前をゆく私が野分へとむかふ 鴇田智哉【季語=野分(秋)】

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前をゆく私が野分へとむかふ()

鴇田智哉


〈野分〉とは、野の草を分けるほど強く吹く秋の暴風のことで、主に台風による風のこと。

句中の動作の(ぬし)は〈私〉。その〈私〉が〈野分〉にむかって進んでいる。あえて暴風域に向かっていく〈私〉の心境を、読者は〈私〉となって想像するのは可能だろう。

しかし、掲句の眼目はその〈私〉が〈前を行く〉というところ、つまり〈前をゆく私〉である。

いったい、この〈私〉の後方から〈私が野分へとむかふ〉のを見ている動作の(ぬし)は誰なのだろう。

(わたし)」とは、「わたくし」のくだけた言い方で、一人称の人代名詞。現代では自分のことをさす最も一般的な語で、男女とも用いる。(Goo辞書より)

〈前をゆく〉のを〈私〉と呼んでいることから、〈前をゆく私〉を見ている動作の(ぬし)も〈私〉ということになりそうだ。

「私の前をゆく私が野分へとむかうのを、私が見ている。」

日常生活では起こりそうもない風景だ。ふと思うのは、夢のこと。皆さんは、夢の中に自分自身が第三者として現れる夢を見たことはないだろうか。そこでは〈私〉は〈私〉を見ている。

 前をゆく私が野分へとむかふ

掲句は日常とは違う〈私〉感により、読者に夢の世界のような不思議な感触を追体験させてくれる。夢といっても、ぼんやりした感じというよりは、夢の中での体験が鮮明なように、覚めながらも意識の地平が少しずれて、違う地平へ出るような快感といってもいいかもしれない。

実際、夢の中にいるときには、〈私〉はそれを現実だと信じているもので、夢を夢だと知るのは、目が覚めたときである。目が覚めない限り、今体験していることが夢か現実かは〈私〉には区別がつかないのだ。

しばらくここで、筆者にとっては「あなた」で、読者ご自身にとっての〈私〉を観察してみていただきたい。〈私〉の、体の様子、呼吸の様子、心臓の鼓動の様子、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の様子、そして心(感情・思考)の様子。

まさに今生きている、この〈私〉という感触、他の誰でもない〈私〉と知る意識。日頃当たり前で疑いもしないことだが、なんとも不思議だ。

例えば、筆者にとっていえば、なぜ、これを読んでいる「あなた」や、隣でピアノを弾いている夫が〈私〉ではなく、今この文章をタイプしている筆者が〈私〉なのだろう。

掲句に戻ろう。自分自身と感じる〈私〉は世界にたった一人だ。そして言語は違っても、そのように〈私〉を意識する個人は世界に70億以上いる。〈私〉という意識を表層意識と呼ぶとすると、それぞれの表層意識の奥は一つに繋っていて、それぞれの〈私〉の記憶を全て共有する深層の意識があるという。さらにその深部には人間以外の全ての生き物と、またその枠をも超え森羅万象全てと繋がる意識があるという。それは〈私〉というアイデンティティを含みつつ、それをはるかに超えた大きなアイデンティティー、あえていうならば「大きな私」。

 前をゆく私が野分へとむかふ

〈前をゆく私〉を見ている動作の(ぬし)は、「大きな私」。〈前を行く私〉の体験を静かに見守っている。

俳句はやさしく平明な言葉で書くのが良いといわれる。掲句は、やさしく平明な言葉で、人間の意識、〈私〉の不思議を体験せてくれる。掲句は読者を「自分との対話」に誘い出し、まだ見えぬ、もしくは、忘れていた何か、いつか思い出すであろう何かを予感させてくれる。

ピピピピ。ピピピピ。

あ、目覚まし時計の音。

すべて夢だったのか。

『エレメンツ』(素粒社、2020)

月野ぽぽな

「自分との対話」については、12月23日「手袋を出て母の手となりにけり」2月17日「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」に詳細あり。


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino



【月野ぽぽなのバックナンバー】
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