ハイクノミカタ

悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし 波多野爽波【季語=夜食(秋)】


悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし

波多野爽波


富安風生にこんな句がある。

  わからぬ句好きなわかる句ももすもも

早口言葉にかけた語呂遊びのような調べが軽妙で歌うように覚えてしまう。言っていることもその通り。わかる句が好きだけれど、わからない句もあって構わない、どちらにも魅力があるね、と解釈するべきなのかもしれない。けれど、「好きなわかる句」と対称をなす「わからぬ」には(嫌い)が省略されているのだろうし、のっけから「わからぬ句」と打ち出すのもインパクトが強すぎて、わからない句は切って捨て、わかる句だけを可愛がっているようにも見える。何しろ「着ぶくれて文字一つにも好き嫌ひ」、「いやなことはいやで通して老の春」という風生のことだから。それがいけない、と言っているのではないですよ。ただ、分からないからと袖にするならそりゃつれなかろうぜ、とぼやきたくもなるのだ。

「好き」には、「分かるから好き」と「分からないから好き」の二つがある、と言ったのは橋本治だったろうか。

  悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし

私は波多野爽波のこの句が好きだ。ただ、好きな理由を問われたら言葉に詰まる。好きイコール分かる、ではないのだ。どういう状況か説明を求められても困ってしまう。卓上や床に落ちた食物の一部が悲鳴のようだ、と言われてすぐに納得する人がいるだろうか。いるとしたら尋常でない感覚の持主だろう。私としては、食べこぼしの一つ一つがムンクの「叫び」の人物だったらかなり怖い、などふざけた想像をするのが精一杯だ。食べこぼしたものを始末もせずに夜業を続ける光景がかろうじて目に浮かぶ。その人間の姿ではなく、みっともなくこぼれ落ちた夜食の声に耳を傾けているのが独特だ。

おや、なんだか分かりかけてきたのかも。「分からないから好き」は「分からなくても好き」と違う。分からないから考えを巡らせる。こんな秋の夜の過ごし方もたまには悪くない。風生もそこは賛成してくれるといいのだけれど。

(『波多野爽波全集』作品篇II 邑書林 1992年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
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>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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