ハイクノミカタ

鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波【季語=鳥の巣(春)】


鳥の巣に鳥が入つてゆくところ

波多野爽波
(『鋪道の花』(昭和31年))


過日、某Webニュースサイトで、鶏の卵が春の季語で歳時記にもある、という記事がでていてびっくりしたのだが、どうやら「鳥の巣」「抱卵季」の傍題である「鳥の卵」に鶏も含まれるという勘違いからきたものとわかり、なるほど俳句に関係の無い人にはそういうこともありうるのだな、と思った次第。では、実際に「鳥の巣」や「鳥の卵」を詠み込んだ俳句となるとどうかといえば、「鳥の巣」はそこそこ例句を拾えるけれども、「鳥の卵」はなかなか見当たらない。とある俳人に高屋窓秋「沼の日の鳥のうまるゝ卵かな」(「ひかりの地」『高屋窓秋全句集』(ぬ書房)所収)をご教示いただいたが、これとて季語「鳥の卵」として見て良い句なのか解釈は分かれよう。虚心坦懐に見た時、この句に季節感はあるだろうか。なぜに「鳥の卵」が詠みにくいのか、ということを思うと、巣と異なり年中卵を産む鶏の卵が邪魔をしているところもありそうだが、それだけではないのだろう。

掲句は、余計なことを一切省き、動作の瞬間のみを描写した句だと言われているようである。たしかにそのようであるが、それは爽波が「ホトトギス」の作家で、これこれこういう作句信条で、という周辺情報から埋められたコンテクストの補助線があってなりたつ解釈ではないだろうか。たとえば、「動物園に動物が歩いているところ」というとき、そんなの当たり前じゃん、と思う。が、思ったところで思考停止してしまうと気づかないことがある。そう、「動物」という名の動物はこの世にはいない。もちろん、「鳥」という名の鳥もいはしない。これらの季語は、記号であるところのある生物の種の総称、一般名詞と、それで名指された句の中の個別の記号の内容に齟齬が生じてしまうのである。いわば「鳥」とは、具象物ではなく情報でしかないのであるから、その記号の内容を読者がどのように落とし込むかで、解釈は自ずと変わるはずであろう。俳人は作者が不明でも季語でコンテクストを埋めて行くから、季が違うからこれはカッコウではないはずで托卵にきた鳥ではないと読むのかもしれない。しかし、そもそもこの句には、鳥の巣がその鳥の巣だとはどこにも書いてはいないのだから、托卵でなくとも、他の鳥の卵を食べに来た鳥かもしれないのである。飛躍するようであるが、この、情報を差異化しないシンプルな構造によって生じる読みの広がりが、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」にも通じるような、いかに読めるか時代を超えて語られてゆく作品の強度を生み出すものでもあるのだろう。

さて、掲句は昭和16年の作だから、爽波は18歳という若さである。現代では俳句甲子園があることもあって、18歳で見事な俳句を詠む人が少なからず(というかけっこうたくさん)いるというのを知ることができるので、もはや人はそんなことでは驚かないかもしれない。そして、そんな若い人たちはもしかすると、18歳で詠んだ句が一生涯の代表句となってしまう不幸を共有できる幸運をもっているのかもしれない。

橋本直


【橋本直のバックナンバー】
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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