ハイクノミカタ

どこからが恋どこまでが冬の空 黛まどか【季語=冬の空(冬)】


どこからが恋どこまでが冬の空

黛まどか
(『くちづけ』)

 〈輝く白い 恋の始まりは とてもはるか 遠く昔のこと〉と歌ったのは華原朋美(「I BELIEVE」作詞作曲:小室哲哉)である。恋の始まりは、いつもぼんやりとしていて思い出すことができない。それがずっと一緒にいた相手である場合には、なおさらのこと。うしろゆびさされ組のデビュー曲「うしろゆびさされ組」(作詞:秋元康 作曲:後藤次利)では、〈愛にはぐれた仔犬抱いていた〉少年の姿を見たことから少女の恋が始まる。迷子の仔犬を抱いただけで少女に惚れられてしまうのであれば、世界中の男性が仔犬を保護するであろう。だが歌詞によれば、その少年は〈だめな奴〉とのレッテルが貼られている。不良なのかチャラ男なのかは分からないが仔犬を拾う意外な一面を知り恋が始まるのである。男性の視点になるが、classの「夏の日の1993」では、友人女性の水着姿を見て男性の恋が始まる。水着姿を凝視した男性の視線に恥じらう女性の仕草もまた恋心を掻きたててゆく。

 日本神話の恋の始まりはイザナキとイザナミによって描かれる。天の御柱の周囲を巡り、出逢った所で女神であるイザナミが「なんと良い男でしょう」と言い、男神のイザナキもまた「なんて良い女だ」と言い結ばれるが、生まれてきた子供は、不具の子である水蛭子(ひるこ)であった。女神から話しかけたことが良くなかったことを知り、再び天の御柱を巡り、今度は男神から声をかけ、国生みが始まる。恋のきっかけは、男性が作らなければならないという掟は、神話より定められていたのだ。

 神話では、男女の交合をマグハヒ(目合ひ)と記す。男女の結びつきとは、目が合った瞬間より始まることを意味している。確かに、現代のナンパも目が合ったという理由で男性から声を掛けるのが礼儀である。目が合った時から恋は始まっているのである。そういえば、T-BOLANも「おさえきれない この気持ち」にて〈見つめ合う瞳から恋が始まる〉と歌っていた。

 平安時代の和歌の世界では、『古今和歌集』の〈春日野の雪間をわけて生ひ出でくる草のはつかに見えし君はも 壬生忠岑〉のように、男性は、女性の姿をちらりと垣間見し恋が始まる。平安時代、身分の高い女性は御簾の奥に引き籠もり、顔を見られることを恥じた。だが、祭の日には扇で顔を隠しつつ牛車に乗り出かけていった。新春の行事などは、女性の姿を垣間見られる絶好の機会でもあった。平安時代の男性は、女性が歌会始の屋敷の庭を眺める佇まいや野遊びの際に菜を摘む姿を垣間見て恋をする。一目惚れが当たり前の時代である。男性は、女性の身分や美しいという噂を聞いて垣間見しようとする場合もあるが、御簾が風に吹き上げられて偶然見てしまった姿に恋をする場合もある。『源氏物語』の若菜の巻では、猫が御簾を引き上げてしまったため垣間見えた女三宮の姿に柏木は激しい恋心を募らせてゆく。とにかく見た目重視。一方女性は、自分から恋をすることは稀で、恋文を貰い、相手の身分や歌の内容により恋が始まる。

 私の故郷である茨城県の筑波山には遥かな昔、嬥歌(かがい)という風習があったという。それは、若い男女が集い歌を詠み交わし、気に入った異性と情を交わす行事であった。歌いかけるのは、男性が先。男性は見た目で女性を選ぶが、女性は、歌のやり取りをした上で相手を選ぶ。一応は内面重視ということであろう。

 男女の恋の始まりは、現代でも同じなのかもしれない。第一印象は、合って数秒で決まり、その印象は本人特定のイメージとして崩されることは少ない。就職活動や営業において第一印象が悪いと全ての道が閉ざされてしまう。挽回不可能と言われる第一印象だが、くつがえる時もある。最初の印象は悪かったのに全く違った一面を知った時に恋が始まることもある。不良少年が仔犬を抱いている姿を見てしまったように。

 実は私も、夫の第一印象は悪かった。優等生的な潔癖な雰囲気で自分には合わない人だと思った。ところが酒が入ると笑えない冗談を言ったり歌を熱唱したりする。普通の女性であればドン引きするところであるが、私の目には「何だか不器用な人なのね」と思わせる一面に見えた。一方、夫から言わせれば、私は自由奔放で面倒臭いイメージがあったという。だが、酒が入っていないときは無口で真面目なことを言う意外性に驚いたらしい。お互い誤解されやすい人格だが、共感できる繊細な一面を感じ取り結婚することとなった。

 そんな出逢いも今となっては笑い話。平たい顔族でぽっちゃり系の私は、すらりと背が高く彫りの深い夫の容姿が最初から好きだったのだ。自分の持っている遺伝子とは違う雄の匂いを敏感に察知していただけのことだったのかもしれない。夫の目線からしたら、丸顔で背の低い私が、夫の一族には存在しない変な生き物で珍しいものに映っていたのだろう。華原朋美も歌っている〈ずっと前からあなたのことを見ていた〉と。

どこからが恋どこまでが冬の空 黛まどか

 恋の始まりなんてきっと誰にも分からない。恋のきっかけは、事故のようなもので明確な理由などなくて良いのだろう。気が付いたら始まっていた。そして終わりも分からない。どこまでも続く冬の青空のように果てなく続くものだと信じたい。たとえ二人が別れても、忘れられない想いがあれば恋は続く。嫌いになって別れたのでなければ、来世で続きが待っているかもしれない。恋の終わりもまた理由が不明の場合がある。女性の場合は、ある日突然糸を切るように終わりが訪れる。細かいことの積み重ねにより、ある日突然、もうダメだと思うのである。出逢った頃には予測できない、青天の霹靂である。恋が終わればまた新しい恋が始まる。冬の青空はいつまでも続くのだ。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


華原朋美 – I BELIEVE (from 「DREAM -Self Cover Best-」)

【篠崎央子のバックナンバー】
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵
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>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
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>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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