産みたての卵や一つ大新緑 橋本夢道【季語=新緑(夏)】


産みたての卵や一つ大新緑

橋本夢道
(「新興俳句アンソロジー」ふらんす堂より)


橋本夢道と作者の名前が書かれてしまうと、自ずとこの句の「卵」が三鬼の広島の「卵」と同様に、戦前~戦後の食糧不足の中で貴重なタンパク源であったころの、さらには貧困の中での特別感が醸し出されてきてしまう。だから、「や」に切れ字の、そこに込めた心の働きがあるように見えなくもない〈新鮮な卵が手に入ったのだ!〉。けれども、これはやはり子規の「春や昔」と同様に、切字ではない間投助詞の「や」で、「産みたての卵や一つ」が一つのフレーズとなって前半で12音のかたまりがあり、季語「大新緑」と取り合わせてあるのが主文脈と考えたい。「産みたての卵や一つ」で私(人間)の生活の中での感慨を詠み、わざわざ「大」をつけた「新緑」とセットで人間と自然とを対置する和歌以来の短詩の手順をきちんと踏んで詠まれている。そういいつつも、夢道的貧困の文脈(と仮に名付ける)の上に乗せて読んでいると、この「や」に「夏草や」と同じような、ある種の万感の思いが込められているように見えなくもないところがややこしい。たとえて言うなら、「~卵や」がボケで、直下の「一つ」で「やで切れとちゃうんかい!」とツッコミが入る屈折が一句の中に仕込んである。では、「新しき卵一つや大新緑」ではダメだったのか?

そもそも夢道は「卵」と書いてはいるが、「鶏卵」と書いているわけではない。もしかするとこの「卵」は、大新緑の中に産み落とされたばかりの野鳥の卵を詠んだ句であると読まれるかもしれないし、橋本夢道の名前がなければその読みの方が自然に感じられるのかもしれない。もしこの句が「卵一つや」なら、ますますそうであろう。しかし、そこで「卵や一つ」が効いてくるのではないのか。やはり、この「卵」は食べるものして生活の中に置かれてある、一つしか手に入らなかった卵なのだと思う。ところで、三鬼のあの卵、ほんとうは石橋秀野の見舞いに渡すはずのものを三鬼が食べちゃって云々というような奇妙なことが書いてある文を随分昔に読んだ記憶があるのだが、あれはなんだったのだろう。

橋本直


🍀 🍀 🍀 季語「新緑」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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