シゴハイ【仕事×俳句】

シゴハイ【第4回】中井汰浪(「浪乃音酒造」蔵元)


【俳人ロングインタビュー】
【第4回】
中井汰浪(「浪乃音酒造」蔵元・俳人)


セクト・ポクリットの新企画「シゴハイ【仕事×俳句】」は、世にもめずらしい表稼業をもたれている俳人に、俳句の話を差し置いて、本職のお仕事について伺ってみちゃうコーナーです。【第4回】は、滋賀県・堅田にある「浪乃音酒造」蔵元で「ホトトギス」同人の中井汰浪さん。日本酒の世界のみならず、これからのサッカー界を背負って立つ中井卓大選手(汰浪さんの三男)についてもお話をお伺いしました。


「浪乃音酒造」は俳句一族

――このコーナーはお仕事の話を最初に聞くのが通例なんですけども、汰浪さんは俳句一家という噂をお聞きしましたので、今回は特別に俳句の話から伺わせてください。

中井 うちは祖父と祖母が俳句をやっていたんですね。祖父は「ホトトギス」の虚子同人で、余花朗(よかろう)という俳号でした。うちの父親は中井國雄というのが本名なんですけど、季語でもある「(かいつぶり)」を使って、句鳰(くにお)という俳号でやっていました。

――面白い俳号ですね。

中井 母親は康子って本名でやってるんですけど、ぼくは汰浪という名前で、妻がはな湖という俳号をつけました。漫才師みたいでおもろいかなと(笑)

「浪乃音酒造」蔵元の中井汰浪さん。とてもほがらかな方。

――俳号はご自分でつけられたんですか?

中井 そうですね。琵琶湖の近くに住んでるんで、さんずいの漢字を入れようということで。

――酒蔵にして俳句一家とは。

中井 うちの叔母もやってますしね。未央(びおう)」という結社の主宰をやっています。

――古賀しぐれさんですね。

中井 最近は長男夫婦も乗り気になってきて、去年の夏は妻たちもスペインから帰ってきていたので、しぐれとオンラインで俳句会をやったんです。長男は研修先の福島から、うちは堅田、しぐれは奈良で、しぐれの娘は東京から弟のお嫁さんも入って、みんなでLINEで句会をやりました。

――家族句会、楽しそうです。

中井 ただ俳誌に投句とかまでしてるのは、ぼくだけですね。家内もやっていたんですが、もうスペインに8年行ってますんで。

――「浪乃音酒造」は、ご兄弟3人で酒蔵をされているとのことですが、弟さんたちは俳句はされないんですか?

中井 そうなんです。昔からやったらどうやと言ったりはしてたんですが、無理やりやらすことはなかったもんで。こないだ家族句会をやったときも、娘だけは頑なにやらへんかったんです(笑)

中井余花朗さんの句集『浪の音』(左)とその奥様・中井冨佐女さんの句集『湖畔抄』(右)

――お子さんは3人いらっしゃるんですか? 酒蔵を継ぐために修行に出ているのが、ご長男でしたよね。

中井 4人です。長男は27歳。福島県の「天明」さんという酒蔵に修行に行っていて、いまもう4年目なんですけど、今年の6月末に戻ってくる予定です。そして長女が24歳。スペインで学校の先生をしてるんです。スペイン人に日本語を教えています。

――すごいですね。いつから行かれているんですか?

中井 高校を卒業してすぐなのでもう5年くらい行ってますね。就労ビザもとってばりばり働いてます。そんで次男は去年大学卒業して、Jリーグ行きたがってたんですけど、声かからへんかったんで、スペインでチームを探すと言うて渡りました。桐蔭横浜大学いうところで準優勝まで行ったんですけど。今年の夏が勝負ですね。

