ハイクノミカタ

山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子【季語=山茶花(冬)】

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山茶花のくれなゐひとに訪はれずに

橋本多佳子
(『信濃』)

 小野小町が〈花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに〉と詠んだのは平安時代初期の頃。長雨により色褪せてゆく桜の花に自分自身を重ね合わせ、物思いに耽るうちに容色が衰えてしまったことを歎く。当時は、通い婚であるため、女性は男性の訪れをひたすら待つ。訪れた男性の目を楽しませるため、庭には季節の花が植えられている。春になれば「桜の花が咲いたから見に来て下さい」と誘い、秋になれば「庭の紅葉が散る前に来て下さい」と誘う。だが、男性の訪れがなければ花も紅葉も散ってゆく。草木の最も美しい時に一緒にいられない淋しさは、夜ごとに着飾って男性を待つ空しさでもある。

 逢えない恋というのは、現在でも沢山存在する。あるとき、半年間限定の仕事をしたことがある。仲良くなった女性は、ネイルアーティストだが給料が安いという理由でネイルサロンを退職したばかり。友人の紹介で知り合った男性に猛烈アタック中だというから、昼休みは、恋の話で盛り上がった。彼女は、白い横顔に垂れる長い黒髪がセクシー。豊満な体を締め付けるタイトなスーツもまた彼女の肉体美を強調する。平安時代の貴公子が卒倒しそうな容姿だ。意中の男性とは、紆余曲折のすえに交際する。ところが、彼は仕事が忙しくて2週間に1度しか逢えない。メールの返信は、3日に1回あれば良い方。返信の内容も質問の答えになっていない。「愛されていないのかも」と悩む彼女に「彼はきっと忙しいのよ」と何度も励ました。

 彼女が彼に告白したのは、地元では山茶花坂と呼ばれる飲み屋街の外れにある小道であった。ネイルアーティストである彼女が光沢のある山茶花の花びらを拾い「こんな色出せたらいいな」と言ったら彼は「夢を持っている君が羨ましい」と答えたという。山茶花の散り敷く路上での愛の告白。二人の間では、山茶花がキーワードとなった。

 山茶花は、11月の初めより咲き初め、年を越して2月まで咲き続ける。木枯や雪を乗り越え、見頃の時期は何回もある。山茶花が好きになった彼女は、山茶花の名所を調べ、何度もデートに誘うのだが、なかなか逢えない。山茶花が椿に変わる頃、「仕事で失敗が続き、誰にも逢いたくない」という理由で振られてしまう。ただ逢いたいという気持ちだけでメールをし続け、彼の安らぎになれなかったことを彼女は悔やんだ。決して愛されていなかったわけでは無いと思いたいのだが。逢ってくれない、返信もくれない彼の気持ちは私にも分からない。彼はきっと最高の自分を彼女に見せたかったのであろう。仕事に疲れ果てて、上司に怒鳴られて落ち込んでいる惨めな姿は、誰だって見られたくないものだ。彼女は何も悪くない。

  山茶花のくれなゐひとに訪われずに  橋本多佳子

 山茶花は、椿の交配種で枯色の季節に赤や白の花を咲かせる。江戸時代から愛でられるようになった。庭や垣根に植え、咲くときも散るときも賑やかな色合いを楽しむ。童謡の『たきび』のように冬の風物であり庶民的な一面もある。俳句では、山茶花といえば赤いイメージが強いため、白い山茶花は「白山茶花」と詠む。

 当該句は恋の句ではない。作者の橋本多佳子は、東京生まれだが建築家の夫とともに福岡県小倉市にて櫓山荘を建築し住まう。そこを訪れた高浜虚子との交流を経て句作を始める。地元俳人であった杉田久女により手ほどきを受けた。のちに山口誓子に師事し、最終的には水原秋桜子が主宰する「馬酔木」の同人となる。38歳の時に夫が死去。夫の死後は、疎開地の奈良にて暮らす。作句当時は、俳壇のスターであったが友人知人も居ない土地では、訪れる人も少なかったのだろう。

 山茶花が〈くれなゐ〉なのは当たり前の描写だ。だが〈ひとに訪われずに〉で物語が生まれる。〈ひと〉を恋人として捉えると山茶花の〈くれなゐ〉も女の情念のように思えてくる。女性の微妙な心情を巧みに表現する作者は、夫の死後も恋を思わせる句を詠み読者を魅了した。

 「淋しい」とも「恋しい」とも語らない当該句。本来は冬を彩る鮮やかな山茶花。人目を惹きつける山茶花が〈ひと〉から遠ざけられていることに意外性がある。燃え盛る想いを山茶花の〈くれなゐ〉に託しているところも見事。山茶花と恋の取り合わせは、現在では常套的なのだが、作句当時としては、多くを語らず淡々と表現したところが評価されたのではないだろうか。

 女性には、晴れの舞台がいくつかある。その日は、人生で一番美しい自分を演じる。それは、初デートの日でも良いだろう。恋が実ったあとも、逢えるかどうか分からない恋人のために精一杯装う。花盛りの自分に逢いに来てくれない恋人は恨めしい限りだ。女性の淋しき恋は、艶めくまま散ってゆくのである。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
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>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
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>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
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