ハイクノミカタ

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女【季語=鞦韆(春)】


鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし

三橋鷹女
(『白骨』)


 〈鞦韆〉はブランコのこと。古代中国では、冬至の後105日目の日に乙女が鞦韆に乗って遊ぶ風習があった。唐代の漢詩では、春の景として詠まれている。

 幼い頃、祖母がブランコに乗る私の背をよく押してくれた。やがて、自分で足を動かし漕ぐことを覚えた。気が付けば、仲間達とどこまで高く漕げるかを競うようになっていた。ブランコは、人気遊具で順番待ちをする子供も多かった。自分よりも幼い子供が待っているときは、先に譲るよう教えられた。戦後40年が過ぎバブル期突入の頃であったが、譲り合いの精神というものを叩き込まれた。

 当時、毎週日曜日の夜に『ハウス食品・世界名作劇場』というアニメが放送されていた。『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』が有名だ。私が見たのは、再放送も含めて『ペリーヌ物語』『牧場の少女カトリ』『小公女セーラ』などであった。少女が主人公の場合は、生きるための強さを秘めながら奥ゆかしい性格のキャラクター設定がなされていたように記憶している。自分が苦しくても、人に譲る、他人の罪をかぶる等、今見るとかなり苛立つ場面が多い。子供向けの番組であったため、道徳的な一面もあったのであろう。人に譲る、欲しがらないという思想が知らず知らずのうちに身についていった。

 姉と二人姉妹であった私は、玩具や食べ物を巡って喧嘩になることが多々あった。「お姉さんなんだから妹に譲りなさい」と言われ続けた姉は、いつも泣いて私に辛く当たった。いつしか私は、姉に忖度をして譲るようになった。姉の顔色を窺うというよりは、人に譲るという優越感に浸りたかったからであろう。この思想は、大人になっても続き、面倒な仕事も人に譲ってしまう時がある。助言をしたり手伝ったりして、成功すれば担当者だけの手柄となる。相手に花を持たせたせるための黒子であることが楽しかった。

 女性は、物に限らず恋でも人に譲ってしまうことがある。その背景には、幼き頃に植え付けられた道徳観が働いてしまうからであろう。

 一方男性は、狩猟者のごとく恋を掴み取ってゆくイメージがある。『源氏物語』の宇治十帖では、匂宮が友人の薫君の恋人である浮船をだまし討ちのように寝取ってしまう。浮船もまた匂宮の情熱的な態度に心惹かれてゆく。夏目漱石『こころ』に登場する先生もまた、親友Kを出し抜く形でお嬢さんに求婚する。お嬢さんと先生の婚約を知ったKは自殺をしてしまうことになるのだが。男性は、子孫を残すという雄の本能が働くため、恋を譲るなどということはしない。愛は奪うものなのである。

 2010年のルミネのキャッチコピーは「ちゃんと欲しがる女だけ、欲しがられる女になれる」(コピーライターは尾形真理子氏)であった。このキャッチコピーは、現代の女性を象徴している。今は、女性が愛を奪う時代なのだ。

  鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女

 当該句は、終戦間もない頃、五十歳を超えた鷹女によって詠まれた句である。戦後の復興の最中、人は他人を蹴倒してでも生きなければならなかった。女性もまた強く生きなければならなかった。と同時にこの句は、青春時代を戦争に費やした若者達や次世代の若者達へのエールのようにも思える。

 大正時代に流行した「ゴンドラの唄」では、〈命短し恋せよ乙女〉と歌われている。平塚らいてうが「新しい女」として女性からの支持を集めていた時代である。それまで受け身であった女性が、行動し始めたのだ。しかし、女性が参政権を獲得できるまでには、長い時間を要した。女性は奥ゆかしくあるものという思想を払拭することは、困難な道のりであったのだ。

 女性は、男性から見初められて恋をするか、親の決めた相手としか結婚できなかった。女性には選ぶ権利がなかったのである。女性が好きになった男性に積極的にアプローチをするのは、はしたない行為と思われていた。相思相愛の仲になっても、男性により有利な縁談があれば、相手の幸せを願って身を引いたのである。

 そんな時代において、女流俳人である鷹女が〈愛は奪ふべし〉と詠んだことは、女性に大いなる勇気を与えた。2010年、30代独身OLであった私が通勤電車の窓辺にて目にしたルミネの広告看板「ちゃんと欲しがる女だけ、欲しがられる女になれる」と同じぐらいのインパクトがある。あの頃の恋人は、仕事が忙しく仕事で苦悩していたので、欲しがってはいけないと思っていた。仕事が忙しいことを分かっていても、どうしても逢いたいという気持ちを伝えるべきであった。女性の我が儘は、愛の証なのだから。奥ゆかしく生きていたら愛は得られないのだ。

 ブランコを漕いでも漕いでも人は空を飛ぶことができない。求めても求めても得られない空しさ。諦めてはいけない。人を傷つけでも奪わなければならない時が人生にはあるのだ。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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