ハイクノミカタ

東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜【季語=東風(春)】


東風吹かば吾をきちんと口説きみよ

如月真菜
(『菊子』)


 「東風吹かば」というと、菅原道真の〈東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな〉(『拾遺和歌集』)を想起してしまう。菅原道真は、平安時代の貴族。学識高く右大臣まで出世したが、謀反を企てたとして太宰府へ左遷されてしまう。失意の道真が都を去る時、庭に植えられた梅の木に「東風が吹いたなら、大宰府まで匂いを届けて欲しい。主人の私がいなくなっても、春を忘れないで咲いてくれ」という内容の歌を詠んだ。太宰府という土地では、東風は都の方角から吹いてくる風と想定して詠んでいる。無実の罪にて太宰府に左遷され不遇の晩年を過ごした道真は、死後に怨霊となって都を襲う。怨霊を恐れた平安人は、道真の霊を鎮めるため天満天神として祀った。現在では、学問の神様として信仰され、道真を祀る神社には沢山の梅が咲き合格祈願の絵馬が奉納される。

 毎年、東風が吹くと心がざわめくのは、梅の花、受験、そして卒業を思い出すからであろう。受験を乗り越えた先に待っている卒業式。梅が咲く頃、在校生は卒業式の準備を始める。卒業生は、受験後から卒業までの短い間を同級生達との別れを惜しむ時間に費やす。

 恋に動きがあるのもこの時期である。卒業後も逢えるようにするためには、卒業までに告白をしなければならない。告白をしてもしなくても逢えなくなるのであれば、逢えなくなって後悔するよりは、玉砕覚悟で告白した方が良いに決まっている。もしかしたら、告白から交際が始まる可能性もあるのだから。

 卒業式間際に告白をするのは、女性の方が多いという。卒業する男性に対し「第二ボタンを下さい」が女性からの求愛のセリフだったのは昭和の頃。当時は、学ランの第二ボタンは本命の女性に渡すものという考え方があった。男性自ら第二ボタンをちぎって「お前にやるよ」なんて言うのは少女漫画の世界だけだろう。これだってちゃんと告白しているとは思えないのだが。

 いつだって肝心なときに強気なのは女性である。とかく女性は白黒はっきりさせたい一面がある。対して男性は、肝心なところで急に弱気になる。「本当にこれで良いのか、このままでも良いのでは」とか考えてしまう。相手の女性が奥ゆかしい性格の場合は、例え両想いでも交際に至らないまま、想い出を封印してしまう。

 若き日の恋にはタイミングがある。両者の想いが高まっているときに掴み取らなければ、永遠に失ってしまう恋もあるのだ。数年後の同窓会で口説いても、あの日の二人には、もう戻ることはできない。

 いつの時代から男性はそんなに弱気になったのだろう。武者小路実篤の『お目出たき人』は、明治の小説だが、主人公の自分は、恋する鶴に仲介者を通して三度も求婚し断られているが、全く諦めていない。しかも、その鶴とは一度も言葉を交わしていないのに相思相愛と思い込んでいる。鶴の通学路で待ち伏せしたりするも、話しかけることはせず、鶴に道を譲られただけで舞い上がっている。積極的なようでいて、ちゃんと本人を口説いていないのが、この作品の可笑しさである。

 確かに日本男児はシャイなところがあり面と向かって女性を口説くのをためらってしまう。恥じらい深き人種なのであろう。そして女性は奥ゆかしい。古代より仲介者を通して和歌にて口説いてきた男性の恋の歴史は、近代になっても仲介者を要した。面と向かって口説くなんて日本男児にはできないことなのである。

  東風吹かば吾をきちんと口説きみよ   如月真菜

 同級生の結婚式の日、私が「プロポーズの言葉は何だったの」と聞いた。長い交際の果てにバージンロードを歩むこととなった彼女は「プロポーズどころか告白されたこともないのよ」と言った。少しショックを受けたが、彼女の話によれば、大学時代に帰り道が同じ方向であった彼とは飲みに行くことが多く、酔って泊まるっているうちに男女の仲となったらしい。その後、友人や家族から「そろそろ結婚しないさい」と言われ、気が付くと結婚の段取りが決まっていたという。成り行きでゴールインとは、晩婚の私には羨ましい話だった。それでも、結婚指輪を買いに行った日は、二人で海を見たらしい。いつもよりお洒落な服を着て口数も少ない彼に「引っ越しはいつにする?」と聞いたら「次の連休に」と答えただけであった。何とも事務的な回答。ここで「これから宜しくね」とか言って欲しかったであろう。

 男性としては、言わなくても分かるだろうという想いもあるし、改めて言うのは照れくさかったのだろう。婚約指輪を買って、海に行って雰囲気の良いレストランまで予約していたのだから。でも、言葉で告げて欲しかった。「ずっと君が好きだった。これからも好きだ」と。

 男性は、結婚するまでに二回女性を口説かなければならない。恋の始めと結婚するときと。この手順をきちんと踏めないような気の弱い男性とは結婚しても苦労するのではないかと思ってしまう。そのようなシャイなところも愛おしいのだが。

 梅が咲く頃になると急に甘みを含んだ風が吹く。人生の転換期の風であり動物が発情期に入る合図のような東風だ。男性にもそんな予感はあるのだろうか。いま、言葉で気持ちを伝えてくれなかったら自分は、風に吹かれてどこかに飛び去ってしまうかもしれない。男なら、はっきりと告げて欲しい。愛の言葉を。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

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>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
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