日まはりは鬼の顔して並びゐる 星野麦人【季語=向日葵(夏)】

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日まはりは鬼の顔して並びゐる

星野麦人
(「俳句年鑑」1944年日本文学報国会編)


星野麦人(麦丘人とは別人。念のため。)といえば、虚子とほぼ同世代の俳人であり、新派かつ秋声会で、古俳句に造詣が深い人物であり、筆者も折々に麦人編『類題百家俳句全集』(明治43~44年)を参照させてもらっていたりするのであるが、日本文学報国会編の「俳句年鑑」をぱらぱらめくっていたときに、その麦人の作があるのを見つけ、さてすでにベテランであった彼は、この企画にどんな思いでこれらの句を載せることにしたのだろうか、としばし考えた。

いまやいささか奇妙な権威を帯びつつさまざまな出され方をしている「俳句年鑑」という出版物の歴史はいつからはじまるのだろうか。軽く調べた範囲で最も古いのはホトトギスが出したもの(昭和8年)だけれども、いま一般に俳句総合誌の出している年鑑のようなものとは違っていて、それは一結社の年鑑であり、雑誌ではなく単行本というべき造本である。したがって、全国の俳人と結社を総合するという思想をもっている点で現代のものにもっとも近いのは、おそらく日本文学報国会編のものではないかと思う。逆に言えば、それまでは俳壇において全体の総合という意識の働きはなかった、ということができるのかもしれない。同誌の初めは、伊東月草の「昭和十七年俳句概観」からはじまる。おそらく子規の「明治二十九年の俳句界」などを意識して書いているのではないかと思うのだけれど、冒頭から個人の自由や芸術至上主義を否定し、皇道主義や全体主義を礼賛するので閉口する。そんな調子で戦時下の報国の思想の下に編まれた年鑑である以上、要は俳人にとっての踏み絵のようなものであったかもしれないのだが、一人五句載る諸家の句を読むと、まるで戦時下を感じさせないものから、報国まっしぐらのものまで、その作家の句の個性というより、その作家の空気の読み具合が見えてくるように思われる。従って先週紹介した「聖戦俳句集」編者の秋桜子などは、五句そろって〈なにはともあれ皇国万歳〉とでも下の句をつけられそうな句が揃えてあったりする。

  わが機翼群島をおほひ春たちぬ       水原秋櫻子

  遠つ御世の勝歌きこゆ建国祭

   シンガポール陥落三句

  シンガポール陥ちぬ春雪の敷く夜なり

  春の雪天地を浄め敵亡ぶ

  天明けて御旗かゞやきつ春の雪

他にも五句そろって勇ましい感じの句を出す俳人も少なからずいるけれども、多数とまでは言えないように思う。先週紹介した篠田悌二郎は「わが畑もおろそかならず麦は穂に」を入れているが、これは単体では戦時体制協力の句には見えない。句を読んだだけで戦時体制に媚びを売っている印象があるのは「梅の門われらいくさに斯くそなふ」くらいである。そもそも組織の頭である虚子からして

  一切の行蔵寒にある思ひ        高濱虚子

  水兵は今日梅の花あすはジヤバ

  日の本の武士われや時宗忌

  雪解けて何も無かりし笹の上

  騒人にひたと鎖して花の寺

こんな調子で、その他の多くの作家も一、二句程度はそのようなものにお付き合いしてはいるが、すべてまったく戦時を感じさせない句を発表している作家も少なくない。その辺り、作家のしたたかさとか矜恃とかが現れているような気もする。以下の夜半やたかしの句は面白い。

  早春の人のすくなく鹿多く        後藤夜半

  橡の花こぼれて常のけしきかな

  夕かげを待てるがごとき鵜籠かな

  真葛はやおのがかづらを巻きそめし

  けふの日のさぞ美しく霜白く

  懸崖に色鳥こぼれかゝりたる       松本たかし

  簗打つて山河引き緊む秋の風

  我が鳥屋と恵那の間の虚空かな

  山々と大空と居て鳥屋師老ゆ

  雪嶺の大を数ふや十座余り

さて、麦人の句。向日葵を「鬼の顔」と喩えた表現を他で見た覚えはない。戦時下といえば「鬼畜米英」とかのスローガンが浮かぶので、それにつきあった可能性はあるが、それを検証するのは難しそうである。むしろ、いったんそういうものを切り離して見た時に、この句の怖さ、ホラー具合の面白さが際立つのが、見るべきところなのではないだろうか。

橋本直


【橋本直のバックナンバー】
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一
>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ    堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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