ハイクノミカタ

扇子低く使ひぬ夫に女秘書 藤田直子【季語=扇子(夏)】

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扇子低く使ひぬ夫に女秘書

藤田直子
『極楽鳥花』


 立夏を過ぎると、街角では涼しげな扇子が売られ始める。薄い和紙に雲母を散らしたもの、涼しげな動植物が描かれたもの、洋風のレースをあしらったものもある。俳人の場合だと、夏の一句が書かれた扇子を持っていると話題が広がる。

 扇子は、扇いで風を送るという実用性とともに涼しさを演出するアクセサリーでもある。男性だと落語家や棋士が持っているイメージがある。特に落語の扇子は、表情の一つであり、ある時は箸になり、またある時は刀になる。棋士の扇子も本人は無意識なのだろうが、開いたり閉じたり、膝を打ったりと何とも威圧的に感じてしまう。句会の席でも扇子は会場の花である。人の扇子の動きを観察していると非常に興味深い。扇子の上から見下ろすように他人の俳句を吟味する大御所や、扇子で口元を隠し隣の人と噂話をするご婦人など、若手は冷や汗をひたすら扇ぐばかりである。会場に舞い込んできた蠅を払うのも扇子である。扇子は、武器にもなるのだ。

 『源氏物語』の紅葉賀の巻では、若き光君は、色好みの高級女官である源典侍(げんのないしのすけ)と扇をめぐり、歌を詠み交わす。当時、五十七、八歳と推定される源典侍が若き貴公子に対して赤い夏扇で顔を隠しつつ流し目をする場面は尊敬に値する。当時の女性は顔を隠さねばならなかったので、目で感情を表したのだ。その扇子に書かれていた古歌もまた恋の駆け引きとなっている。恋する女性にとって扇子は、刀にも匹敵するほどの武器なのである。光君は、源典侍が挑発してきた扇子一枚から教養の高さや風情を感じ取り、とまどいつつも関係を持つこととなる。扇子ひとつで男性を翻弄する女性になってみたいものである。

  扇子低く使ひぬ夫に女秘書   藤田直子

 秘書というと代議士秘書や美人秘書を想像する。代議士秘書ともなると講演会の手配や演説原稿の草案、スーツの準備の他に、支持者への細々とした配慮も欠かせない。時には、裏金等の手配もする。そしてスキャンダルが勃発すると「すべては秘書が勝手にやったこと」と責任まで転嫁される。そんな荒浪を越えていつかは出馬を夢見るが、やり手の後輩に追い抜かれることもある。

 秘書は、見た目も大事。爽やかで清潔感のある人、てきぱきと仕事をこなしつつ人との交流にも気を遣う。事務能力は勿論のこと、交渉の場における機転やトラブルの対応など、いわゆるオールラウンダーでなければならない。

 バブル期に見たドラマでは、野心家の若き女性が大手企業との契約交渉に暗躍し、社長秘書に抜擢され、その後も才気と色気を駆使し社長夫人となり、最終的には社長になる話があった。当時の女性は企業でも家庭でも裏方の存在であったため、小学生の私には、痛快に感じられた。

 当該句は、秘書ではなく妻の立場で詠まれた嫉妬の句である。夫は、女秘書を持つ地位にある華やかな男性なのだろう。しかし、夫が仕事に没頭できるよう支えているのは妻である。妻は、夫のプロデューサーだ。夫の健康や身だしなみを管理し、退屈な愚痴を数時間にもわたり真剣な顔で聞いてやり、精神面でも支えている。時には同調し時には尻を叩くこともあるだろう。内助の功というよりもプロデューサーというべきだ。妻である事の自信は、戸籍上の問題ではなく、その裏にある計り知れない苦労の上に成り立っているのだ。

 女秘書も妻も裏方であり、男性を輝かせるために努力している存在である。女秘書が仕事という外交的な面を支えるのに対し、妻は仕事や家庭なども含め内面的な支えをする。男性にとってはどちらも大切なパートナーだ。込み入った仕事を共にする女秘書だけが知っている一面もあるし、妻にしか見せない顔もあるだろう。

 妻は、昼間の夫の顔を知らないという思いもあり、女秘書に嫉妬したのだ。女秘書もまた、妻以上に男性のことを知り尽くしているという若き自負もあったのだろう。男性は、仕事上のミスを妻には語らないが、フォローしてくれた女秘書には「君だけが頼りだよ」なんて言う器用さがある。女秘書は、その言葉を鵜呑みにして「あの人は私がいないとダメなんだ」と思い込んでしまったこともあったかもしれない。

 マウンティングという言葉はここ数年流行しているが、作句当時の20世紀の終わり頃には、意識されていなかったと思われる。女性同士のマウンティングは、男性社会よりも深い闇がある。扇子を通してのマウンティングは、何とも雅だ。自分の顔を露わにし、扇子を低く使う余裕。すべてを見下ろすような妻の座の自信と冷静さが格好いい。若いだけのちんけな女秘書よりも優位な立場にある大人の女性の匂いがする。その扇子は武器となり女秘書を牽制している。と同時に夫を冷ややかに眺め威圧しているようにも見える。そんな女性の怖さをさらりと詠んでしまうのだから、恐ろしいことだ。

 作者の藤田直子氏は、その後、50代で夫君に先立たれる。夫の闘病生活、葬儀、喪失感を詠んだ句集『秋麗』が高く評価され、結社「秋麗」を立ち上げることとなる。美しき未亡人が、かつて低く使っていた扇子は、いま高く舞い、俳壇の麗しき蝶となった。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
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