広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第31回】田園調布と安住敦


【第31回】
田園調布と安住敦

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


田園調布は、東京都大田区の最西部に位置し、世田谷区や多摩川を隔てて川崎市と接する。大正7(1918)年、渋沢栄一が中心となって、英国で提唱された田園都市構想をモデルとした、日本初の庭園都市建設を目的とした田園都市(株)により開発され、同12(1923)年から都市勤労者(管理職)を対象として分譲された。

田園調布駅(現行)

関東大震災後都心から被災した富裕層が移り住み、高級住宅地となった。駅から同心円状のエトワール型の道路と放射状の公孫樹の街路樹、広場、公園が設けられ、日本有数の高級住宅地として多くの著名人が住む。近くには都内最大規模の田園調布古墳群(亀甲山古墳等)がある。

しぐるゝや駅に西口東口     安住 敦

停車場の灯のあかるくて秋近し  久保田万太郎

駅前の交番に焚く蚊遣香     杉木美加

光りかと見えて燕の来たりけり  西嶋あさ子

鵯を呼び田園調布冬めける     渋沢渋亭(栄一四男)

園丁の鎌研ぐ水辺蜻蛉生れ    今井千鶴子

月光にかき鳴らすギターは出鱈目  加倉井秋を

木々叩く鳥ゐて古墳山の秋    永方裕子

〈しぐるゝや〉の句は昭和21(1946)年の作で、第三句集『古暦』に収録。自註では「待ち合わせをした相手が西口に、自分は東口に出てしまったというアクシデントが契機となった句」とあるが、石川桂郎が逢引の句として含蓄ある鑑賞をしたことで、本人の愛着の句となったという。

「現代の都市風景の寸描。九つのイ音と五つのウ音による調べの妙と伝統の『しぐれ』と新時代の『駅』の取合せの面白さが眼目」(鷹羽狩行)、「出口の二つの駅、どちらに出て待てばいいのかの不安な思案に折から時雨れてきた」(清水哲男)、「時雨の夕暮から始まる映画の冒頭シーンのような印象の一句。人々が出会い、別れる駅頭はいつでも小さなドラマの始まる可能性を秘めている」(西村和子)、「時雨という芭蕉が愛した無常を感じさせる中世的な季語に、現代の都会の駅を取り合わせているのが斬新である」(小澤實)、「淡白さ。さりげなく置かれた〈西口〉と〈東口〉だが、人生の選択肢とも思える」(依光陽子)等々の鑑賞がある。

復元駅舎田園調布駅(東急電鉄)

安住敦は、明治40(1907)年、東京市芝生まれ。福島県立磐城中学の折、父が商売に失敗し帰京。立教中学卒業後、逓信官吏練習所(現郵政大学校)を経て、昭和3(1928)年、逓信省に奉職。橋田東声「覇王樹」に短歌を投じたあと、同じ逓信省の富安風生主宰の「若葉」、同10年からは、「旗艦」(主宰日野草城)でも活躍。戦時中は、日本移動演劇連盟に転職し、俳誌「多麻」を共同創刊した。同20年7月に38歳で応召、米軍上陸想定地の千葉県上総湊に配置され、対戦車自爆隊員として終戦を迎えた。

 てんと虫一兵われの死なざりし

同21年、久保田万太郎を擁して「春燈」を創刊。同22年には西東三鬼、石田波郷と現代俳句協会設立に参画するも同35年には脱退し、同36(1961)年に、俳人協会設立に参画した。同38年には万太郎急逝により、「春燈」主宰を継承した。随筆集『春夏秋冬帖』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。句集は、『古暦』『歴日抄』に続く『午前午後』で第6回蛇笏賞を受賞。俳人協会理事長、副会長を経て同57(1982)年に同会長となり、同59年には朝日俳壇選者となったが、多忙で体調を崩し、同63(1988)年81歳で逝去した。

