体育+俳句【スポーツと俳句】

「体育+俳句」【第1回】菊田一平+野球


体育+俳句
【第1回】
春隣

菊田一平(「や」「晨」「蒐」同人)


白球の滞空時間春隣  神野紗希

晩秋から年末年始にかけての新型コロナウイルスの猛威でまたまたの自粛生活が続いている。

いつものように何の気なしにネットサーフしていたらある掲示板で神野紗希さんのこの句が目に留まった。

運動不足で怠惰になっていた野球脳が、即座に反応して「白球」の句に食らいつく。

散文なら当然のごとく「滞空時間」の後にボールの在りようが描写されるはずだけれど、俳句の約束のごとの「切れ」がはたらき、省略された中七のその後の無言がいい具合に働いて想像力を刺激したのだ。

そんな滞空時間の長い特大のホームランを打つバッターをあれこれ想像してみる。

真っ先に思い浮かべたのは薬物疑惑で引退したサンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ。球場を越えてサンフランシスコ湾に水しぶきを上げて飛び込んでゆくホームランボールは爽快だった。次いでヤンキースのA・ロッド。

打球の行方を確認しながらゆっくりと走り出す姿は絵になった。

日本では西鉄ライオンズの中西太と阪神タイガースの田淵幸一が浮かんでくるが、彼らを凌ぐほどのパワーを見せつけたのが松井秀喜。メジャー移籍後、デビュー戦でヤンキース球場のスタンド席に打ち込んだ特大ホームランは今でも目に鮮やかに残っている。

更にはエンゼルスの大谷。二刀流のパワーヒッターとは聞いていたけれど日本ハムにいた頃はプロ野球ニュースでその活躍を知るだけだったが、ワールドベースボールの日本代表として出場し、強化試合の対オランダ戦で打ったボールが後楽園ドームの天井に入りこんでゲームが中断されたシーンには驚いた。結果は二塁打と判定されて試合が続行されたけれど、球場の設計者の想定を完璧に超えた超特大の飛球だった。

エンゼルスに移籍しての活躍は見ていてほれぼれとする。

ウエイティングサークルを出て、二度三度とスイングを繰り返しながら、バッターボックスに立つ姿はまさにホームランバッタ―の貫禄。ボールの見極めが完璧だ。好球と見極めたときのフルスイング。ひしゃげるような音を立てて打球は中空に飛び出し、白く小さく輝きながら空に吸い込まれてゆく。放物線の頂点に達したはずなのに空に張り付いたようにボールの動きが遅い。その行く方を見守っている人たちは、一様に大きく口を開けたまま身じろぎもしないでいる。

やがて聞こえる。スタンドの歓声。

そんな光景を脳裏に思い浮かべながら机の下からまだ固い新品のグローブを取り出し、指先を折り込むように突っ込んで、その土手にボールを何度も打ち付けた。狭い部屋にグローブに打ちあたるボールの音が渡り、そのたびに皮の匂いが立ち上がる。

そんなことをしながら「白球」の句に感じたささやかな違和感は何だったのかと反芻してみる。「大空に高々と舞い上がる白いボール」と「春隣」のはずむような心。取合せもいいし、向日性に富んで省略も効いている。

あれこれ考えて分かったのは「春隣」の在りようなのではないかと気付いた。

パソコンでこの句を目にしたとき、中七の「滞空時間」ですぐホームランボールを連想し、同時にそんな大飛球を打つバリー・ボンズや大谷に連想が飛んで行ったが、現実には「春隣」の一月末あたりは、大リーグも日本の野球もまだ春季キャンプに入る前後。休ませていた体を徐々にほぐし餡バウンドするて行く段階だ。まだまだフルスイングで打ち込みをするには早い。考えられるのは春の甲子園大会を目指して猛練習している高校球児たちか、なごやかに草野球に興じている人たちくらいのものだ。そう断定して「白球」の句を読み直すと状況を違和感なく受け入れ、あらためて「滞空時間」のゆったり感を楽しむことが出来る。

それはそれとして昨年の秋、ひょんなことから草野球チームに加入することになった。五十肩でずいぶんと悩まされて筋力の衰えを感じていたので何か筋力アップの運動をしなければとは思っていた。句会の二次会で草野球のことが話題になった。俳句仲間の一人が草野球を始めたというのだ。身を乗り出した。私より体重の重い彼が始めたのなら私にも出来ないはずはない。現役の頃は会社の野球チームでキャッチャーをやっていたのでずぶの素人ではない。小豆沢にあった会社の球場で柵越えのホームランを打った時は、あの柵を越えたのは高校生の頃の江川ときくちゃんだけだと驚かれたこともあった。そんなこんなで話がとんとん拍子に進んで指定の日に三鷹のグラウンドに勇んで出かけた。

ストレッチをしようと三十分前に到着してジャージとスパイクに履き替えた。腕を回したり腰を左右にひねりったりしながら球場の前を歩きだすとスパイクの分だけ身長が高くなって三十年前の現役時代に返ったように心が弾んだ。通路を二、三往復していると右足の底に違和感を覚えた。同じように左足も変。立ち止まってスパイクの底を見るとスパイクのイボが欠け落ちて平たくなっている。最後にスパイクを履いた時から三十年近くが経っている。これが劣化かと唖然とした。

唖然とする展開はさらに続いた。二人一組になってキャッチボールをすると相手の胸に向かって投げたはずのボールが、三メートルも手前でワンバウンドして届かない。これはいかんと力を込めるとコントロールが定まらなくて暴投になって転々とボールがグラウンドを転がって行く。守備練習では体がボールに追いつかない。打ち上げた飛球の距離感の判断が上手くいかない。セカンドに上がったフライにバックしたら打球が浅い。慌てて前に突っ込んだら足がもつれて地面におもいっきり顔を打ち付けた。打てない、走れない。スパイクの劣化以上に体の劣化が進んでいる。その夜の二次会は少々酩酊した。

あの日から昨年は二試合あったが目下は出たり入ったりしながらのライトで八番。多少監督のお情けが入ったライパチが定位置。あまりの情けなさに密かに隣町のジムに入会した。キャッチボールの相手がいないで近所のグラウンドのバックネット下のコンクリートの壁を相手に壁投げを始め、次は自転車で二十分ほどのバッティングセンターに通うつもりでいる。

つい一昨日監督からのチームの一斉メールで二月の中旬に試合を組んだと通知があった。

大きな声では言えないが、今年の目標は正捕手の座に就くこと。そして神野さんの句のように「滞空時間」の長い飛球をスタンドにかっ飛ばすこと。

独り書斎で黙々とグローブの土手にボールを打ち付けながらそんなことを考えている。


【執筆者プロフィール】
菊田一平(きくた・いっぺい)
1951年宮城県気仙沼市生まれ。「や」「晨」「蒐」各同人、「唐変木」代表。俳人協会会員。



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