――それで三男が「ピピくん」こと、レアル・マドリードの中井卓大(たくひろ)選手なんですよね。

中井 ええ。ピピは、スペイン行ってもう8年目になりますね。

――ワールドワイドというか、ダイナミックな家族ですね。6人家族のうち4人がスペインに住んでいるという……。

中井 うち自由なんで、好きなようにしろと言ってますね。行きたいところ行って、やりたいことやるみたいな感じですわ。

――ご兄弟3人は酒蔵を継がれて、生まれた場所にとどまっているわけじゃないですか。地球の裏側にあるスペインで暮らしているというのとは、いってみれば……対極ですよね。

中井 ぼくらの時代は、海外に遊びには行っても住むような発想はなかったですからね。しかも酒造りって冬忙しくて夏ヒマという特殊な仕事なんで、冬の忙しい時期でも無理難題言えるのは兄弟がいちばんかなと。

右が中井孝社長=中井汰浪さん

◎三兄弟が醸す近江の酒「浪乃音」

――先ほど話にあがった余花朗さんが「浪乃音酒造」の8代目、お父様の國雄さんが9代目、そして汰浪さんが10代目の蔵元になるわけですね。

中井 父は交通事故でわたしが19のときに亡くなりまして、母親が入って経営していた時期があるんですが、30くらいのときに10代目として蔵を継ぐことになりました。

――お父様の代までは杜氏を招いて酒造りをしていたのが、現在は次男の(ひとし)さんが杜氏をされているということですが、きっかけは何だったんですか?

中井 もうね、杜氏がいないんですよ。70歳でも若手になる世界なんです。

――それは俳句以上の高齢化ですね……。

中井 ですからほんまに自分たちで覚えなあかんという感じやったんですよ。「蔵元杜氏」って、ぼくらが走りやったと思いますわ。あとからどんどん増えてはきましたけどね。

――それで三兄弟で能登杜氏に弟子入りをしたと。

中井 金井泰一という杜氏に恵まれて、すごくいい勉強をさせてもらったんです。そのなかでの条件のひとつが「兄弟3人で」というものやったんです。

――どういう意図からの条件だったんでしょうか?

中井 「5年で覚えてくれ」って言われたんです。ふつう、酒造りって5年じゃ覚えられないんですよ。でも3人いれば3倍みたいな感じでね。電話も出るないうくらい厳しかったんですが、それでも7年来てもらいました。5年で辞めるという話だったんですが、2年延長して来てもらって、8年目から自分たちだけで造り始めたんです。

――弟子入りの前から、それぞれ酒造りには関心があったんですか?

中井 いやいや。ぼくら使命感から入ってるんで。酒造りやりたいとかそんなんじゃなくて、やらんと「浪乃音」なくなるぞみたいな危機感でした。でも、ものづくりは楽しいんでね、やりだしたらハマったみたいな感じです。

――ちなみに汰浪さんからは、3兄弟のキャラクターってどんな感じに見えてるんですか? 自分のことなので説明しづらいかもしれませんが。

中井 バラバラですよね。杜氏やってる次男は、きっちりやるタイプですね。計算高いというと変ですけど。

――杜氏さんは、研究肌のイメージです。

中井 いちばん下の弟は麹屋なんですけど、まじめですわ。やるいうたらやる、やらへんいうたらやらへんみたいな。やりだしたら何でもできる男。で、ご覧の通り、ぼくはええかげんな男なんでね。

――おおらかで包容力があると(笑)

中井 奥さんどうしも仲良くやってくれてるし、しぐれの息子も来てくれてるんです。

――本当に家族経営ですね。お父様の代はちがったんですよね?

中井 17、8年前までは、キリンビールの特約店で問屋もやってたんです。お酒の配達もやってたわけです。ビールも割引ができるようになって儲けも少なかったんで、「浪乃音」一本でやるようにしたら、夏の時期がヒマやったんで、夏季限定で「余花朗」という名前で鰻屋をはじめることにしたんです。

――滋賀って鰻って有名なんでしたっけ? 

中井 有名な店はいくつかあるんですけど、この辺は多くはないですね。最初はフレンチやろうと思ってたんですけど、年中やらなあかんでしょ。そしたら懇意にしてる鰻屋さんが、ほんなら鰻やってみるか言うて、6月から9月の夏季限定ではじめることにしたんです。

――どのエリアからのお客さんが多いんでしょう?