「花鳥と共に作者が居て、風景の後ろに作者が居る。花鳥と共に人生があり、風景の後ろに人生がなければつまらない」と述べ、成瀬櫻桃子、鈴木榮子、黛執、伊藤通明、大嶽青児、西嶋あさ子等各々作風の異なる俳人を育てた。墓は目黒区の祐天寺にあり、「てんと虫」の句碑がある。

句集は戦前の新興俳句系の『まづしき饗宴』『木馬集』、戦後の『古暦』『歴日抄』『午前午後』『柿の木坂雑唱』『柿の木坂雑唱以後』他。随筆に『橡の木の陰で』(NHK文芸賞)『春夏秋冬帖』『東京歳時記』『市井暦日』等、俳句入門書『俳句への招待』がある。

「生涯を通じて抒情を吐露した市井諷詠の俳人敦は、平明・身辺・抒情という言葉が相応しく、東京人として粋でスマートで、センスが良かった。又多くを語らず作品を黙って残す人である。」(西嶋あさこ)、「外柔内剛、不撓不屈の精神は、俳句におもねても流行におもねることなく、わが身一つの句を貫き何事もおろそかにせず真摯に人生に立ち向かう」(成瀬櫻桃子)、「当代の『軽み』俳諧の代表者で、市井庶民の哀歓、その心理の機微を捉えあたかも一篇の私小説のようだ」(山本健吉)、「敦俳句のよさは、平凡の日常生活の中にぽつんと呟きのように漏らす言葉に詩片の輝きを見せる」(能村登四郎)、「生きとし生けるものへ向ける平等な眼差し。とぼけたような景の切り取り方。抒情と余韻、俳句遍歴の影響だろう」(依光陽子)等の評がある。

相寄りしいのちかなしも冬ごもり

秋かぜの妻の木馬と子の木馬

雁啼くやひとつ机に兄いもと

子を寝かせ湯にゆく妻に春の雁

春惜しむ食卓をもて机とし

鳥渡る終生ひとにつかはれむ

ランプ売るひとつランプを霧にともし

春の雁いまも焦土にことならず

啄木忌いくたび職を替へてもや

妻がゐて子がゐて孤独いわし雲

母が泊りに来る夏布団つくろひし

春昼や魔法の利かぬ魔法瓶

鳥帰るいづこの空もさびしからむに

門出でて十歩すなはち秋の暮

四月一日 三鬼逝去
四月馬鹿人の死に嘘なかりけり

久保田万太郎先生急逝
小でまりの愁ふる雨となりにけり

亀鳴くや事と違ひし志

美貌なる鱵の吻は怖るべし

豆めしや娘夫婦を客として

利根町
冬の雁の腹まざと見しさびしさよ

秋風や麺麭の袋の巴里の地図

手に負へぬ萩の乱れとなりしかな 

冬もみぢ晩年すでに始るか

木の実独楽一つ二つは作りけり

しんかんとあめつちはあり寒牡丹

浮御堂鳰の浮巣を秘中の秘

ひよんの笛さびしくなれば吹きにけり

雪の降る町といふ唄ありし忘れたり

身辺日常を詠み市井の哀感が通奏低音のように流れる、慈愛に満ちた句風である。貧しさを多々経験したにも拘わらず、人間としての品格を保ち、人に厳しいながら根本的にはやさしく、縁の下の仕事も厭わず、多くの俳人の人望を得た。礼節を重んじる明治男の気骨を有し市井の俳人を自認しつつ、俳人の個性を大事にした指導で、多くの逸材を育てた功績は極めて大である。

(「青垣」40号加筆再編成)  


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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【第30回】暗峠と橋閒石
【第29回】横浜と大野林火
【第28回】草津と村越化石
【第27回】熊本・江津湖と中村汀女
【第26回】小豆島と尾崎放哉
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【第24回】近江と森澄雄
【第23回】木曾と宇佐美魚目
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