ハイクノミカタ

木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘【季語=木犀(秋)】

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木犀や同棲二年目の畳

髙柳克弘
(『未踏』)


 「神田川」という歌は私が生まれる前にヒットした曲である。若き男女がつつましく暮らす三畳一間の下宿からは、神田川が見える。しかも風呂なし。私が東京でひとり暮らしを始めた頃は、六畳一間の洋室が流行っていた。玄関から入ると右手にユニットバスがあり、キッチンから広がる居間は、床で覆われ、ベッドや衣装ケース、テーブルを置くことができる。一方で、畳のある和室の方が広くて安く住めた。田舎から上京し、安いという理由で住むことになったワンルームの畳部屋は、闇深い箪笥が魅力であった。故郷から送られてきた蒲団も、東京で買い漁った服や本なども全部収まる。玄関の側にあるキッチンは、居間との間に引き戸があり、秋刀魚を焼いても煙が充満しない。畳部屋は、風通しが良く保温も効くため、夏は涼しく冬は暖かい。畳は、日本人の発明した最高の住居技術である。

 大学時代、恋仲となったサークルの先輩と半同棲生活をした。お互い田舎の出身でひとり暮らしをしていたが、片時も離れたくない若き日の寂しさもあり、生活を共にした。母から伝授された煮物や味噌汁を毎日一生懸命作った。都会にて洋食の味を覚え始めた彼には、田舎の重たさを感じる味だったのだろう。何もかも許し合い、愛し愛されたいという願望は、双方の負担となり一年足らずで別れた。

 次男として生まれた彼は、優等生の兄に卑屈な気持ちを抱いていた。私もまた、田舎では才女と言われた姉から傷つけられた過去を持つ。傷を舐め合いつつも、東京にて華を咲かせたいと思う自尊心と消すことのできない劣等感にさいなまれる男女の恋が上手くゆくはずはない。どちらかが評価されれば嫉み、批判し傷つけ合う存在でしかなくなっていった。彼の心の傷を癒やせるような大きな度量を持っていたら別れることはなかったのだが、あの頃の私は、自分の夢を追うことに必死だった。一緒にいながらも同じ夢を描けない孤独を知った恋であった。

  木犀や同棲二年目の畳   髙柳克弘

 一年以上も同棲しているのだから、このまま死ぬまで一緒に暮らし、子孫を残す未来を想定しても不思議はない。〈どの樹にも告げずきさらぎ婚約す 高柳克弘〉二人の描く夢の先には、結婚があった。若き日は感情に溢れている。恋も大事だが、それ以上に友情や野心も捨てられない。街を歩けば、刺激と誘惑が交互に襲ってくる。毎日のように自分に降りかかる欲望と葛藤、焦燥と苛立ちを受け止めてくれるパートナーとは、そうそう出逢えるものではない。二年目も変わらず一緒に暮らそうと思わせた同棲者は、余程気の合う人か忍耐強い人かのどちらかであろう。きっと、二人の夢が叶った時に婚姻届けを出す予定だったのだ。

 畳は、一緒に暮らし始めた時は、青臭い匂いを発していたが、二年目ともなれば、陽や風に晒され、毛羽だった黄色い畳となる。大きな夢を抱いて暮らす都会の片隅の部屋。一筋の青さを残す愛の住処は、日々の生計に追われゴミも出る。同棲者の狂おしい嫉妬に、肉親以上の重い愛情を感じることもあったであろう。愛の鎖が自分を締め付ける。だが、若き日の二年目となる恋は、甘き安らぎでもあった。

 あるとき、ラーメン屋でラジオが流れていた。新宿のオフィス街にある小さなラーメン屋は、年老いた兄弟が昔ながらの味を残している。ラジオの司会者がリスナーの投稿を読み上げる。「大学時代の恋人が住んでいた下宿は、四畳半でキッチンもトイレも共同。お風呂が無かったので近所の銭湯に通っていました。とても楽しい日々でしたが、お金のない生活は長続きしないものです。女性の私は、銀座で美味しい物を食べてブランド物を身につけている友人が羨ましくて仕方が無かった。だから別れました。今は、結婚して幸せな家庭を持っています。でも時々ふっと思い出すのです。大学時代の恋を。あの頃の私はまだ夢を持っていました」。リクエスト曲は「神田川」であった。

 当該句は、作者が学生時代に詠んだ句として認識されている。同じ未来を夢見る恋人と寝起きした畳が、生活で荒れている。素顔もボサボサな髪もさらけ出し、それでもなお一緒に居たいという気持ちがあって過ごしてきた二年目の秋。木犀は、夢が叶う日までのひとときの甘くも安らかな匂いだったのだ。

篠崎央子


『未踏―高柳克弘句集』は2009年の刊行です ↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
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