秋櫻子の足あと【第3回】谷岡健彦

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秋櫻子の足あと
【第3回】(全12回)

谷岡健彦
(「銀漢」同人)


馬と鹿を並べて馬鹿と書く。どのような謂れがあって、このふたつの動物の字が当てられるようになったのかは知らないが、こと食物を選ぶことにかけては、鹿の方がよく頭が回るようだ。馬が食べると、まるで酒に酔ったかのように苦しむという木の葉を、毒があると知っている鹿は、最初から口にしようとしない。そのため、鹿が数多く生息している奈良では、この木は食害に遭うことがなく生育がよいと聞く。馬酔木のことである。

どこまで実証的な裏づけがある話なのか確かめていないが、まったくのでたらめということはないだろう。春日大社の神官の通り道、いわゆる「ささやきの小径」に、馬酔木が鈴なりになって咲き満ちているさまは実に美しい。「わが背子にわが恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり」という作者不詳の歌が、万葉集に収録されていることからもわかるように、古くから奈良の人びとに愛されてきた春の花である。

秋櫻子にとっても、馬酔木は重要な意味を持つ花だ。1923年、秋櫻子は池内たけしから「破魔弓」という俳誌の選者の役を任せられた。内藤鳴雪が名づけ親となった雑誌とのことだが、秋櫻子はこの誌名があまり好きではなく、新会員の獲得にもさほど積極的ではなかったらしい。それから5年後の1928年、実務を担当している佐々木綾華から会員数を増やす方策の相談を受けた秋櫻子は、誌名の変更を提案する。そのとき、彼の頭をよぎったのは、奈良で詠んだ自作<馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ>だった。以後、秋櫻子は「馬酔木」の雑詠欄の選句に力を注ぎ、石橋辰之助や高屋窓秋といった若手俳人がここから頭角を現してくる。秋櫻子の第一句集『葛飾』の発行元も、この「馬酔木」の発行所であった。

当時の句集の多くが季語別に句を並べていたのとはちがい、主題別の配列となっているのが『葛飾』の大きな特徴だ。冒頭の「大和の春」と題された章には、右に引いた句のほかにも、奈良の馬酔木を詠んだ句がいくつか収められている。今月は、そのなかから「三月堂」という前書が付された句を取り上げよう。

 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり

この句が初めて活字となったのは、「ホトトギス」の1927年6月号で、秋櫻子が34歳のときの作である。この年の春、秋櫻子は、勤務先の産婦人科医局のわずかな休暇を利用して奈良へと出かけ、秋篠寺から東大寺、さらに足を延ばして薬師寺や唐招提寺周辺を散策している。あふれんばかりの外光とともに、作者秋櫻子の若々しさが伝わってくる佳句だ。

掲句の眼目は、なんと言っても、上五の「来しかたや」だろう。この強い詠嘆に込められた意味の重層性が、句に大きな広がりを持たせている。東大寺の三月堂があるのは、大仏殿の東側の坂を登りきったところだ。秋櫻子は高みに立って、その日たどった行程をふり返ってみたのであろう。秋篠寺は西大寺の近辺に位置しているから、そちらの方向に目を向ければ、ちょうどかつての平城京の東端から西端を見やることになる。南都の壮大なパノラマを眼前にして、秋櫻子の詩心が刺激されなかったはずがない。

南都の壮大なパノラマ=筆者提供

あるいは、「来しかた」の指示内容をもう少し広げて、東京からの道のりと考えてもよいかもしれない。秋櫻子は、前日の夜行列車で奈良に来ている。産婦人科の医局に勤めていれば、いつ分娩や手術の仕事が回ってくるか、わからない。そうした東京での気忙しい日常から束の間の解放を手にした秋櫻子の目には、奈良の春野ののんびりとした風景が、いっそう好ましく映ったことだろう。

しかし、右のように掲句の「来しかた」を、ひとえに地理的な視点からのみ解釈しようとするならば、秋櫻子が前書にあえて「三月堂」と記している意図が見えなくなってしまう。自分の歩いてきた道をたどるべく、奈良市街を遠望するには、むしろ修二会が執り行なわれる隣の二月堂の舞台の方がふさわしいだろう。三月堂は、寺伝によれば建立が東大寺の創建以前にまで遡るという境内最古の建造物である。堂内には、国宝の不空羂索観音立像をはじめ天平時代の名高い仏像が並び、秋櫻子が訪れたときには、日光・月光菩薩の両像もここに安置されていたはずだ(現在は東大寺ミュージアムに移されている)。秋櫻子は、これらの仏像を前にして、この国の「来しかた」に思いをめぐらせたのではなかろうか。唐から律令制度を取り入れ、国の仕組みが整い始めた奈良時代は、日本の歴史を四季になぞらえれば、まさに春に当たる。以来、この国はさまざまなことを経験してきた。しかし、古都に春が訪れるたび、万葉人も愛した馬酔木が昔と変わることなく美しい花をつける――風景の描写のうえに、悠久の時間をたくみに重ねて詠んだ句だ。

また、この句は中七から下五にかけての調べの柔らかさが耳に心地よい。「野の日のひかり」と、「の」を三回、「ひ」を二回くり返したのが、駘蕩たる雰囲気を醸成しているのだろう。言葉遣いが少々甘くなるところを、上五を「や」で切り、下五を体言で止めるストレートな詠み方が救っている。このようなパターン化した詠法を嫌った秋櫻子だが、この句などを見ると、定型の持つ力の強さを感じざるをえない。


【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。



【「秋櫻子の足あと」のバックナンバー】
>>【第2回】伊豆の海や紅梅の上に波ながれ
>>【第1回】初日さす松はむさし野にのこる松



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