中井 県外のお客さんは多いですね。東京のお客さんとかもいますけど、やっぱり関西方面かな。逆に地元の人が少ない(苦笑)

――完全予約制といわれると、ちょっぴりハードルが高いですよね

中井 営業はお昼だけですし、値段もそこそこするんで、一日ゆったり旅行して帰るみたいな方が多いかもしれませんね。

――通常であれば、いつごろまで予約は取れるんですか?

中井 今年の分はもう予約が入ってきてます。去年も7月20日くらいまでは営業してたんです。8・9月もびっちり予約が入ってたんやけど、万が一店で感染者でも出たら「浪乃音」にひびく言うて、みなさんに電話してキャンセルさせていただいたんです。

余花朗でのたのしいひととき。句会もできます!

◎進化する日本酒の世界

――ぼくもお酒好きで飲むんですけど、やっぱりここ10年くらいで劇的に美味しくなりましたよね。汰浪さんから見て、ここ10年くらいでいちばん変わったことって何か教えていただけますか。

中井 すごい変わってますよ! 吟醸、純米酒、古酒とブームも変わってますし。もうどれが美味しいってのも難しいくらいたくさん美味しいお酒があるんでね。だから逆に自分の好みってのが変わらないんだなと思うようになりました。

――汰浪さんの好みはどんな感じのお酒ですか?

中井 どっちかいうたら一年くらい寝かした、甘い感じのお酒を濃いめの味の料理に合わせて食べるのが好きなんですよ。

――まさに鰻のタレのような。

中井 そうそう。でもスッキリした味わいのお酒も好きですよ。発泡系の濁ったお酒とかも飲んだりします。もともとお酒弱かったんで、外でたら仕事では飲むんですけど、家ではまったく飲まなかったんですよ。でも今回のコロナのせいで……もう毎晩飲んでます(笑)

――やっぱり晩酌は日本酒ですか?

中井 ちょっとビール飲んで、日本酒飲むみたいなかたちで。50歳にして晩酌はじめたみたいな(笑)

――それYoutubeとかで中継したらいい宣伝になるんじゃないですか? 「蔵元の晩酌」っていう番組つくったりして…(笑)

中井 好みってあるんですよね。蔵にいま飲みたい酒取りにいくと偏りが出るんです。「あっ、俺はこれ持って帰らへんのやな」って気づく。以前は「浪乃音」でオススメを訊かれたら「全部美味しいですよ」って言うてたんですが、最近はいま飲んでる酒をオススメするようになりました。

――ほかにこの10年で変わったことありますか?

中井 ぼくらが酒造り教わったのはだいぶ前なんで、もう二世代くらいは進化してます。福島の「天明」さんの酒造りを息子伝いに聞いたりするんやけど、ぜんぜんちがう。何が違うって、いちばんは設備がちがうんです。

いまは「火入れ酒」っていうのがよく出ていて。火を入れない「生酒」っていうのは、杜氏の腕で何でもカバーできるんですけど、「火入れ」の場合は設備なんです。何千万という設備を買えば、誰でも美味しい酒ができる。だから設備投資のできる蔵しかいい「火入れ」はできないですね。だからうちは「生酒」がけっこう多いです。

――でも、「生」も冷蔵技術とかが進んで、だいぶ手広く飲めるようになりました。

中井 そうですね。うちはオススメを訊かれたら「生」を勧めるようにしてるんですけど、いまは「生」みたいな「火入れ」の酒もあるんです。ぼくらでもどっちかわからないのがある。ここ最近の話ですけど、すごく技術が上がってます。

――お米の味自体はあまり変わってないけど、作るプロセスが変わっているということなんですか?

中井 お米もだんだん変わってます。一言でいえば、だんだん「かたく」なってると思います。ふっくらとしたイメージのある山田錦でさえ、「かたく」なってる。

――お米が「かたい」というのは?

