ハイクノミカタ

蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり 日原傳【季語=蚊(夏)】


蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり

日原傳


最初に断っておくが、この句を収めた『此君』はたいへん端正な句集である。「此君」は「しくん」と読み、竹の異称。晋の王徽之(王義之の五男)は竹を愛し、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」と賞した故事に基づくそうだ。句集のあとがきは「この言葉を俳句形式に対して奉りたいと思ふ」と締めくくられている。王徽之にとっての竹は取りも直さず自分にとっての俳句形式なのだ、ということばは凛々しくて清々しい。

そのような句集にあって、掲句は些か妙、というか軸からはやや外している印象を受ける。そして、そんな句におっ!と目が吸い付いてしまうのが、私の悪いクセなんである。

鰭、とあるからにはこの句の主人公はお魚だ。少し調べたところでは、メダカはぼうふらを餌にするらしいけれど、成虫を常食することはないみたいだ。そしてメダカに蚊は大きすぎるから、おそらくたまたま水面すれすれに下りて来た蚊を金魚あたりがパクッと吞み込んだのだろう。役割と言えばせいぜい伝染病を媒介する位で一利もない害虫なんぞは近づいて来るだけでも厭わしいものだが、それを食べて喜ばし気に鰭を振っているお魚もどうなんだ。「使ひ」はいかにも自主性に溢れているし、そうか生餌がそんなに嬉しかったのか。―風変りだけれども、金魚(と決めつける)が屈託なく描かれている―という一読後の感想だったが、悪食という点にフォーカスするとまた違った様相を示す。そして、作者はそんな金魚を目を細めて眺めているのである。ブルブル・・・。

まあ私は妄想を広げがちなので、俳句そのものに立ち戻れば、餌を食べた魚の鰭の動きを写生的にではなく、人間の感情に引き寄せて描いたところがユニークでユーモラス、と鑑賞するのが妥当なのだろう。

冒頭の繰り返しになるけれど、『此君』はタイトルに相応しい温雅な作品に満ちている。その中でちょっと違った光を放つ句を見つけるのが愉しい。嬉しくて鰭を使っているのは私だったのかも(あ、掲句を蚊だと言っているのではありません。滅相もない)。

『此君』ふらんす堂 2008年より)

太田うさぎ


【太田うさぎのバックナンバー】
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ   しなだしん
>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵    五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる    飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率      岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 美校生として征く額の花咲きぬ 加倉井秋を【季語=額の花(夏)】
  2. 秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子【季語=秋思(秋)】
  3. 仰向けに冬川流れ無一文 成田千空【季語=冬川(冬)】
  4. 片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣【季語=秋(秋)】
  5. 髪で捲く鏡や冬の谷底に 飯島晴子【季語=冬(冬)】
  6. さくら餅たちまち人に戻りけり 渋川京子【季語=桜餅(春)】 
  7. 汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父【季語=野分(秋)…
  8. 河よりもときどき深く月浴びる 森央ミモザ【季語=月(秋)】

おすすめ記事

  1. 【冬の季語】今朝の冬
  2. 恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典【季語=菜の花(春)】
  3. 【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#14
  4. 【春の季語】霞
  5. 【書評】小島健 第4句集『山河健在』(角川書店、2020年)
  6. 【秋の季語】カンナ/花カンナ
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第17回】太田うさぎ
  8. 青嵐神社があったので拝む 池田澄子【季語=青嵐(夏)】
  9. 葉桜の夜へ手を出すための窓 加倉井秋を【季語=葉桜(夏)】
  10. 夏場所の終はるころ家建つらしい 堀下翔【季語=夏場所(夏)】

Pickup記事

  1. 叱られて目をつぶる猫春隣 久保田万太郎【季語=春隣(冬)】
  2. 仕る手に笛もなし古雛 松本たかし【季語=古雛(春)】
  3. 【夏の季語】梅雨の月
  4. 【冬の季語】鬼やらう
  5. みじろがず白いマスクの中にいる 梶大輔【季語=マスク(冬)】
  6. 大揺れのもののおもてを蟻の道 千葉皓史【季語=蟻(夏)】
  7. 捨て櫂や暑気たゞならぬ皐月空 飯田蛇笏【季語=皐月(夏)】
  8. 【冬の季語】冬麗
  9. 神保町に銀漢亭があったころ【はじめに】こしだまほ
  10. 【春の季語】愛の日
PAGE TOP