もろ手入れ西瓜提灯ともしけり 大橋櫻坡子【季語=西瓜提灯】


もろ手入れ西瓜提灯ともしけり

大橋櫻坡子
(『引鶴』1952年)


著名な現代歌人に斉藤斎藤がいるが、まさか近代の俳人で姓を重ねた俳号を名乗る人が居たとは、というので記憶に残ったのがこの大橋櫻坡子である。仮名遣いの細かいことを言えば〈おほはしあうはし(おおはしおうはし)〉なのだろうが、声に出せば〈オーハシオーハシ〉。「山茶花」の創刊同人のようだけど、茶目っ気のある人だったのだろうか。句意は明瞭で、両手(片手にマッチの火、片手は風覆い)を入れて、西瓜提灯に火を灯したというのである。

まず季語について。多くの歳時記では、「西瓜」は近世以来の伝統を踏んで秋の季語だが、近代季語である「西瓜提灯」は、多く夏の季語である。それは変ではないか?となるのだけれど、西瓜は秋とはいえ、各種歳時記の解説を読むと、古くは1933年の『俳諧歳時記』(改造社)から最近の『角川俳句大歳時記』(2013年)まで、今では夏によく出荷されていて夏のものという印象が強いという内容で解説をしてあるので、近代以後の西瓜の派生季語の季節は夏でもOK、ということのようなのだ。しかし、よくもまあ80年も「今では」を継続しているものだと呆れてもしまうのだけれども、1933年の歳時記は両論併記で夏秋巻ともに立項して掲載してある一方で、2013年では秋巻のみの掲載だから、むしろ季節感の時代に即応する態度は後退していると言えるのかも知れない。その辺で一応一貫しているのが三省堂『ホトトギス俳句季題便覧』(2001年)で、調べた範囲では唯一「西瓜提灯」を秋8月に入れてある。さて、その「西瓜提灯」のことなのだけれども、改造社『俳諧歳時記 夏』によると、「西瓜又は瓜を刳抜きて中に蠟燭を立て燈を點じ絲にて吊るし柄を附したるものなり。野趣ある子供の玩具なり。」と解説がある。ハロウィーンよりはるか以前に日本にそんな子供の遊びがあったとは知らなかった。例句に「里の子や瓜提灯に宵遊び」(凡水)。作者凡人は未詳だが、出典が「同人」とあって、夏巻の編者が「同人」創刊主宰の青木月斗であるので、自分の弟子筋の作を入れていると解る。初出がいつなのか調べていないが、あるいはこの季語の歳時記入集の為に作らせた句かもしれない。角川書店『図説大歳時記 夏』(1973年)「西瓜提燈」の「考証」には、「俳諧雑誌」大正六年十月号に「西瓜提灯蔵の如くに窓明り 島道素石」を所出。」とあるので、この大正から昭和初期の辺りがこの季語の使われ出したころと思われる。素石も月斗の近縁者で、掲句の大橋も関西の出なので、もしかすると「西瓜提灯」という季語は、関東より関西でよく用いられたのかも知れないけれども、これはなお広範な調査を必要とする。

そして句集『引鶴』からわかることについて。本句集は編年体による編集で、年ごとにその年の出来事を抄出してある。この句が詠まれたのは昭和二十年。季語からして敗戦と相前後して詠まれている句ということになるが、さてそれでは戦前なのか戦後なのか。歳時記的には夏だから、普通に読むと戦前ということになってしまうが、どうやらそうではないようである。櫻坡子は東京勤務であったが、よく大阪に出張があり、前年九月に家族を故郷の滋賀県伊香郡木之本町(現在の長浜市木之本町)に疎開させていて、この年の二月には手放していた父祖の家を買い戻してそこに住まわせていた。掲句の前には「子らすでにふるさと言葉墓詣」がある。この句の前後はすべて秋の句であるから、櫻坡子は明らかに「西瓜提灯」を秋の季語として用いているとわかる。夏なのか秋なのか、実にややこしい。そして「西瓜提灯」は子供の遊びであると歳時記には解説があるが、この西瓜提灯に火を入れたのは、子供であったか櫻坡子自身であったか。作ったのが子供なら、火を入れるのも子供であろう。もし櫻坡子が灯したとしても、子供はそれをやりたがっただろう。折からの物資不足の中、「西瓜提灯」は、数少ない子供の遊びとしてできることであった。そして、この灯火を遊びとしてできるということには、やはり戦争が終わったよろこびを読み取っても良いのではないかと思うのだが、どうだろうか。

橋本直


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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