中井 ちょっと専門的な話になりますが、昔だったら吸水を縮めてシビアに作っても「やわらかい」お酒になったんです。でも最近は、米が「かたい」から水にしっかりつけないといけない。温暖化とか気温の変化とかありますよね、きっと。だから、兵庫や滋賀でとれる山田錦よりも北の方でとれる山田錦のほうがいいお酒が作れるかもしれない。


◎「酒米」へのこだわり

――酒米は毎年同じ契約で同じ農家から買われているんですか?

中井 いえ、ほとんどは問屋さんから買ってます。米の出来は毎年違うんですけど、でも見ればだいたいわかるようになってきます。

――酒造のラインナップを見ると、けっこういろいろな酒米を使って作られていますよね。「渡舟」や「愛山」は、ぼくはいままでに飲んだことはない酒米です。米のこだわりがあれば教えてください。

中井 ぼくらは「かたい」米が苦手やから、「やわらかい」米を選んで買ってるんです。滋賀には「玉栄」という酒米があるんですけど、それはもう使ってない。「渡舟」なんかは山田錦のお父さんなんで、すごくつくりやすいですし、「愛山」は山田錦の孫に当たる米なんです。

――たぶん初めての米を使うときって、初めて使う季語とおんなじで、商品が完成するまでのあいだに、かなり隔たりがあるじゃないですか。どうやって「米」から「商品」のイメージを作っていくんでしょうか。

中井 酒造りって、いちばん難しいのは原料処理なんです。要は、吸水をどんだけするかということですね。吸水中の酒米を見れば何パーセントくらい吸ってるかはわかる。酒母の麹米ってちょっとしか作らないんですけど、そこで失敗したら蒸して純米酒とかに放り込んだりして、もういっぺん洗い直し。最近は失敗自体がほとんどないですけど、二回失敗することはないですね。

――これからチャレンジしてみたい酒米とかっていうのはありますか。

中井 いまね、クラウドファンディングで資金を集めて、滋賀県のお米をぜんぶ使った「オール滋賀」っていう酒を作りはじめたところなんです。もち米やふつうのごはんとかになる「うるち米」もぜんぶ集めて、磨いて、滋賀の酒作ろうと。

――すごい。面白い企画ですね。

中井 でもね、どうしても手に入らない米があったんです。商社が農家と契約栽培で作っていたりすると、外には出なかったりするのがあって。29品目のうち23しか集まらなかった。じゃあ「オール滋賀」って言えへんやん!ってことで、「オールモスト滋賀」ってことになりましてね。「ほぼほぼ滋賀」ですね(笑)それを今年作って、クラファンでいっかい出してみよと思ってるんですけど、もうね、「浪乃音」とはぜんぜん違う味になってます。

――23品目のうち、初めて買った米はどのくらいあるんですか?

中井 使ったことあるのは「山田錦」と「日本晴」と「イセヒカリ」3つだけかな。「きぬひかり」とか「こしひかり」とか、ふつうの米もありますから。ほとんど酒米じゃなくて飯米ですわ。

――飯米だといちばん何が違うんですか?

中井 やっぱり吸水時間ですね。長いこと水につけておかないといけないんです。どんなんなるかなと思って不安やったんですけど、甘味もあったし余韻も複雑さがあって。「浪乃音」の辛口純米と純米酒とオールモストを並べて利酒したら、オールモストは評判よかったんです。だから今年いっぺん出してみようと思ってるんです。

――昔は「禁じ手」だったのかもしれないですけど、最近は日本酒のブレンドも目にすることが増えてきました。

中井 毎月、店頭で計り売りをやってるんですよ。基本、うちのお酒ってぜんぶ「シングルモルト」なんですけど、計り売りならラベルも貼らんでいいから、何でもできるんです。「渡舟」の新酒と去年のやつをブレンドしたりとか。「山田錦」をブレンドしたりとか。メスシリンダーでブレンドして「これうまいやん!」ってやつを店頭に出してるんです。ブレンドすると美味しくなるんですよ。

――混ぜると複雑になるという経験則があるんですね。ブレンドをやってみようと思いたったきっかけは何ですか?

