ハイクノミカタ

太宰忌や誰が喀啖の青みどろ 堀井春一郎【季語=太宰忌(夏)】


太宰忌や誰が喀啖の青みどろ

堀井春一郎
(『曳白』1971年)


堀井春一郎の句柄を手短に言おうとするとき、師山口誓子の即物性を骨格とし、日野草城的な主情性を強化して私小説の成分を濃厚に加えた作家、というとシニカルに過ぎるだろうか。私生活で変転が大きく、太宰治を含む近代文学に多く現れた才気ある破滅型の小説家にイメージが重なる。ために「情痴俳人」というレッテルを貼られたこともあるという。なんだろう、それ。

さて、『曳白』は全句集と銘打たれているものの、後書きで堀井自身が「およそ二千句近い作品を書いたことになるが、いまその中から自選してこれを七百三十八句に限定した。」と書いているので、全句集と聞いてイメージするものより自選集というほうが正しいかもしれない。掲句はそのうち「離騒抄」(昭和34~46年の作)から採った。句集名の元になったとおぼしき「曳白の明け暮れ紙魚を染みとして」の隣に並んでいる。「喀痰」(吐いた痰)を句に詠み込んだものをこれ以外に知らないが、啖を詠んだ句と言えば、子規の絶筆「糸瓜咲て痰のつまり仏かな」がもっとも知られていよう。

下五の「青みどろ」は池や川にもやもや生えている水草の名前で、本来は夏の季語である。それをもやっとした緑色の比喩として使ってあるのはなかなか大胆だし、「アオミドロ」という語感の不快もうまく利用している。緑色の痰は、肺炎や結核などで出るものという。太宰は肺浸潤で兵役を免れているからそれを連想させるし、入水自殺した人の忌日に水草を比喩で使うのも凝っている。あたかも太宰の亡霊が吐いた痰であるかのようなしつらえで、ちょっとやり過ぎの感さえある。さらに上五中七下五頭をア母音で韻を踏むだけではなく、合間にもア母音を多用して韻律を刻むことで、内容に比してあまり陰湿な句になっていないところも計算済みなのだろう。俳句が技術である側面をよく理解していた作家だと思われる。同章の夏の句には他に、「男容れ大砂丘いま大熱気」「月が出て浴衣芸者をすつぽかす」「梅雨の浅草球体に女失せ」「生きながら錆びゆく蛇の喉元よ」「米袋縊れてとどく梅雨アパート」「エレキギター梅雨鳩を消し母を消す」「兜虫泪蘿のほとりにて消ゆる」など。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【橋本直のバックナンバー】
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規



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