帰るかな現金を白桃にして原ゆき【季語＝白桃（秋）】

帰るかな現金を白桃にして)

原　ゆき

　キャッシュレス社会なんだそうである。なんだそうであるなどと対岸を眺めるような悠長なポーズをとっているものの、テレビで喧しくペイペイと連呼しているのを聞いていないわけではない。スーパーのレジで列の前の人がさっとスマフォをかざして颯爽と去って行くのを目撃していないわけでもない。

　私の住んでいる市では、なんでもでもある期間「ペイペイ」での買い物にはさらに優遇措置があるらしい。てやんでいである。こちとらマイナンバーカードだって作ってないもんね。なんか金くれるらしいが、要らねえよ。（やせ我慢）

　聞くところによると（ググッただけだが）日本の電子決済率は世界でもかなり遅れているらしく、名うてのキャッシュレス社会韓国、中国に遠く及ばない。

　スウェーデンに至っては対GDPで現金使用率がなんと２％とか。モバイルの決済アプリがなければ食事もできない、バスや電車にも乗れないという社会だ。

　慶賀すべき素晴らしきキャッシュレス社会への進行が遅れているここ日本にいましばらく暮らせることに少しの安堵とため息の日々である。

　で、この句である。現金とモノの交換。経済の原則のような句である。気持ちいいなあ、この原則は。シーズンになって一段とみずみずしい白桃、食べごろにはまだ一日ぐらいあるというところだろうか、その美しい果実と貨幣の等価交換。このおいしさに払うのである、効能がよく分からない壺や印鑑に払うのではない、滴る水と甘い果肉という実質に払うのである。

　上五いきなり強い切字かなで始まるのも、その思い切りがうれしい。普通は〈現金を白桃にして帰るかな〉だろうが、これだと一気に平板に見えてしまうから面白いものだ。勤め先か会合かの帰り、最寄り駅を降りていつも通る八百屋の店先、ひときわ輝く白桃が目に入る。衝動的に財布から千円札を出すのである。

　白桃の匂い、商店街の雑踏とともに白桃と現金の交換がすっきりと肯定される。

　作者原ゆきの句集『ひざしのことり』より。同句集の秋の句は他にも

梨を切るたびに湖面の現れる

死体役すいっと起きて星月夜

など屈託なくすらすらと書かれている句の姿に好感。

（岡野泰輔）

【執筆者プロフィール】
岡野泰輔（おかの・たいすけ）
1945年、埼玉県生まれ。テニス、サッカー、はものにならず、退職前に出合った俳句にすっかりはまる。（よくあるパターン？）2004年「船団の会」入会。同会散会まで在籍。句集『なめらかな世界の肉』共著に『俳コレ』

【原ゆきさんの気になる句集『ことりのひざし』（ふらんす堂、2019年）はこちら↓】