中井 ブレンドやりはじめたんは5年前なんですけど、売る酒の種類がだんだんなくなったことがきっかけですね。じゃあ「雄町」と「渡舟」混ぜてみよか、みたいな話になって、やってみたらものすごく美味しくてね。「ブレンド純米大吟醸」とか勝手に名前決めて(笑) 季節商品でなんですけど、二種類のブレンドしてる新商品も作って売ってます。あとは「中汲み」言うて、特殊なところとって出したりもしてますね、計り売りでは。

――「中汲み」も飲んだことないんですけど、どういう特徴があるんですか?

中井 タンクのなかから出した(もろみ)酒袋(さかぶくろ)に入れて搾るんですけど、はじめ搾って最初出てくるのが「新走り」で、濁ってるんです。それが透明になったところから「中汲み」で、出なくなってプレスして出したのが「責め」。「中汲み」がいちばん雑味が少なくておいしいとされてるんです。数があんまり取れないんで希少ですね。

「滋賀経済NOW」(2017年12月2日放送分)での中井さんのインタビュー映像。計り売りの様子も見ることができる。(8分23秒くらい)

――修行中の息子さんとは情報交換というか、いろいろ連絡を取り合ったりしてるんですか?

中井 情報交換もしてるし、福島まで遊びにいったときにはぼくも勉強させてもらったりしてるんですけどね、いろんな意味で福島はすごいですよ! 今、日本酒業界を引っ張ってるのは福島だと思います。

――実はぼく、生まれが福島なんです。毎年、金賞の数とか自慢げにしてますけど、あれはやっぱりすごいことなんですね……ちなみに「天明」〔曙酒造〕さんを選ばれたのは、どういう経緯なんですか?

中井 「天明」さんは先代の社長からよく知っていて、若いときから可愛がってもらってたんです。息子の孝市くんがね、蔵に入る前にちょっとだけですけど、酒造りしにうちに来たりしてたんです。そんときから、うちの息子のときは頼むでって話をしてて。いざ頼んでみたら、お嫁さんにも近くの酒屋さんのアルバイトを見つけてくれて、お世話になることになりました。

――なるほど。研修ってそういう仕組みなんですね。修行しながらお金が払われる。

中井 お金をもらいながら向こうで生活してるわけです。嫁さんは出産したのでもうやってませんが、それまでは近くの酒屋でアルバイトさせてもらってました。

――ちなみに杜氏さんを呼ぶときもお支払いするんですよね? それってどういう契約なんですか? 月給制なんですか?

中井 どうしてたかなあ……月給……いや、日給ですわ。そんで吟醸つくれる杜氏とつくれへん杜氏で相場が違ったような記憶がありますわ。能登杜氏よりは南部杜氏のほうが高いとか、そういうのもあるのかもしれないな。

長男のお子さんと。未来の蔵元かっ?

◎「寒造」と一口に言うけれど……

――歳時記には日本酒関係の季語がいくつもありますけど、実際にお酒をつくる仕事をされていて、ズレを感じることはありますか?

中井 酒蔵のことばってたくさんあるんですよ、ほんまに。たとえば「(こしき)」があったりとか〔米を蒸すために使う木桶のこと〕。掃除道具の一つを「ささら」と言ったりだとか。それが昔はぜんぶ季語やったらしいんです。でもね、いまの「ホトトギス」ではそういう言葉はぜんぶ季語じゃなくなってるんです。ひっくるめて「寒造」という季語になってるんですよね。たぶん「杜氏来る」も季語じゃないんちゃうかな。

――ぼくも「ホトトギス」の歳時記(稲畑汀子編)を使ってますけど、「杜氏来る」はないですね。ぼくが所属している結社では季語として認知されていて、〈杜氏来る松尾詣でのその足で 小野寺清人〉なんて句が出たりしましたね。

中井 「醪」とかも季語じゃないですよね。でもうちの祖父の代では、そういうのがぜんぶ季語として使われていたんですよ。それはちょっと淋しいなあと思ったりはしますね。

――いつか復活させたいと思ってたりしませんか?

