秋櫻子の足あと【第4回】谷岡健彦


秋櫻子の足あと
【第4回】(全12回)

谷岡健彦
(「銀漢」同人)


俳句を始めて名所旧跡を歩いて回る機会が増えると、つくづく昔の人の脚力に感心せざるをえない。なにも奥の細道を踏破した芭蕉とくらべて言うのではない。肺を病んでいた堀辰雄でさえ、なかなかの健脚だ。彼のエッセイ「浄瑠璃寺の春」を読むと、滞在先のホテル(おそらく奈良ホテル)から浄瑠璃寺まで二時間あまり歩き続けたという記述が見えて驚いてしまう。わたしなら途中の奈良坂あたりで、タクシーを拾おうとするだろう。いや、そもそも徒歩で行こうなどと考えたりしない。迷わず奈良駅から浄瑠璃寺行きの急行バスに乗る。

急行バスというだけあって、30分ほどで浄瑠璃寺に着く。ただ、本数が限られているのが難点だ。朝の9時から昼の3時まで12時台を除いて毎時1本、計6本しかない。しかも、最近は4月、5月、11月の観光シーズンしか運行していないらしい。バスは奈良駅を出発して市街地を15分ほど走った後、人家もまばらな山道に入ってゆく。このあたりは決まった停留所のない自由乗降区間だ。運転手に合図をすれば、自分の希望の場所で乗り降りができるという。あまりに融通無碍で、バスというより、巨大なタクシーに相乗りをしているような気分になる。終点で下車すると、細い参道の奥に見えるのが浄瑠璃寺の小さな山門である。

浄瑠璃寺の小さな山門、右手に馬酔木の花が見える=筆者提供=

浄瑠璃寺という古刹が、奈良から少し京都府に入ったあたりに存在することを、秋櫻子が知ったのは和辻哲郎の『古寺巡礼』を通してである。1927年に同書を初めて読んだ秋櫻子は、強烈な知的感興を催したらしい。戦後、文芸春秋新社から刊行され、数年前に講談社文芸文庫にも入った『高濱虚子 並に周囲の作者達』は、虚子の評伝である以上に秋櫻子の自伝という性格が強い一風変わった伝記作品であるが、本書に秋櫻子は『古寺巡礼』の読後感を次のように書き記している。「この書の内容は私の魂をゆすぶった。その日からものさびた大和路の古寺と、その金堂にひかり輝く仏像とが、私の眼の前を去らなかった」。

浄瑠璃寺は、和辻の著書のなかでも、ことに印象深く取り上げられている。和辻の一行は、昼過ぎには奈良市内に戻ってくるつもりで浄瑠璃寺へ出かけたのだが、思いのほか時間がかかってしまう。「山を出て里へ出たり、それらしいと思う山をいつか通り過ぎてまた山の間にはいったり」しながら、ようやく寺にたどり着いたところ、和辻は初めて訪れたにもかかわらず、本堂も三重塔も、その間にある池も「前にも見たというような気持ちに襲われた」という。既視感の原因を、和辻は、山中に浄土を模した寺院を造営しようとした平安時代の人びとの桃源を求める心と共鳴するものを、現代のわれわれがいまなお胸中に持ち続けているためではないかと考える。彼が結論として書きつけた一文がこれだ。「われわれはみなかつては桃源に住んでいたのである」。現代人の郷愁をそそる桃源郷のような寺――大和路に心を奪われた秋櫻子でなくとも、一度は訪れてみたくなる古刹ではないか。

ここで、ひとつ付言させてもらえば、秋櫻子が『古寺巡礼』に夢中になったのは、たんに奈良の古寺や仏像の魅力を伝える和辻の文章に引き込まれたからだけではなく、和辻の芸術観に共感したからでもあったと思う。和辻は聖林寺の十一面観音を例に引きつつ、写実はあらゆる造形美術の基礎だが、それは写真のような平板なものではないと説く。「芸術家は本能的に物を写したがる。がまた本能的にその好むところを強調する自由を持っている。この抑揚のつけ方によって、個性的な作品も生まれれば、また類型的な作品も生まれる」と和辻は考えるのだが、これは、主観を排した「客観写生」を金科玉条のごとく信奉する当時のホトトギスの連衆の作句姿勢に飽き足らないものを覚え始めていた秋櫻子にとって、首肯するところの多い主張であったにちがいない。

ともあれ、『古寺巡礼』の読了から2年後の1929年、秋櫻子も浄瑠璃寺まで足を運んだ。水原秋櫻子全集第18巻所収の「浄瑠璃寺」と題された紀行文を読むと、春雨の降りしきるなか、傘の持合せのない秋櫻子の一行は、和辻に劣らず山道に難渋した末、寺門をくぐったようである。雨を吸って重く咲き垂れている馬酔木の花や、九体の金色の阿弥陀仏が並ぶ本堂など、この山里の美しい寺は秋櫻子の胸に深い印象を刻みつけたらしい。すっかり遅くなって、猿沢池のそばの宿に戻った秋櫻子は、さっそく作句にとりかかる。紀行文「浄瑠璃寺」は、「僕は昂奮しているためか、疲れてはいるが少しも眠くない。まだこれから今日の句を作るつもりだ。ここに一句だけお目にかける」という文章の後、次の句が掲げられて結びとなる。

 馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺

後に第一句集『葛飾』の「山城の春」の部に収められることになる句である。まず目を引くのは、言葉遣いがきわめて素っ気ないことだ。眠気も吹き飛ぶほどの昂奮を覚えていたはずの秋櫻子だが、句の表面に心情はいっさい出てこない。述べられているのは、浄瑠璃寺の山門が、あまり高くは生長しない馬酔木よりもさらに低かったということだけである。しかし、この小さな寺の閑静な佇まいを、これほど鮮やかに切り取った視点がほかにあるだろうか。山深く分け入って瀟洒な古寺を見つけた秋櫻子の驚きや喜びも言外に滲み出ている。

ただ、秋櫻子が訪れたときはどうだったかは知らないが、いまの浄瑠璃寺の門は、目測ではそばの馬酔木より低いということはないと思う。作者が「本能的にその好むところを強調」した句、秋櫻子の言葉で言えば「文芸上の真」の句であろう。


【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。



【「秋櫻子の足あと」のバックナンバー】
>>【第3回】来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
>>【第2回】伊豆の海や紅梅の上に波ながれ
>>【第1回】初日さす松はむさし野にのこる松



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