俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子

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【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

丹波は、現在の京都府の中央部と兵庫県の氷上郡(現丹波市)、多紀郡(現丹波篠山市)の旧国名で、古くから、京都と山陰、日本海と瀬戸内海をつなぐ要衝の地で、織田信長の西国攻略の先鋒として明智光秀、羽柴秀吉が名を成した。栗、猪、松茸等山の味覚で知られる山国で、池田、西宮、灘の酒造元では、「丹波杜氏」が担い手となった。

丹波篠山は「デカンショ節」で知られる譜代大名青山藩五萬石の城下町で、近くに日本六古窯の丹波立杭焼がある。 

丹波市は、日本中央分水界(日本海と太平洋或は瀬戸内海)で最も低い95メートルの石生の水分れで有名で、俳人では、近世女流俳人田捨女(柏原)、ホトトギス重鎮西山泊雲(市島)が知られ、同町の石像寺には、「丹波路も草紅葉して時雨して」の虚子の句碑がある。

峠見ゆ十一月のむなしさに    細見綾子

酛唄につづくくだかけ寒造    西山泊雲

芍薬や丹波の壷のざらざらと   阿波野青畝

丹波路のこゝ鮎茶屋で栗の里   星野立子

天の川氾濫したる山の国     沢木欣一

水分の神の放ちし蛍かな     山尾克代

ふろふきに吐く大息も丹波かな  高橋睦郎

湯豆腐に酒は丹波と決めてゐし  稲畑廣太郎

丹波栗毬の強情なるを呉れ    石嶌 岳

細見綾子の〈峠見ゆ〉の句は、昭和21(1946)年作で、第二句集『冬薔薇』に収録。「丹波・但馬の国境の峠がはるか西に見える。鉄道が出来るまでは重要な交通路で、母もこの峠を越えて嫁いできた。木の葉の落ち尽くす十一月になるとあたりがからりとして一層良く見える。空々漠々たる明るさの中に見えていた峠」と自註に記す。 

生地の旧氷上郡青垣町東芦田は、周りを山に囲まれた地で、今も白壁の塀と土蔵が印象的な生家が現存している。 

掲句には、12歳も年下の沢木欣一から求婚され、受け入れるかどうか葛藤する気持ちもあると解される。

細見綾子生家(丹波市観光協会

「大気澄みわたる虚無と虚脱感がある」(鈴木豊一)、「自然態で生きた綾子。掲句には境涯を受け入れて生きる人間の穏やかさがあり、その心に拡がる、明るい十一月のむなしさがあるのではないか。そんな人間の眼差しが捉えている峠」(市堀玉宗)、「掲句から、そこに見えている峠を越えようという気がしない。向こうに何があるというのか。峠の彼方の世界は訴えてこない」(西村和子)等の鑑賞がある。

綾子は、明治40(1907)年、父が村長を務めた素封家に生まれ、柏原(かいばら)高女卒業後、日本女子大に進学。太田庄一と結婚後僅か二年弱で死別し、同年母も病没して丹波の実家に戻った。肋膜炎を患い22歳で松瀬青々「倦鳥」で作句を始め、昭和17(1942)年、35歳での第一句集『桃は八重』上梓。原風景である東芦田は、その後も、数多くの俳句に現われる。句集上梓後、交友を得た沢木欣一から出征直前に託された句稿を整理し、同19年、句集『雪白』を刊行。終戦後、復員した沢木が金沢で創刊主宰した「風」の創刊同人となる。ほどなく沢木から求婚され、同22年結婚し金沢に移り、長男誕生後に第二句集『冬薔薇』で第二回茅舎賞(後に現代俳句賞に改称)を受賞した。同31(1956)年には、武蔵野市に移り、意欲的に句作に励み、同50(1975)年、第五句集『伎藝天』で芸術選奨文部大臣賞、同54年には、第六句集『曼陀羅』で蛇笏賞を受賞した。『角川俳句賞、蛇笏賞、日本詩歌文学館賞の選者を務めながら、第十句集まで刊行したが、平成9(1997)年9月6日、逝去。享年九十歳。句集は他に『雉子』『和語』『存問』『天然の風』『虹立つ』『牡丹』、『自註細見綾子集』『細見綾子全句集』、随筆集『私の歳時記』『俳句の表情』『武蔵野歳時記』等がある。

「構文は平易な日常語でありながらも、出来上がった句は、魔法の呪文のような謎めいた神秘感を誘い、しかも親しみ深い魅力をたたえている」(鷹羽狩行)、「四季の移りゆきの中に身を置き、自然の美や日々の生活に没入し味わい尽くすこと、つまり人生を蕩尽するための武器が俳句、したがって「素直」「正直」「写生」が大事との信念の俳人であった」(宗田安正)、「欣一は認識の詩としての俳句の「即物具象」を主唱したが、綾子は心象世界を描き、句風は生涯似ることはなかった」(角谷昌子)等の鑑賞がある。

旧柏原高等女学校(現たんば黎明館)

そら豆はまことに青き味したり

でで虫が桑で吹かるゝ秋の風 (生家近くの高座(たかくら)神社に句碑)

チューリップ喜びだけを持つてゐる

ふだん着でふだんの心桃の花

つばめつばめ泥が好きなる燕かな

藤はさかり或る遠さより近よらず (奈良)

鶏頭を三尺離れもの思ふ (金沢市尾山神社に句碑)

くれなゐの色を見てゐる寒さかな

見得るだけの鶏頭の紅うべなへり(十一月・沢木欣一と結婚)

雉子鳴けり少年の朝少女の朝 (旧柏原高女校舎前庭に句碑)

寒卵二つ置きたり相寄らず

つひに見ず深夜の除雪人夫の顔

雪渓を仰ぐ反り身に支へなし (月山)

能登の柚子一枚の葉を強くつく

女身仏に春剥落のつづきをり

古九谷の深むらさきも雁の頃 (金沢)

蛍火の明滅滅の深かりき

蕗の薹見つけし今日はこれでよし

老ゆること牡丹がゆるしくるるなり

再びは生れ来ぬ世か冬銀河

門を出て五十歩月に近づけり

素封家出身で,当時の女性しては極めて稀な、東京の大学への進学という環境から、最初の夫と母の死、自身の罹病へと一転し、その後俳句を心の支えとして精進した。

綾子の句でひときわ光を放つのは、第二句集『冬薔薇』の昭和21~24年にかけてである。結婚を受け入れるかどうかで葛藤する39歳の綾子の心境は、虚無感まで漂わせて凄まじい。翌22年鶏頭の花盛りの中、綾子はバッグ一つで沢木の待つ金沢に嫁いで行ったのである。  

(「青垣」3号加筆再編成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


<バックナンバー一覧>
【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
【第13回】神戸と西東三鬼
【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎
【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
【第7回】大森海岸と大牧広
【第6回】熊野古道と飯島晴子
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【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
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