ハイクノミカタ

薄氷の筥の中なる逢瀬かな 大木孝子【季語=薄氷(春)】

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薄氷の(はこ)の中なる逢瀬かな

大木孝子
(『柞繭』)


 梅の咲く庭園の池が薄い氷で覆われているのを見たことがある。春の氷は気泡を含まないため透明で表面にはいくつもの風の筋が交差している。ひと目で壊れやすいことが分かる。陽矢が氷の下の藻を揺らし、二匹の鯉が口を寄せ合っていた。陽当たりの良い藻を食べているだけなのだが、見てはいけない逢瀬を垣間見た気持ちになった。

 恋とは「秘め事(ひめごと)」とか「密事(みそかごと)」とも言い、人に知られてはいけないものであった。男女の逢瀬はまさに二人だけの筥(はこ)の中のものなのである。

 『万葉集』では、〈玉櫛笥(たまくしげ)(おほ)ふを(やす)み開けていなば君が名はあれどわが名し惜しも〉と詠まれている。この歌は、鏡王女が藤原鎌足とひと夜を共にした後に贈った歌とされている。〈玉櫛笥〉とは、女性が櫛を入れる箱で蓋が付いていた。「櫛箱に蓋をするように覆われていることに安心して、夜が明けてから帰られると人に見られてしまいます。あなたは浮名が流れてもいいかもしれませんが、私の名が噂されるのは惜しいのです」という内容である。密室での逢瀬を知られることは、女性にとって恥ずかしいことであった。男性は、恋の噂を立てられることを勲章のように思っているが、女性は隠したがるものなのである。鏡王女は額田王の姉という説もあり、天智天皇の妃であったが、後に藤原鎌足の正妻になったとも。天智天皇は、弟の大海人皇子(後の天武天皇)の恋人であった額田王を寵愛することになったため鏡女王を側近の藤原鎌足に下賜したという説もある。『万葉集』は、史書には存在しない恋物語を描くことがある。

 同じく『万葉集』には〈恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に()なゆめ〉という歌もある。「恋しい時は袖を振って私を呼んで下さい。でも決してうけらの花のように目立ってはいけません」という内容だ。うけらの花は秋に咲くキク科の植物だが、そんなに目立つ花ではない。逢いたい時は逢いたいと言って欲しいが人に知られないようにして下さいということであろう。

 現代でも仲間内や会社には内緒にして交際が始まることがある。独身の男女であれば堂々と交際宣言をしてもよいものだが、内緒にしてしまう。恥じらいの文化というよりは、男女の仲は秘すべきものという古代からの考え方が染みついているからであろう。オフィス恋愛を禁じていない会社でも結婚式の招待状が来るまでは、二人の仲を知らなかったというケースも多い。句会仲間でもそんなことはよくある。相手のことが好きであれば仲間に自慢もしたいし、自分の恋人だと釘も刺したいであろう。秘密にするのは不便だが、秘密が楽しいということもある。仲間に知られずにこっそり逢っているというのは、何とも刺激的である。

 『万葉集』では女性が逢瀬を知られるのを恥じらったが、現代では、女性の方が話したがる。特に、競争率の高い男性と恋仲となった場合は。逆に男性は隠したがる傾向がある。恋人のいる男性は敬遠されがちということもあるし仲間に冷やかされるのが恥ずかしいということもあるらしい。また、とある男性は交際が人に知られると結婚を考えなくてはならないので面倒とのこと。女性もまた、結婚を考えていない男性との交際は知られたくないと思う傾向がある。自由恋愛の時代においても逢瀬は、(はこ)の中の出来事なのだ。

 これが許されない恋だった場合は、なおさら(はこ)の中に納めておかなければならない。数年前、俳優の東出昌大さんと唐木えりかさんの不倫騒動があった。唐木えりかさんが妻子持ちの東出昌大さんと共演したのは、19歳の頃。若き女優は不倫の恋に苦しみ二人の関係をほのめかしてしまう。清純派女優としては(はこ)の中だけで納めてしまうべき関係であったが、若きゆえの抑えきれない情熱だったのであろう。結果、東出昌大さんは妻と離婚してしまい、唐木えりかさんは世間からの非難を受け仕事を干されてしまう。逢瀬の(はこはあまりにも脆かったのだ。※その後、東出昌大さんはまた別の女性との恋愛問題で干され、唐木えりかさんは復帰したらしい。

  薄氷の(はこ)の中なる逢瀬かな   大木孝子

〈薄氷の(はこ)〉とは、何とも美しい表現である。故郷にて、釣った魚をバケツに入れて生かしておいたが、翌朝バケツに氷が張っていた。魚を調理するためバケツをひっくり返したら、バケツの形のまま氷った器なかで魚が泳いでいた。それは、とても幻想的な光景であった。氷はすぐに崩れ、魚が地面を跳ねた。〈氷の(はこ)〉とは、脆く崩れやすい(はこ)なのである。どんなに隠していた逢瀬もいつかは大衆の目にさらされ苦しむのだ。フランス王妃マリーアントワネットとスウェーデン貴族フェルセンの禁忌の恋が露見してしまうように。二人は庭の隙間で逢瀬を重ねていたと想像されている。やがてフランス革命が起こるのだが。結ばれてはいけない恋、いつかは壊れてしまう恋は、薄氷のような光を放つ。

 当該句の背景は分からない。知る必要もないだろう。作者の想い描いた世界がこの句にはあるのだ。壊れやすい〈薄氷の(はこ)〉のなかでひと時の逢瀬を重ねる恋人達。いつしか〈薄氷の(はこ)〉は春の陽射しによって崩れ、二人の恋は露見し引き裂かれる。薄氷の破片が刺さり血を流すかもしれない。それでも逢わずにはいられない。そんな脆く危険な恋ほど刺激的で美しいものはないのだから。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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