【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第4回

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【連載】

「震災俳句を読み直す」第4回

あなたはどこに立っていますか

長谷川櫂『震災句集』・朝日新聞歌壇俳壇編『阪神淡路大震災を詠む』

加島正浩(名古屋大学大学院博士課程)


ご存じの方も多いと思うが、2012年に刊行された長谷川櫂の『震災句集』は、刊行当時から現在に至るまで、酷評の嵐に晒された。その点については私も書いたことがある。(ご関心のある方は、拙論「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号をご参照いただければ幸いである。なお、今年の12月には原爆文学研究会のホームページからPDFで閲覧できるようになるはずです)

暴力的に長谷川の震災句への批判を整理するならば、「被災地」の外側から、「被災地」を一度も訪れることなく、高みから「被災地」を見物しているような様子で偉そうに嘆いている態度が気に食わない。詠まれている句も、いかにも「他人事」のようだ、というものであったといえるだろう。その批判は的外れなものではない。

たとえば〈燎原の野火かとみれば気仙沼〉という句からは、気仙沼が燃え広がる様子の背後に、震災以前の燃える前の気仙沼の姿や燃えていく気仙沼への思いなどは読み取れず、〈春泥やここに町ありき家ありき〉もただそこに町や家があったことを想起しているのみで、泥にまみれた町や家の記憶や愛着などの感情を読みとることはできない。

また〈原子炉の赤く爛れて行く春ぞ〉〈大地震春引き裂いてゆきにけり〉〈原発の煙たなびく五月来る〉などの句には、地震と原発「事故」によりそれまでの生活が失われてしまった人々の姿はなく、地震と原発「事故」により、変容してしまった春の姿が詠まれているにすぎない。確かにこのような句は「被災地」を「高み」から見物しているような「呑気さ」が感じられ、震災後/原発「事故」以後を必死に生きざるをえなくなってしまった人々とは別の位相に生きているかのようであり、震災を詠んだ句として評価できるものでは確かにない。

しかしこのような「高み」から「被災地」を眺めるような句が、長谷川以前になかったというわけでは、どうやらなさそうである。朝日新聞歌壇俳壇編『阪神淡路大震災を詠む』(1995年4月、朝日新聞社、定価680円ですが、私は古本屋で3200円で買いました)は、阪神淡路大震災発災から間もない期間に、朝日新聞に投稿された短歌・俳句を数人の選者が十数句ずつ選び、編集した書籍であるが、「被災地」の外側から詠まれた俳句も多く取られていることがひとつの特徴である。ちなみに選者は、金子兜太、飴山實、川崎展宏、稲畑汀子の4名である。そのなかで最も気になるのは金子兜太選の句である。

大震災傍観者の性が哀し    甲府市

映像に炎ゆる神戸を見る寒夜  石巻市

汲み合へる崩壊都市の寒の水  大分市

何の咎なるや凍地に圧死され  福岡市

眠られぬ神戸突き刺す寒昴   東京都

先端の技術も無為の冬の地震  東京都

被災者をうちのめしゐる冬の雨 和歌山県

もちろん飴山選の句にも〈墓飛んで骨壺見えし寒地震〉(川崎市)というだからなんだよと言いたくなる、まさに「傍観者」による句というようなものもあれば、川崎選の句に〈寒空や地震の国の住み処〉(市川市)という詠み手が「被災地」や「被災者」に関心を持っていない句も存在する。稲畑選の〈地震ありし廃墟の中に春立ちぬ〉(奈良市)も、あなたが「廃墟」と呼ぶその場所には人々の生活があったのですよ、と言いたくなる「傍観者」の感がある。

ただ金子選以外の「被災地」外の人々による句は、飴山選の〈雪降り来「男」とのみの柩あり〉(神奈川県)、〈「妻です」と掌に白き骨風寒し〉(春日部市)、稲畑選の〈震災の瓦礫は墓標雪が降る〉(福岡市)、〈助け呼ぶ声細りつつ火事迫る〉(京都市)、〈消息の一声聞きに雪を踏み〉(鳥取市)など、実際に「被災地」を訪れた句もあれば、実際に訪れたのか、テレビの映像を観て詠んだ句なのかは判然としないものの、「被災地」や「被災者」の様子を丁寧に詠もうとする句が多いように感じられる。震災の瓦礫が墓標なのは、その下で人が亡くなっているからであり、「被災地」を「廃墟」と詠んだ句ともしかすると印象が変わらないように受け取る方もいるかもしれないが、私は「瓦礫は墓標」と詠むのは、「被災地」や「被災者」に心を寄せていると感じる。

