俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第29回】横浜と大野林火

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【第29回】
横浜と大野林火

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


横浜は、神奈川県の県庁所在地で人口370万人を有する日本最大の市。幕末・安政六年の開港以来、様々な異国文化が入り開発が進んだ国際的な貿易港で、中華街が知られ、その後背地の「港の見える丘公園」辺りには、フランス山公園(旧フランス領事館跡)、教会、女学校、イギリス館、大佛次郎記念館、近代文学館、外人墓地があり多くの観光客で賑う。

外交官の家(神奈川観光協会)

白き巨船きたれり春も遠からず   大野林火

さみだれや船がおくるる電話など  中村汀女

北欧の船腹垂るる冬鷗       秋元不死男

年暮るる今宵港の灯におぼれ    稲垣きくの

母校いまピアノレッスン遅日光   野沢節子

ゆく年や南京町に豚吊られ     成瀬桜桃子

花魁草外人墓地に咲きいでし    岡本 眸

教会の冷たき椅子を拭く仕事    田中裕明

ひとりづつ聖堂に消ゆ白木槿    片山由美子

教会の秋日の中に坐りけり     石田郷子

菊澄めり一人にひとつ聖歌集    四ッ谷龍

〈白き巨船〉の句は昭和10年の作で、第一句集『海門』に収録。自註で「横浜港風景。観光船は三月になると必ず訪れた。 船は見馴れている筈なのに、浮き浮きさせられたものだ。春のさきぶれだからであろう」と記す。「いかにも浜っ子の句」(大岡信)、「林火は、昭和6年12月末、3歳の長男、翌7年3月妻に先立たれており、それを下敷きに読むと『春遠からず』の措辞が、単に『白き巨船の来た』だけでないことも分ってくる」(榎本好宏)、「多くの色のなかで、白色が最も光を感じさせる。即ち『巨船』は、この時大きな光のかたまりである。来る春の光の」(清水哲男)、「横浜の大桟橋に着く真っ白な豪華客船。世界の海を巡って来たのだ。沖から春がやって来る」(松野苑子)等々の鑑賞がある。

横浜みなとみらい21(神奈川観光協会)

フランス山公園に昭和58年、掲句の句碑が建立された。大野林火は明治37(1904)年、横浜市生まれ。大正10(1921)年、旧制四高に入学後、「石楠」の臼田亞浪に師事した。東京帝国大学経済学部を経て、日本光機工業(株)に入るも程なく昭和6年、神奈川県立商工実習学校(現県立商工高校)教諭に転職する。同年12月に長男、翌7年3月には妻歌が逝去。失意の中、同8年冬に長塚登志子と再婚する。俳句は太田鴻村と共に「石楠」最高幹部となり、同14(1939)年、35歳で、亞浪の序を得た『海門』を上梓した。後書きに「家庭的な悲しみ、経済的な苦しさに、俳句は心の避難場所と共に活力の源泉であった。潮流は海門から大洋に向う。この句集を土台に更に深く俳句を掘り下げたい」と記す。

横浜海岸教会(東京湾観光情報局)

戦時中は、「ホトトギス」を閲覧のため丸ビルに通い、評論『高浜虚子』を上梓した。戦後の同21年、「濱」を創刊主宰し、精力的に句集を上梓すると共に、松崎鉄之介、野沢節子、村越化石、宮津昭彦、大串章、村上喜代子等を育てた。又「俳句研究」、角川「俳句」の編集長も務めた。昭和36(1961)年、俳人協会設立に尽力し、64歳の第八句集『潺潺』で同44年、第三回蛇笏賞を受賞。昭和俳句史とも言うべき『現代俳句大系』全十二巻の解説を執筆し、神奈川文化賞も受賞した。昭和53(1978)年、俳人協会会長に就任し、初代俳人協会訪中団団長として中国の詩人との交友を深めた。同57年8月21日、78歳で逝去。翌年に『大野林火全句集(上・下)』が刊行された。

「林火俳句の特色は『匂い』『余情』『残心』『余韻』であり、時流に流されずに自分に適った道を進んで来た俳人は少なく、加えて、老年の中の諦念というべき静かな境地を深めて行った」(山本健吉)、「景色の中に自分が入って、景色に包まれてゆく作風は、旅吟も日常詠も一つの大きな呼吸に包まれ、林火そのものになる。又自らの心を大きく遊ばせて詠い上げた虚に、実も自在に応じる。自己と自分の俳句を見つめる厳しさと認識を生涯貫いた」(宮津昭彦)、「人間性の暖かさ、卓越した指導力、俳人としての詩性の豊かさ、俳句とは何かを追求する精神の純粋さを併せ持つ俳人」(堀切実)、「近代俳句史の主流『俳句は写生であって叙情ではない』に対して、林火だけは『俳句は叙情』を貫いたが、その根底に『人間深耕』の強い精神と師亜浪の人間主義の精神を引き継いでいる」(大串章)、「瑞々しく肌理の細かい叙情の作風に加え、いかに老いんとするかを真剣に考える林火の瑞々しい感性、深くゆったりとした大きな息遣いに癒される」(村上喜代子)等々の評がある。上記以外に句集『冬青集』『早桃』『冬雁』『青水輪』『白幡南町』他。評論集『現代の秀句』『戦後秀句Ⅰ』他。

本買へば表紙が匂ふ雪の暮

子の髪の風に流るる五月来ぬ

梅雨見つめをればうしろに妻も立つ

あをあをと空を残して蝶別れ

こがらしの樫をとらへしひびきかな 

焼跡にかりがねの空懸りけり

ねむりても旅の花火の胸にひらく

つなぎやれば馬も冬木のしづけさに

昏くおどろや雪は何尺積めば足る(草津楽泉園・村越化石)

寒林の一樹といへど重ならず

鳥も稀の冬の泉の青水輪

火鉢の手皆かなしみて来し手なり(臼田亜浪逝去)

雪の水車ごつとんことりもう止むか(草津)

よべ踊りけさ朝月夜別れけり (木曾福島)

紙漉きのこの婆死ねば一人減る(舞鶴郊外黒谷)

飛騨涼し北指して川流れをり  

炎天に怒りおさへてまた老うも 

あはあはと吹けば片寄る葛湯かな 

山ざくら水平の枝のさきに村

鴨群るるさみしき鴨をまた加へ

蟇歩くさみしきときはさみしと言へ 

泥鰌鍋のれんも白に替りけり  

鮎山女膳に渓流あるごとし

冬の暮戻りて知りし通夜に行く

月明の書を出て遊ぶ紙魚ひとつ 

亞浪忌の馬齢のみ師に近づくや(亞浪二十三回忌)

白湯飲んで口かぐはしや枯るる中

萩明り師のふところにゐるごとし

若くして妻子を亡くした境遇から、脊椎カリエスの野沢節子やハンセン病の村越化石への愛情豊かな指導に加え、叙情派を代表する俳人として松崎鉄之介、野沢節子、村越化石、宮津昭彦、大串章、村上喜代子を育てると共に、「俳句」の編集長として、社会性俳句の沢木欣一『塩田』、能村登四郎『合掌部落』を世に送り出した。自身の実作に加え、後進の指導育成、作家論的鑑賞、俳人協会会長としての多方面の稀有な才覚には目を見張らされる。

           (「青垣」39号より加筆再編成) 

 

山下公園と銀杏並木(神奈川観光協会)

【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第28回】草津と村越化石
【第27回】熊本・江津湖と中村汀女
【第26回】小豆島と尾崎放哉
【第25回】沖縄・宮古島と篠原鳳作
【第24回】近江と森澄雄
【第23回】木曾と宇佐美魚目
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