千倉由穂・堀田季何「ゆれたことば」

【連載】「ゆれたことば」#2「自然がこんなに怖いものだったとは」堀田季何


【連載】

ゆれたことば #2
「自然がこんなに怖いものだったとは」

堀田季何(「楽園」主宰)


東日本大震災が起きた時、私は驚かなかった。震動にせよ、放射能にせよ、「未曾有」と言う言葉が相応しい災害であったものの、遠からずこのレベルの天災及び人災が起きることは、前世紀より予見していたからである。当然、政府や東電の酷い対応や国内マスコミの(政府発表を垂れ流すだけの)大本営発表も予見していた。東日本大震災はまだ終わっておらず、今も続いているが、2011年から2021年までの当事者たちによる愚行やそれに伴う多くの惨事も予見していた。

私は、超能力者でもなんでもないが、俳句・短歌以外の仕事が確率及び統計を扱うものであるため、古今東西の自然史及び人類史を俯瞰し、特に過去の地震や社会心理学、並びに行動科学の研究成果をある程度頭に入れ、日本という島国でシミュレーションすれば、東日本大震災のような天災及び人災が遠からず日本で起きること、しかも、すぐに収束しないことは、十分想定の範囲内だった。

無論、私のように予見していても、具体的な場所や日時を予知できなければ、恐るべき災厄の前に無力なのは言うまでもない……。東日本大震災が起きた時、私は驚かなかった。驚かなかったが、茫然となっていた。自分が何をすべきかがわからなかったからだ。それに、その後の自分の人生を考えても、何をすべきかがわからなかったからだ(仕事の案件がすべて消えてしまうことも予見できた)。

しばらくして、予見していた直接的及び間接的な人災が始まり(今も続いている)、私は、ただただ悲しく、ただただ悔しかった。怒りさえ込み上げてこなかった。大切な家族や家を失った人たちに比べれば、震源地から非常に遠い南関東の埠頭地区にいた私は非常に恵まれていた。天災の面では、津波被害はなく、地域は震度5強、地盤の関係上、拙宅はたぶん6弱程度の揺れに遭うだけで済んだ。シャンデリアは天井に当たって砕け散り、洋服箪笥の引き出しは全て部屋の反対まで飛んでゆき、私の枕の上には、箪笥の上に置いていた頭蓋大の石が着地していた(就寝時間だったら死ぬか重傷を負っていた)が、それだけで済んだ。原発事故の面にしても、放射能も飛び交っていたが、南関東では、身体を損なうレベルではなかった。ただし、原爆で一族の大半を殺されているので、政府及び東電の対応、並びに国内メディアの大本営発表が予見通りに現実化するのを目の当たりにして、吐き気が止まらなかった(いまだに気持ち悪くなる)。結局、生活に十年以上も暗い影を落としている大きな金銭的打撃以外の面では、私は被害者ではなかった。反面、原発問題においては、全日本人を含む全人類が当事者だと思っているので、私も当事者だというスタンスである。

さて、「ゆれたことば」としてまず挙げたいのは、多数の俳人たち、特に花鳥諷詠や季語を大切にする俳人たちの少なくない割合が口にした「自然がこんなに怖いものだったとは」という率直にして愚かな言葉である。私みたいに予見していても無力だったのは上述の通りだが、自然を怖いものだと思っていなかったのは、なにも予見していなかったというレベルの話でなく、これまでの人生、あなたたちは災害大国である日本に生きてきて何を見てきたのですか、と問いたくなるレベルである。自然を、俳句を作る素材としてしか見做していなかったのですか。自然を賛美することばかりに気を取られていたのですか。

太古より、多くの日本人は、地震、台風、大雨、火山、津波、大波、吹雪などにより命を落としてきた。東日本大震災ほどの規模でないにせよ、現在の激甚災害に相当する大災害は頻繁にあったし、激甚災害未満の大災害に至っては毎年のようにある。それなのに、「自然がこんなに怖いものだったとは」である。これに「もう同じ目で自然(や季語)を見られない」という言葉が続く。

本当に、東日本大震災によって「自然がこんなに怖いものだったとは」という新たな認識に至ったなら、少なくない俳人たちの脳味噌から(生きている間に起きた)過去の災害についての全ての記憶や知識が偶々抜け落ちていたのか、記憶や知識はあったものの、東日本大震災と(生きている間に起きた)過去の災害との死者数及び被害者の差だけでこの認識に達したのか、どちらかしかあり得ない。そして、前者のような「選択的集団認知症」は医学的にあり得ないだろう。となると、後者になるが、被害程度の差で自然への認識をいきなり改めるのは、あらゆる災害の死者や被害者にとって極めて失礼な話だろう。

畢竟、東日本大震災後に「自然がこんなに怖いものだったとは」と言い始めた俳人たちは、信用したくても、信用できない。どんなに良い人柄であっても、あらゆる災害の死者や被害者を貶めるこの言葉を吐けてしまう無神経さは、警戒に値する。

(次回は5月11日ごろ配信、千倉由穂さんの回です)


【執筆者プロフィール】
堀田季何(ほった・きか)
楽園」主宰、「短歌」同人、「扉のない鍵」別人。現代俳句協会幹事。



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 【#21】中国大連の猫
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第109回】川嶋ぱんだ
  3. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2021年10月分】
  4. 【#32】『教養としての俳句』の本作り
  5. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第1回】吉野と大峯あきら
  6. 「パリ子育て俳句さんぽ」【11月5日配信分】
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第61回】松野苑子
  8. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年12月分】

おすすめ記事

  1. 雷をおそれぬ者はおろかなり 良寛【季語=雷(夏)】
  2. きつかけはハンカチ借りしだけのこと 須佐薫子【季語=ハンカチ(夏)】
  3. 影ひとつくださいといふ雪女 恩田侑布子【季語=雪女(冬)】
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第5回】月野ぽぽな
  5. 底冷えを閉じ込めてある飴細工 仲田陽子【季語=底冷(冬)】
  6. 餅花のさきの折鶴ふと廻る 篠原梵【季語=餅花(新年)】
  7. 蟭螟の羽ばたきに空うごきけり 岡田一実【季語=蟭螟(夏)】
  8. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2021年2月分】
  9. やがてわが真中を通る雪解川 正木ゆう子【季語=雪解川(春)】
  10. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年5月分】

Pickup記事

  1. 【秋の季語】穴惑
  2. 十薬の蕊高くわが荒野なり 飯島晴子【季語=十薬(夏)】
  3. 本捨つる吾に秋天ありにけり 渡部州麻子【季語=秋天(秋)】
  4. 一匹の芋虫にぎやかにすすむ 月野ぽぽな【季語=芋虫(秋)】
  5. 趣味と写真と、ときどき俳句と【#04】原付の上のサバトラ猫
  6. 霧晴れてときどき雲を見る読書 田島健一【季語=霧(秋)】
  7. 【夏の季語】滝
  8. 【冬の季語】花八手
  9. 【秋の季語】椎茸
  10. 湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり【季語=花曇(春)】
PAGE TOP