加島正浩「震災俳句を読み直す」

【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第7回


【連載】

「震災俳句を読み直す」第7回

加島正浩(名古屋大学大学院博士課程)


「忌」ではない別の表現を

『浜通り』浜通り俳句協会


今年の3月2日掲載の『東京新聞』「平和の俳句」で以下のような句が採られている。選者は黒田杏子。

 <季語になぞなりたくなかった原発忌

考えなければならない要点は少なくとも2つあると思われる。ひとつは「原発忌」とはいったい何なのか、それはいつを示すのか、という点、もうひとつは「原発忌」は「季語」なのか(になったのか)、ではいつの季節を指すのか、という点である。

東日本大震災以後の俳句を追っている方であれば、選者黒田杏子、「原発忌」という組み合わせで『毎日新聞』に掲載された記事「特集ワイド―季語の力 黒田杏子さんに聞く」(2013年9月18日)を思い出されるかもしれない。そこで黒田杏子は以下のように述べ、その内容について、TwitterをはじめとするSNSで多くの議論(というよりも批判と誹謗中傷)が飛び交った。

被災地以外からも震災の句が届いた。広島からは<おろかなる人知なりけり原発忌><広島忌長崎忌そして福島忌>。

広島忌(8月6日)は立秋前だから歳時記では夏の季語。長崎忌(同9日)は秋の季語。いつか原発忌、福島忌は春の季語となるのだろうか。

『多くの俳人が詠み、名句が生まれたなら、『原発忌』が歳時記に収められる日が来ます。関東大震災の後、『震災忌』という秋の季語が新たに生まれたように』。季語という形で、私たちは東日本大震災や原発事故を後世に伝えてゆくのかもしれない。

杏子さんは震災の年、こんな句を詠んだ。

 <原発忌福島忌この世のちの世>

『河北新報』2021年2月8日の記事「震災関連死の申請今も 20年度、被災3県で32件」によれば、2021年1月末時点で認定されているいわゆる「震災関連死」と呼ばれる死者の数は全国で3773名、うち福島県が2318名(61.4%)である。

2011年の原発「事故」のために、ある地点で生命が断ち切られてしまった人が存在する以上、忌日詠が行われることには全く異論はない。ただし、それを「原発忌」と呼ぶことが適当かどうかは疑問が残る。原発忌は「春の季語となるのだろうか」と黒田は述べているが、原発が存在するために亡くなった人は、2011年の原発「事故」以前にも存在するわけであり、そのことを忘却してよいわけはない。「原発忌」が「春の季語」と認定されることで、2011年の原発「事故」以前が忘れ去られるのであれば、それは「忌日」を指す名称として相応しいのかどうか。そもそもある特定の日を示すことができるのかどうか、疑問である。

では「福島忌」はどうか。Twitterでは「福島忌」を用いた黒田への批判・誹謗中傷が目につく。福島が「死んだ」かのようにみえるというのが、主な批判の根拠であるように思う。確かにその点も考慮する必要がある。しかしそれに加えて東日本大震災によって福島県は津波と原発「事故」という性質の異なる被害を受けているということを踏まえたとき、この「福島忌」が津波で亡くなった死者を弔おうとするものなのか、あるいは原発「事故」以後を示そうとするものなのかが、判然としないのである。

東日本大震災を受けた忌日季語の創出への批判は、本来深く考えなければならない問題があるにもかかわらず、忌日季語化することでそれを回避し、安易に俳句として成立させてしまう/成立しているようにみえる点にあるようだ。

(たとえば、宮坂静生「季語探訪―ゆたかなる日本のことば(30)東北を歩く(2)」『俳句』2014年9月や、鴇田智哉「俳句に見る『平成』俳句の不謹慎さ、そして主体感」『俳句』2019年5月など」)

私も上記批判とおおよそ同じ考えを持つ。いつを指し示すのか、何を悼むのかが不明瞭な忌日季語を用いながら、俳句としての焦点を定めることは難しいと考える。

しかしここで考えてみたいのは「フクシマ忌」である。

「フクシマ」という表記の扱いが難しいことは、連載の第5回において触れたため、ここで詳述することはしないが、「フクシマ」と表記した場合、原発「事故」以後を指し示すとは自明にはなる。もちろん「フクシマ忌」としたところで、原発「事故」があったために亡くなった方が多くいる以上、特定の「一日」を示すことにはならず、厳密な忌日季語として成立することはないように思うが、検討を加えてみたい。

黒田杏子が<原発忌福島忌この世のちの世>という句を発表したのは、浜通り俳句協会が刊行する『浜通り』という俳誌の141号(2011年8月)においてである。

『浜通り』は、常磐炭鉱の採炭現場で石炭を掘り採炭チームの長も務めていた結城良一が主催する、浜通りに居住する俳人を中心とした結社横断型の俳誌である。第64回福島県文学賞の俳句部門を受賞した古市文子や同じく第66の同賞の奨励賞を受賞した中田昇など、力のある俳人も多々参加している。また震災以後は141号から、現在刊行が確認できる最新号の156号(2016年3月)まで「東日本大震災特集」を組み続けている(計16回)東日本大震災以後の俳句を考えるうえでは外すことのできない重要な俳誌のひとつである。

そこでは震災忌、原発忌、福島忌を用いた句が散見されるのであるが、「フクシマ忌」を用いた句もいくつか存在する。

 フクシマ忌崩れしままの防波堤  結城亮一「フラガール」144号(2012年5月)