中井 「坐禅草」って植物があるでしょう。あれも「ホトトギス」では季語じゃないんで、何か季語を入れなあかんかったんですけど、うちの番頭さんだったかなあ……うちの番頭も俳句やってたんですけど、誰かがきいたら、「すごいいい句を出してくれたら季語にします」って〔稲畑〕汀子先生から言われたって。

――ということは、確約はとれてるわけですね。

中井 でも汀子先生の心に響くような句を作らんとあかんいうことですね。

――でも、もともとは季語としても使われていたものなら、ゼロから作るというわけではないで、そのへんは見込みがあるんじゃないですか。

中井 角川さんとかだったら少し入ってるかもしれませんけど、いまはぜんぶ「寒造」にまとめられてしまってるので、そのへんを増やしていけたら楽しいかなとは思ってますね。

――やっぱり句集としてお爺さん、お父さんの「酒」の句がたくさん残っているわけですから、そこは継承していきたい部分はあるのかなと思います。

中井 そうですね。余花朗とか句鳰とかといっしょに句座を囲めたら楽しかったろうなあとは思います。

本棚には、3代にわたる「ホトトギス」がびっしりと….

◎酒米は「季語」のようなもの?

――琵琶湖はかつて芭蕉が愛していて、それこそ〈唐崎の松は花より朧にて〉とか〈行く春を近江の人と惜しみける〉なんて句を残してるわけですけど、俳句との縁を「浪乃音酒造」さんがつなぎとめているわけですね。

中井 近江にも芭蕉の跡を訪ねていろんな方が訪ねてきてると思うんですけど、高濱虚子って俳人は、ルールを決めたうえで俳句を広めたという面があると思うんで、ぼくらはそれに則って詠んでいるわけですけど。歴史にはそんなに詳しくないんですが、昔はもっといろいろなかたちで詠まれてきたんとちゃいますか。

浪乃音酒造のプロモーション映像。琵琶湖がきれい。

――それこそ虚子が「古壺新酒(ここしんしゅ)」という言葉で俳句の真髄を語ったことがあるんですね。ぼくが見たところでは1930年くらいのことなので、要は「花鳥諷詠」を理論化していく時期だと思うんですが。俳句の本質は「酒」と同じだと虚子が思ってたということは興味深い点です。

中井 ぼくはこの言葉すごい好きなんですけど、要は「伝統を守りながら新しいことにチャレンジしなさい」という意味だと思うんですよね。「古い壺」ってのは伝統で、「新酒」ってのがチャレンジ。新しい米つくるときも従来の技術があってのうえのことなので。

――それでいうと「酒米」は「季語」のようなものですかね?(笑)

中井 まあ、そうですかね(笑) 酒米はすごく大事な核になるんで、季語みたいなもんだと思いますわ。季語も増えたり減ったりしますけど、酒米もそうですしね。それにチャレンジするかどうかは、こっち次第ですし。

――それに読者サイドの嗜好みたいなものもありますよね。食生活とかブームも変化するのと同じように、俳句でも受け取り手の側が変化しますよね。

中井 でもね、究極的には変わらない部分も大事だと思いますよ。余花朗の言葉だったと思うんですけど、虚子先生みたいな人は別として、自分がええなあと思うような俳句って「一生に一句」くらいしか作れへんって言うんですよね。どこで判断するか言うたら、掛軸にして100年残しても恥ずかしないかどうかだって言うんです。

――でもそれだって自分だけがいいと思ってても仕方ないですもんね。いろんな人に愛してもらえるような句を作らないと……汰浪さんはいまはどんな環境で句座を囲まれているんですか?