さて、問題にしたいのは金子兜太選の句である。〈映像に炎ゆる神戸を見る寒夜〉、〈先端の技術も無為の冬の地震〉、〈被災者をうちのめしゐる冬の雨〉などが顕著であろうか。実に「他人事」・「傍観者」感のある俳句だと私は考える。「映像で」燃えている神戸を観ている詠み手は当然家にいるのだろう。寒夜とあるが、おそらく暖房器具の電源は入っているだろう。先端の技術も地震には無意味なものだなあと感嘆できる詠み手は「安全」な場所にいる。被災者が冬の雨に打たれていると詠む詠み手は、雨からは守られている。

おそらくこれらの句が東日本大震災発災時に詠まれていたら、長谷川櫂の句と同様、酷評に晒されていただろうと考える。ただしそれを述べることで、阪神淡路大震災発災時の俳人や金子兜太の倫理性の欠如を主張したいわけではない。東日本大震災時に長谷川の句は「他人事」で偉そうだと、俳壇から酷評されたその状況は、東日本大震災発災時に形成された「規範」(空気)であり、少なくとも阪神淡路大震災の発災時には存在しなかった(あるいは希薄であった)可能性が高いということである。つまり震災を詠むにあたり、何が望ましくないとされるかは、発災時の同時代の空気によってその都度形成されるのではないかということである。

金子は『阪神淡路大震災を詠む』の選を終えた後に、「『戦火想望俳句』のときのような政治の圧力がない現在、量の多いことは当然だが、質も予想外に高かった」「『傍観者の性が哀し』と言い切る誠実な心情の作に恵まれていたことが嬉しかった」と述べているが、東日本大震災発災時に『傍観者の性が哀し』と果たして詠めたかどうか。傍観者である自分に嘆息する前に、自分にできることをやれよと、私は感じるし、おそらくはそのような批判の声は私があげなくともあがったのではないかと思う。

ただ阪神淡路大震災時には批評家の笠井潔も「テレビ画面を通してみる被災地と被災民の姿を、娯楽の対象か保身の参考としてしか捉えることのない東京の、そして全国の視聴者は、ようするにわれわれは」「たぶん無関心にやり過ごしてしまうに相違ない」(笠井潔「大量死の行方」『新潮』1995年4月号)と述べており、どうやら堂々と「阪神淡路大震災は、残念ながら東京には関係ない」と言えてしまう空気があったようである。

そうである以上、金子兜太が東日本大震災発災時に〈津波のあとに老女生きてあり死なぬ〉というテレビ俳句をつくるなど、想望俳句に肯定的であった金子兜太の存在感ゆえに、阪神淡路大震災時には「傍観者」である自分を前面に出した句が詠めたというだけではなさそうである。おそらく阪神淡路大震災が起こった1995年という時代と、東日本大震災が起こった2011年という時代の違い。そして震災の質の違い。原発「事故」。などが俳句における震災詠にも影響していることは、疑いようがない。

そして、それをどう考えるかが問題である。「自由に」詠めた阪神淡路大震災の頃がよかったと考えるのか、「傍観者」としての態度を許さない東日本大震災発災時の方が震災詠は「進歩」したと考えるのか。

私はいわゆる被災「当事者」しか、震災を詠んだり書いたりしてはいけないという立場には立たない。むしろ震災と「無関係」だと考えている人に、どのようにしてあなたも「無関係」なわけではない、あなたもまた「当事者」なのであるということを実感してもらうか、そこに「文学」がどのように寄与できるのかを考えている。

しかし「自由に」詠めばよい、書けばよいという立場にも立たない。長谷川の『震災句集』が阪神淡路大震災を詠み、95年に刊行されたとすれば、おそらく別の評価を受けたとは思うが、それゆえに擁護したいとは全く思わない。

詠み手/書き手が震災をどのように捉えるのか、どのように関係するのか、どのような立場に基づいて詠む/書くのかは明確にするべきであると考えている。

つまり「傍観者」である自分に嘆息して終わるような詠み方は望ましいとも誠実だとも思わない。「被災地」の外側にいるように思われる自分にとっての震災とは何なのか、あるいは「被災地」や「被災者」とどのように関係するのか/できるのかを突き詰めて考えることこそが「誠実」な態度だと私は考える。

そう考えれば、〈何の咎なるや凍地に圧死され〉の句のように「咎なるや」と嘆息して終わることはできないはずである。自分と縁のある人が「凍地」で圧死したとしたら「咎なるや」とは詠めないだろう。「圧死」してしまった人と詠み手である〈私〉がどう関係するのか、できるのか。その点を突き詰めて考えるべきだと私は考えるのである。


【執筆者プロフィール】
加島正浩(かしま・まさひろ)
1991年広島県出身。名古屋大学大学院博士後期課程在籍。主な研究テーマは、東日本大震災以後の「文学」研究。主な論文に「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」『JunCture』8号、2017年3月、「怒りを可能にするために―木村友祐『イサの氾濫』論」『跨境』8号、2019年6月、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号、2020年12月。



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