 ふる里へ十里たらずやフクシマ忌 中田昇「ふる里」145号(2012年8月)

 フクシマ忌ああもう二年とぞ憶ふ 笠井杏「フクシマ忌」150号(2013年11月)

防波堤が崩れているままなのは、発表時期を踏まえるならば、津波によって被害を受けた防波堤が修復されていないからだと判断できるが、「フクシマ忌」と詠まれることで、警戒区域等に指定され、人が立ち入ることが困難なために防波堤がそのままになっているという意味が付与されているようにも読める。中田の句においても、ふる里まで40キロ足らずなのだけど、立ち入ることができない意味が読み取れる。

ただしこの解釈では、「フクシマ」と詠む必然性は読み取れても、「フクシマ忌」とする必然性を説明したことにはならない。注目したいのは笠井の3句めである。

ああもう2年が経過したと嘆くように思っている笠井の句であるが、何から2年が経過したかといえば、原発「事故」からということになるだろう。ただし2年が経過したというだけで、原発「事故」以後はつづいているということに注意しなければならない。

ある特定の「忌日」があり、そこから時間が経過したということには―もちろん「震災」の場合もいわゆる「震災関連死」のなかに計上されるような亡くなり方をした人がおり、様々な「傷」を抱えている人がいる以上、単純に何かが「終わり」そこからの時間の経過を示しているということにはならないが―原発「事故」以後の渦中にまだ「われわれ」はいる以上(未だ「原子力緊急事態宣言」は発令中である)「フクシマ」の場合は何も終わっていないことがより強く意識される。

であるならば、「フクシマ忌」という「特定の1日」を示すような言葉ではなく、3月11日ないしは3月12日を起点に、永遠と引き続いてしまっている日々を指し示す言葉が求められていると考えるべきであろう。

そしてそのような言葉が見つからないがために、俳句の伝統にある忌日季語のかたちを借りて「震災忌」・「福島/フクシマ忌」という表現が創出されたという側面があるように思われる。

もちろん、それが適切な言葉でないことは事実である。ただし、悲惨な未曽有の事態に遭遇したときには、それに立ち向かう言葉として適切ではないとわかりつつも、手持ちの言葉を基に向かっていくしかない場面はあるように思う。

『浜通り』142号(2011年11月)には次のような句がある。

 茄子の馬行方不明者乗せて来い 島田千晶子「茄子の馬」

お盆に茄子の馬が乗せてくるのは、「死者」である。津波による「行方不明者」はあくまでも「行方不明者」なのであり、死亡したと断定することは憚られる側面がある。(ほぼ間違いなく津波により死亡したとは思いつつも、生きているのではないかとどこかで願っている人々がいる以上)

そのため、茄子の馬が乗せてくるのは、「行方不明者」と呼ばれながらも、おそらくは亡くなってしまったであろう人を「死者」として乗せて来いと言っているのか、あるいは死体でもよいから見つかってくれと言っているのか、あるいはどこかで生きている「行方不明」な誰かを乗せて来いと言っているのか、解釈する余地を持つように思われる。

茄子の馬は「死者」を乗せるのであり、生死を断定することが憚られる「行方不明者」を乗せるわけではないが、「行方不明者」に戻ってきてほしいという思いに応える適切な表現がないために、手元にある既存の「茄子の馬」という表現を用いていると推測できる。結果、それが句の解釈に幅を持たせることになっていると私は考える。東日本大震災の忌日季語に島田の句のような成功例を私は見出すことができていないが、「フクシマ忌」という言葉を用いて何を表現したかったのかは、理解できるように思う。

私は俳人ではないため、東日本大震災の忌日季語化の是非よりも、忌日季語化することで何を表現しようとしていたのかに関心がある。

そして今後、忌日季語では厳密に表現できなかった事態をどのような表現で示していくのかに関心がある。

私にその答えがあるわけではないが、手持ちの言葉と表現で「未曽有の事態」(この表現が手垢にまみれた既存の表現であるが)に立ち向かっていった俳人の俳句には向き合っていきたいと思うし、10年と半年が経過し、俳句がどのような表現を生み出していくのかは引き続き注視したい。

未だに「以後」はつづいている以上、立ち止まるわけにはいかないと私は思う。


【執筆者プロフィール】
加島正浩(かしま・まさひろ)
1991年広島県出身。名古屋大学大学院博士後期課程在籍。主な研究テーマは、東日本大震災以後の「文学」研究。主な論文に「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」『JunCture』8号、2017年3月、「怒りを可能にするために―木村友祐『イサの氾濫』論」『跨境』8号、2019年6月、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号、2020年12月。


【「震災俳句を読み直す」バックナンバー】

>>第6回 書く必要のないこと
      小野智美編『女川一中生の句 あの日から』
>>第5回 風と「フクシマ」
      夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』
>>第4回 あなたはどこに立っていますか
      ―長谷川櫂『震災句集』・朝日新聞歌壇俳壇編『阪神淡路大震災を詠む』
>>第3回 おぼろげながら浮かんできたんです。セシウムという単語が
      ―三田完『俳魁』・五十嵐進『雪を耕す』・永瀬十悟『三日月湖』
>>第2回 その「戦場」には「人」がいる
      ―角川春樹『白い戦場』・三原由起子『ふるさとは赤』・赤間学『福島』
>>第1回 あえて「思い出す」ようなものではない
      ―高野ムツオ『萬の翅』・照井翠『龍宮』・岡田利規「部屋に流れる時間の旅」

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