広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第58回】 秩父と金子兜太


【第58回】
秩父と金子兜太

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


秩父は、埼玉県の西部の雲取山、甲武信岳、両神山、大霧山、武甲山等の名峰に囲まれた、荒川上流(長瀞)の秩父盆地を中心とした地域で、縄文時代の遺跡がある。わが国初の自然銅を産して、和同開珎が鋳造され、七〇八年に、和銅と改元された。

秋の武甲山(撮影=守屋清太郎氏)

日本三大山車祭の秩父夜祭が名高く、秩父三十三番巡礼札所に加え、明治十七(一八八四)年の秩父事件の蜂起結集地・椋神社、狼を守護神とする日本武尊創建の関東屈指のパワースポット・三峯神社がある。当地は養蚕の集散地として「秩父銘仙」が知られるが、名峰武甲山はセメント製造の石灰石発掘で無残な姿となった。

秩父神社(撮影=守屋清太郎氏)

  曼珠沙華どれも腹出し秩父の子    金子 兜太

  いなびかり生涯峡を出ず住むか    馬場移公子

  この峡の水上にある春の雷      金子()(せき)(こう)

  風雲の秩父の柿は皆尖る       水原秋櫻子

  桑畑中行く秩父遍路かな       高浜 年尾

  秩父路や天につらなる蕎麦の花    加藤 楸邨

  霞む日の秩父に入りて猪の宿     石田 勝彦

  夜祭の灯の渦の天武甲聳つ      中田小夜

  結界となす木犀の香を以て      上野一孝(三峯神社)

  橡の花きつと最後の夕日さす     飯島晴子

  てのひらに無患子硬き秩父かな    松尾隆信(椋神社)

  蜂谷柿太し叛旗の血筋引く      駒木根淳子

  すさまじや露天掘り跡眼下にす    栗原憲司(和銅遺跡痕)

  猿出るぞ熊出るぞ柿熟れにけり  広渡敬雄

〈曼珠沙華〉の句は、第一句集『少年』に収録。「休暇で秩父に帰って、子供たちに出会った時,湧くように出来た句。子供の頃の自分ととっさに重なって、ああ秩父だなと思った」と自解にあり、34番札所水潜寺に句碑がある。

兜太句碑(撮影=守屋清太郎氏)

「子によせる愛情が感じられ、「どれも」の弾むような調べで、山国の子の貧しくも大らかで屈託のない姿をユーモアたっぷりに描く」(鷹羽狩行)、「故郷秩父の子供たちの生き生きとした姿を曼珠沙華の生命力になぞらえ、賛歌する。青年俳人兜太の「骨太にして繊細な感受性」が窺え「青白きインテリ」と一線を画す」(清水哲男)、「秩父の子の血色の良さに惹かれるし、脈々とこの地で受け継がれてきた濃厚な血も思う」(神野紗希)の評がある。

秩父夜祭(撮影=壱岐奈都美氏)

秩父の句は〈霧の村石を投うらば父母散らん〉〈沢蟹・毛桃喰い暗らみ立つ困民史〉〈霧深の秩父山中繭こぼれ〉〈猪が来て空気を食べる春の峠〉〈おおかみに蛍が一つ付いていた〉〈夏の山国母いてわれを与太と言う〉〈裏口に線路の見える蚕飼かな〉等があり、秩父皆野町に多くの句碑がある。

芝桜と武甲山(撮影=守屋清太郎氏)

金子兜太は、大正八(一九一九)年、埼玉県小川町に、開業医の父元春(俳号伊香紅:秩父音頭の復興者)と母はるの長男として生まれ、旧制熊谷中学、旧制水戸高校を経て東京帝大経済学部に入学する。俳句は水戸高校で、出沢柵太郎に勧められ、全国学生俳句誌「成層圏」(竹下しづの女・中村草田男指導)に参加。東大入学後寒雷(加藤楸邨主宰)に入会するも、戦争で繰り上げ卒業後入隊、トラック島の海軍司令部に赴任し終戦後復員。

同二十二(一九四七)年日銀に復職後、結婚。日銀組合の初代専従後、組合活動により、福島、神戸、長崎支店に勤務となる。神戸では「新俳句懇話会」で多くの俳人と交流し、第一句集『少年』で、能村登四郎と共に現代俳句協会賞を受賞した。同三十七(一九六二)年隔月の同人誌「海程」を創刊し、日銀退職後は、現代俳句協会会長、角川俳句賞選考委員、朝日俳壇選者となり、句集『両神』で、日本詩歌文学館賞、『東国抄』で蛇笏賞、『日常』で小野市詩歌文学賞を受賞し、現代俳句大賞、日本芸術院賞も受賞した。

平成三十(二〇一八)年二月二十日、逝去。享年九十八歳。

秩父市の夜景と武甲山(撮影=葦原良典氏)

「混沌たる明晰の俳人」(宮坂静生)、「人間を俳句にいかに盛るかを、生涯をかけて訴えた不世出の俳人」(深見けん二)、「あらゆる生き物を平等に扱うアニミズム的優しさと自分の本能から逃げない荒凡夫の、絶妙な晩年の一茶を敬愛した兜太は、一茶の生まれ変わりとも思う」(マブソン青眼)、「兜太自身は「造型論」(対象と自己との直結結合を切り離し、その中間に「創る自分」を定着することにより、対象と自己の関係は間接的になる)で、俳句の表現論を考えていたが、必ずしも反「写生」論ではなかった」(仁平勝)、「散文と韻文では、使う筋肉が違うと一般の俳人は言うが、兜太は数十年前からずっとお互いに離れられない一卵性双生児の関係である」(櫂未知子)、等々の評がある。 

  魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ

  水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る(二句 トラック島)

  朝日煙る手中の蚕妻に示す

  暗闇の下山くちびるをぶ厚くし

  銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく (神戸)

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン   (長崎)

  華麗な墓原女陰あらわに村眠り

  どれも口美し晩夏のジャズ一団

  人体冷えて東北白い花盛り

  二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり

  暗黒や関東平野に火事一つ

武甲山と鯉幟(撮影=守屋清太郎氏)

  谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな

  霧に白鳥白鳥に霧というべきか 

  梅咲いて庭中に青鮫が来ている

  谷間谷間に満作が咲く荒凡夫 

  冬眠の蝮のほかは寝息なし

  酒止めようかどの本能と遊ぼうか

  両神山は補陀落初日沈むところ

  よく眠る夢の枯野が青むまで

  合歓の花君と別れてうろつくよ(妻逝去後)

  津波のあとに老女生きてあり死なぬ

生まれ育った秩父魂に旧制水高の「一本筋の通った生き方志向」の校風が加わり、トラック島での悲惨な戦争体験、更に組合活動による日銀幹部候補からの離脱の屈辱、現代俳句協会分裂等をエネルギッシュな精神で克服し、戦後の「社会性俳句」「前衛俳句」の中心的な役割を果たし、「造型俳句」の実作・評論により俳壇に大きな影響を与えた。今後も兜太抜きには俳壇は語れないだろう。

秩父夜祭(撮影=守屋清太郎氏)

(書き下ろし)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第57回】隠岐と加藤楸邨
【第56回】 白川郷と能村登四郎
【番外ー3】広島と西東三鬼
【番外ー2】足摺岬と松本たかし
【第55回】甲府盆地と福田甲子雄
【第54回】宗谷海峡と山口誓子
【番外ー1】網走と臼田亞浪
【第53回】秋篠寺と稲畑汀子
【第52回】新宿と福永耕二
【第51回】軽井沢と堀口星眠
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