中井 俳句会をふたつぐらい持ってるんですけど、俳句やったあとに「浪乃音」を飲むって会をやってるんです。飲食店さんと組んでお店の名前で参加者を集めるんですけど、最初は酒から入ったつもりが俳句も楽しいやんってなってて。みなさんハマってますね(笑)

――でも酒蔵の方で俳句やっている方って意外と少なくないですか? 昔は西山泊雲〔1877-1944, 丹波市の西山酒造場の長男として生まれる〕がいましたけど、いまは汰浪さん以外、聞いたことがないんですよね。

中井 ぼくも聞いたことないですね。西山さんも当代はやってないと思いますよ。

――やっぱり忙しいからなのかなあ……こんなに俳句と相性のいい職業もなかなかないと思うんですけど。SNSとかで募って酒造業界にも広めたらどうですか? 絶対ハマる人でてきますよね。

中井 忙しいから俳句できひんってのは言い訳ですね(笑) 蔦三郎っていう大阪の俳人が「ホトトギス」にいるんですけど、「俳句は忙しければ忙しいほどいいのできる」って言ってはりましたから。

店内の様子。

――去年からのコロナの影響はどのくらいありましたか?

中井 もちろん売り上げはすごい下がりましたし、家飲みが増えてるので一升瓶から四号瓶へ、四号瓶から3デシ〔300ml瓶〕って小さくなってますね。逆に計り売りは売り上げがすごく上がってます。

――さっきクラファンの話が出てましたけど、何か営業上の工夫などはしていますか?

中井 たぶん平常通りに戻っても外では飲まないって人が3割くらいはいると思うんですよ。その分は、自宅用に買ってもらえるようなマーケティング上の工夫が必要ですよね。オンラインショップを充実させたりとかね。「オールモスト」と並行してやってるのは、「酵素」のお酒なんです。

――どうしてまた「酵素」のお酒を?

中井 比叡山と堅田のあいだにある仰木ってところに有機栽培で発酵エキスを作ってる工場があるんですよ。酵素ドリンクって飲むのは女性が多いので、アルコールに抵抗ある人や妊婦さんでも飲めるように「ノンアルコール」の酵素のお酒を作ったんです。ふつう酵素にアルコールは入ってないんですけど、酒蔵で酵素使うのうちが初めてやから面白いかなと。作ってみたらすごくいい出来だったので、今年は「オールモスト」と「酵素」の二本立てで頑張ってみようと思ってます。

――お酒を飲みながら健康を志向するというのは時代ですね。

中井 「酵素」は、免疫力を上げ、腸内環境も整えるとされてますからね。いまのような時期には需要があるんじゃないかと思ってます。「酔うために飲む日本酒」じゃなく、「体のために飲む酒」ってのも作れるんじゃないかと思ってまして。これはコロナがあったからこそのアイデアですね。本当は、海外展開とかも意識してるんですけど、去年はコロナでぜんぜん動かなかったので。


◎お父さんは「実家で単身赴任」?!

――海外展開はやはり東アジアと西ヨーロッパが中心ですか?

中井 あとはカナダも行ってます。長男に「大学行くなら海外行って英語喋れる方がええんちゃう」言うて、オーストラリアに留学したんですね。最初は苦労したみたいですけど、英語喋れるようになって2年で戻ってきたんです。そのあとまたニュージーランド行って、そこでいまの奥さん見つけてきたんですけど、結婚資金貯める言うてカナダ行ってるときに「浪乃音」置いてもらえるルートを開拓してきてくれて。海外ではいまそこがいちばん多いかな(笑)

――ひええ。中井家はみんなたくましすぎますね…(笑)

中井 ええ加減すぎるんですわ。おまえらが失敗してもたかが知れてる言うか、いまの世界、ぜったい野垂れ死ぬことはないから、やりたい放題やれ言うてますね。娘も東京の大学行きたがってたんですけど、「せっかくなんやしスペイン行ったらどう?」言うて。「兄ちゃんは自分で金貯めてオーストラリア行ったんやから、自分でバイトして100万くらい貯めていったらどう?」って言うたら、ホンマに半年くらいで100万くらい貯めて向こう行きよりましたわ。

――じゃあ一時期、本当に汰浪さん以外、家族全員が海外暮らしだったんですね。

中井 まあスペインは住むところもあるしね。ぼく以外はみんな頑張ってますわ(笑)

――まさに大黒柱というか「ブレない軸」があるからこそ、家族みんなが遠心分離みたいに遠くに離れていけるんでしょうね。すごいなあ。最初のきっかけはピピくんだと思うんですけど、やっぱり幼いときからサッカーが飛び抜けてうまかったんですか?

