ハイクノミカタ

菜の花やはつとあかるき町はつれ 正岡子規【季語=菜の花(春)】


菜の花やはつとあかるき町はつれ)

正岡子規)

季語は「菜の花」。歳時記では晩春、四月の季語とされているが、筆者の住む湘南あたりでは一月から三月に見頃となる。東北地方には五月に満開となる名所もあるようだ。

下五「町はつれ」は、町外れ。講談社版『子規全集』に濁点が無いのは、底本とした『寒山落木』(子規自身が自作を分類浄書した自筆の和綴じ本)の表記を忠実に再現したからだろう。子規の手稿は楷書と行書の中間くらいの筆文字で、仮名をつづけ字としたので濁点は略したものと思われる(現代のように濁音に濁点を付す表記が標準となったのは戦後からで、それ以前には文脈から清音か濁音かを判断して発音していた)。掲句の次の〈家の上に雲雀鳴きけり町はづれ〉には濁点があるので、随筆の題だけでなく、そこらへんも結構“筆まかせ”であったことがわかる。

中七の「はつと」についてもバッとあるいはパッとと発音する可能性が考えられるが、ここは清音とした方が俳句としての格が上がる気がする。濁音や半濁音でことさら強調しなくても、急に開かれた視界の一面に菜の花の黄の広がる鮮やかさとそれに対する驚きのようなものは十分に伝わってくる。この句が詠まれた明治二十三年には浅草に凌雲閣(高さ五十二メートル・十二階建ての望楼)が竣工したのだが、当時ここが大変な人気を博したということは、まだ高層の建造物が珍しかったということであり、町外れにはさぞ大きな空が広がっていたことだろうと想像してみる。

ここまで書いて、先週、エネルホダル(ウクライナ南東部の都市)の市民が原子力発電所へと続く道に集まってロシア軍の侵入を防ごうとしているニュース映像を見たことを思い出した。彼らの多くが武器でなく、国旗を手にしているのが印象的であった。また国旗と似た色合いの防寒着の人も目についた。某航空会社のロゴとそっくりなあの青黄旗は、青は空を、黄色は小麦をあらわしているとかで、掲句の菜の花の景と同様に印象明瞭なのである。

その後ザポリージャ原発(ザポロジエとも)はロシア軍に制圧されたとのことだが、集まっていた彼らはどうなったのだろう。黄金色に小麦が熟れる頃、ウクライナは、世界はどうなっているだろうか。

松尾清隆


【執筆者プロフィール】
松尾清隆(まつお・きよたか)
昭和52年、神奈川県平塚市生まれ。「松の花」同人。元編集者。「セクト・ポクリット」管理
人・堀切克洋が俳句をはじめる前からの〝フットサル仲間〟でもある。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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