはなかった。サチさんは、泣きながら帰ったという。私は、「そんな男は、河原に押し倒して川に投げ込んでしまえばよかったのに」とは言ったものの、多分しない。

 冬の河原は、静かで好きだ。どこまでも澄み切った川の淵に、飛び込んでみたいけれど飛び込めない、そんな憧れがある。何もない冬の河原で恋人と口論をしたこともない。〈のつぴきならぬ恋〉はしてきたのかもしれないが、いつもどこかで諦めていた気がする。温泉地の河原で見かけた謎の二人もサチさんの恋も今となっては、少々羨ましい。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔125〕忽然と昭和をはりぬ夕霧忌 森竹須美子
>>〔124〕恋にしてわざと敗けたるかるた哉 羅蘇山人
>>〔123〕クリスマス「君と結婚していたら」 堀井春一郎
>>〔122〕毛糸玉秘密を芯に巻かれけり 小澤克己
>>〔121〕恋の刻急げ アリスの兎もぐもぐもぐ 中村憲子
>>〔120〕デモすすむ恋人たちは落葉に佇ち 宮坂静生
>>〔119〕美しき時雨の虹に人を待つ 森田愛子
>>〔118〕弟へ恋と湯婆ゆづります 攝津幸彦
>>〔117〕にんじんサラダわたし奥様ぢやないぞ 小川楓子
>>〔116〕山椒の実噛み愛憎の身の細り 清水径子
>>〔115〕恋ふたつ レモンはうまく切れません 松本恭子
>>〔114〕あきざくら咽喉に穴あく情死かな 宇多喜代子
>>〔113〕赤い月にんげんしろき足そらす 富澤赤黄男
>>〔112〕泥棒の恋や月より吊る洋燈 大屋達治
>>〔111〕耳飾るをとこのしなや西鶴忌 山上樹実雄
>>〔110〕昼の虫手紙はみんな恋に似て 細川加賀
>>〔109〕朝貌や惚れた女も二三日 夏目漱石
>>〔108〕秋茄子の漬け色不倫めけるかな 岸田稚魚
>>〔107〕中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
>>〔106〕太る妻よ派手な夏着は捨てちまへ ねじめ正也
>>〔105〕冷房とまる高階純愛の男女残し 金子兜太
>>〔104〕白衣とて胸に少しの香水を   坊城中子
>>〔103〕きつかけはハンカチ借りしだけのこと 須佐薫子
>>〔102〕わが恋人涼しチョークの粉がこぼれ 友岡子郷
>>〔101〕姦通よ夏木のそよぐ夕まぐれ  宇多喜代子
>>〔100〕水喧嘩恋のもつれも加はりて   相島虚吼

>>〔99〕キャベツに刃花嫁衣裳は一度きり 山田径子
>>〔98〕さよならと梅雨の車窓に指で書く 長谷川素逝
>>〔97〕夏帯にほのかな浮気心かな    吉屋信子
>>〔96〕虎の尾を一本持つて恋人来    小林貴子
>>〔95〕マグダラのマリア恋しや芥子の花 有馬朗人
>>〔94〕五十なほ待つ心あり髪洗ふ    大石悦子
>>〔93〕青い薔薇わたくし恋のペシミスト 高澤晶子
>>〔92〕恋終りアスパラガスの青すぎる 神保千恵子
>>〔91〕春の雁うすうす果てし旅の恋   小林康治
>>〔90〕恋の神えやみの神や鎮花祭    松瀬青々
>>〔89〕妻が言へり杏咲き満ち恋したしと 草間時彦
>>〔88〕四月馬鹿ならず子に恋告げらるる 山田弘子
>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花  芳村うつぎ
>>〔86〕恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典
>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり  谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし      安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係  山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む  京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目   森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ    正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 永遠とポップコーンと冬銀河 神野紗希【季語=冬銀河(冬)】
  2. 雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武【季語=雪虫(春)】 
  3. 背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男【季語=ちちろ鳴…
  4. タワーマンションのロック四重や鳥雲に 鶴見澄子【季語=鳥雲に(春…
  5. 遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩【季語=遠足(春)】
  6. 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規【季語=柿(秋)】
  7. 海市あり別れて匂ふ男あり 秦夕美【季語=海市(春)】
  8. 銀漢を荒野のごとく見はるかす 堀本裕樹【季語=銀漢(秋)】

おすすめ記事

  1. 「体育+俳句」【第1回】菊田一平+野球
  2. 腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治【季語=かき氷(夏)】
  3. 【春の季語】春の野
  4. 【春の季語】春の灯
  5. 梅漬けてあかき妻の手夜は愛す 能村登四郎【季語=梅漬ける(夏)】
  6. 葱白く洗ひたてたるさむさ哉 芭蕉【季語=葱(冬)】
  7. 夏山に勅封の大扉あり 宇佐美魚目【季語=夏山(夏)】
  8. 【春の季語】浜下り
  9. 【冬の季語】蓮根掘
  10. 個室のやうな明るさの冬来る 廣瀬直人【季語=冬来る(冬)】

Pickup記事

  1. 神保町に銀漢亭があったころ【第126回】坪井研治
  2. 海に出て綿菓子買えるところなし 大高翔
  3. 名ばかりの垣雲雀野を隔てたり 橋閒石【季語=雲雀野(春)】
  4. 羅や人悲します恋をして鈴木真砂女【季語=羅(夏)】
  5. 滝落したり落したり落したり 清崎敏郎【季語=滝(夏)】
  6. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2023年3月分】
  7. 【夏の季語】【秋の季語?】ピーマン
  8. 【冬の季語】枇杷の花
  9. 【夏の季語】和蘭陀獅子頭
  10. 初鰹黒潮を来し尾の緊まり 今瀬一博【季語=初鰹(夏)】
PAGE TOP