広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子

【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

出水市は、熊本県境の鹿児島県最北部に位置し、北は八代海、西は東シナ海を望む。薩摩藩の関所跡があり武家屋敷跡が残る。市内大野原には海軍特攻隊の基地があった。  

出水武家屋敷(出水観光協会)

八代湾へ開けた干拓田(荒崎田圃)には、10月半ばに、シベリア方面から一万羽超の鶴(ナベヅル、マナヅル等五種類、国の天然記念物)が渡来し3月中旬まで滞留することで知られる。丹頂鶴は白いが、ナベヅルは胴はグレーで顔や首は白く、眼周りが赤い。

鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで  鍵和田秞子

鶴のこゑ空のまほらにひびくなり  橋本鶏二

虚空より鶴ぞとなりて降りきたる  上村占魚

二三歩をあるき羽搏てば天の鶴   野見山朱鳥

空といふ自由鶴舞ひ止まざるは   稲畑汀子

初鶴のこゑ野に満ちて明けやらず  淵 脇護

不知火の闇に目覚めて鶴のこゑ   上野さち子

着ぶくれて荘中学校鶴倶楽部    染谷秀雄

鶴の棹遅れし一羽加はれり     広渡敬雄

特攻碑ゆふべかわきし鶴のこゑ   鍵和田秞子

朱欒黄に隠れ部屋あり武家屋敷   福永みな子

〈鶴啼くや〉の句は昭和63年の作、第4句集『武蔵野』に収録。出水市の荒崎公園には句碑がある。「群鶴のいる畦に入り、黒コートでじっと蹲っていると仲間と思ったらしく、鶴の群に囲まれていた。その啼き声は私の声のようだった」と自句自解している。秞子は生涯五度にわたり訪ねる程、当地への思い入れが深かった。「天に向かってコウコウと鳴く声を聞いているうちに鶴と一体になった。鳴き続ける鶴は、秞子自身の姿に重なる」(藤田直子)、「あめつちに満ちる命の交感としての声」(井上弘美)等の鑑賞がある。

出水市ツル観察センター(出水市観光協会)

鍵和田秞子は、昭和7(1932)年、神奈川県秦野市生まれ。父は旧制中学の国語教師、その後高校校長を歴任し、神奈川県の教育界の重鎮となる家庭で、若くから古典・文学書を乱読し、平塚高女(現平塚江南高校)2年で終戦を迎える。お茶の水大学に進学し、井本農一のもと俳文学を学び、句作を開始、村山古郷の「たちばな」等に入会した。卒業後高校教師となり、昭和38(1963)年、中村草田男主宰の「萬緑」入会、「萬緑新人賞」「萬緑賞」受賞。教職を辞した同52年、第1句集『未来図』で、新設された第1回俳人協会新人賞を受賞した。師草田男逝去後の同59(1984)年、52歳で「未来図」を創刊主宰し、「作者の生の実感を作者自身の言葉で生き生きと詠う」ことを掲げた。『浮標』『飛鳥』等意欲的に句集を上梓すると共に、藤田直子、山田径子、山田真砂年、守屋明俊、川上良子、今村妙子、角谷昌子、深海あぐり、依田善朗、黒沢麻生子、遠藤由樹子、篠崎央子等々多くの若き俊英を輩出する俳壇有数の結社に育て上げた。

俳人協常務会理事、副会長の傍ら、大磯町の「鴫立庵」の第22代庵主を務めた。平成17(2005)年、第七句集『胡蝶』俳人協会賞、同27年、第9句集『濤無限』で毎日芸術賞、令和2年、第10句集『火は禱り』で詩歌文学館賞を受賞するも、同年6月11日逝去。享年88歳。句集は他に『武蔵野』『光陰』『風月』『百年』、『自註現代俳句シリーズ⑪、同続編㉑』、入門書『実作季語入門』等がある。『未来図』終刊後、有力同人により『磁石』『花野』『稲』『閨』『星時計』『むさし野』等が創刊された。

鶴観察センター展望室(出水市観光協会)

「草田男俳句と誓子の根源俳句(橋本多佳子を通じて)とのドッキングは秞子によって果たされた」(宗田安正)、「師草田男の象徴表現の手法を基本ベースに、草田男俳句にはない「無常観」こそ秞子思想」(宮坂静生)、「秞子俳句の特徴のひとつは色彩感覚の豊かさ。色で広がるイメージは作者の心象と結びついている」(片山由美子)、「順調に才能を開花させ晩年に全盛期の訪れる、歳月を味方に出来た幸運な俳人」(仙田洋子)、「時代を生きた人間の艱難辛苦を自然界の事象で象徴し、俳句に昇華させた」(神野紗希)、「繊細優美な句もあるが、線の細さはなく、句柄に雄勁さと凛とした調子の高さが晩年まで一貫して持続している」(村上鞆彦)等々の鑑賞がある。

青春かく涼しかりしか楡大樹 (北大)

いささ竹寒雀来よ子無き家に

すみれ束解くや光陰こぼれ落つ

未来図は直線多し早稲の花

夢殿の夢のつづきの松朧

炎天こそすなはち永遠(とは)の草田男忌

夕雲のふちのきんいろ雛納め

返り花日に透いて亡きたれかれよ

かの夏や壕で読みたる方丈記

生まざりし身を砂に刺し蜃気楼

白鳥といふやはらかき舟一つ

夕波のさねさし相模初つばめ

円位忌の波の無限を見てをりぬ (西行忌)

白といふ激しき色を花菖蒲

踏み込めば戦争の香や青芒

牡蠣を吸ふ身ぬちの闇を大切に

みどり透く神の色なる子かまきり

桔梗のつぼみつめたし前の世も

寒椿一輪われも日の出待つ

火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや

いささかの雲踏むここち更衣

ずぶ濡れのむかしもいまも葛の花

秋風やからくれなゐは耐ふる色

一代でこれほど有力な若手俳人を育て、多くの会員を有する俳壇屈指の結社を築き上げた女性俳人は、桂信子、野澤節子、岡本眸等極めて稀である。弟子一人ひとりの個性と嗜好を認めた上で、教育者的視点で弟子を指導する姿は、同じく教師出身の加藤楸邨、能村登四郎とも通じるところがあり、結社と自身の句境の隆盛に繋がった感がする。 

(「たかんな」令和3年3月号転載)    


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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<バックナンバー一覧>
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
【第13回】神戸と西東三鬼
【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎
【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
【第7回】大森海岸と大牧広
【第6回】熊野古道と飯島晴子
【第5回】隅田川と富田木歩
【第4回】仙台と芝不器男
【第3回】葛飾と岡本眸
【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
【第1回】吉野と大峯あきら



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