中井 三人兄弟全員がサッカーやってたんですけど、長男が小3から、次男が小1から、ピピは3歳からやってるんでね。早いもの勝ちですよね。保育園くらいのときに落とさずに1500回くらいリフティングやってましたから。

――破格ですね。何歳からマドリッドに行ってるんでしたっけ?

中井 10歳から行ってます。最初はホンマに行けると思ってなかったんですけどね〔中井卓大選手は9歳のとき、日本人で初めてレアル・マドリードの育成組織(カンテラ)に合格〕。「行ってみるか」言うて、スペイン語習わしてね。そのときから、うちの家内が一緒に向こうに行ってるんで、ぼくは長いこと、実家で「単身赴任」してるんです(笑)

――6人家族で「実家で単身赴任」ってのは、おそらく日本中探しても他にいないと思います……。

中井 ピピも今年の10月24日で18歳になるので、本当の意味で正念場だと思います。

――ヨーロッパは18歳から「大人」ですからね。最近のプレー映像を見るかぎり、本当に堂々としてるというか、一サッカーファンとしてはすごく楽しみになってきました。体も出来てきましたよね。

中井 去年で身長も181センチだったので、いまは182くらいになってるかもしれません。体重も増えてきたんですよ。

――ええっ、そんなに大きいんですか! 今年は「飛び級」で19歳以下のチームに入って、新年早々ゴールを決めましたもんね。

中井 上手な選手ばかりで大変みたいですが、サッカーの事本当に好きなんだと思います。行けるところまで行ってほしいなと思ってます。

「ピピ」こと中井卓大選手、2019年の来日時のインタビュー映像。

――ちなみにピピくんにはこれから素晴らしいキャリアが待っていると思うんですけど、選手のあとは酒蔵にというような可能性もあるんでしょうか?(笑)

中井 いやいや、指導者とかのほうに行くでしょう(笑)

――でもぼくの世代だと、中田英寿さんが日本酒の仕事をずっとされてるので。ひょっとしたら……と思って。

中井 中田さんには一度しかお会いしたことないんですけども、本当だったら指導者のほうに戻ってほしい方ですよね。知性もあるし。

――いやあ、今日はほんとうに楽しいお話ありがとうございました。

中井 帰ってきたらぜひ余花朗にも来てください。俳句の方と来ていただければ、ぼくも句会に入れますので……(笑)

――ぜひ、いちど堅田まで伺わせてください。次はリアルでお会いいたしましょう。



【プロフィール】
中井汰浪(なかい・たろう)
本名・中井孝。1970年2月6日、滋賀県大津市生まれ。1991年、京都経営経理専門学校卒業。1992年、西田酒造入社。1993年 浪乃音酒造(株)入社、この頃、俳句を始める。2005年 浪乃音酒造(株)代表取締役社長就任。

【自選10句】 

水打つて堅田百軒よみがへる

この宿の最後の萩の客となる

酒蔵の井戸のあたりの寒さかな

湖西線遊び疲れし夏帽子

虫の声隙間だらけの家の中

天高しファーストシューズ履いて立つ

友情の永遠となる卒業式

香水や美女も悪女もなかりけり

酒蔵をしても過ぎたる寒さかな

良き醪寒さ纏つてをりにけり


【「シゴハイ」のバックナンバー】
>>【第3回】脇本浩子(イタリア食文化文筆/翻訳家・俳人)
>>【第2回】青柳飛(会議通訳・俳人)
>>【第1回】平山雄一(音楽評論家・俳人)



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