神保町に銀漢亭があったころ【第66回】阪西敦子

「銀漢亭よくいる俳人」ができるまで

阪西敦子
(「ホトトギス」「円虹」同人)

地下鉄半蔵門線青山一丁目駅押上方面行きホームの前方寄りエスカレーターを降りて一番端まで進む。あの日の会社帰りもここで電車を待っていた。

2009年9月、比較的年齢の近い仲間と袋田方面へ向けて吟行に出かけた。当時、茨城にあった実家の車とレンタカーの二台に分乗して海沿いを北上、大いに作句の二日間を過ごした。せっかくだから1か月後にまた集まって振り返りの句会をやろうということになり、その会場として村上鞆彦が指定したのが、「銀漢亭」であった。

奥のテーブルを貸し切らせてもらって、表のカウンターに出入りする大人たち、と、ひとりの肌艶のいい二〇代らしき青年の視線を少し感じながら、賑やかに句会も終わった頃だろうか、カウンターの方でこそこそっと耳打ちがして(「村上鞆彦、『南風』の若手筆頭!」と聞こえた)まもなく、赤ワインのボトルが差し入れられる。

みんなで歓声を上げてありがたくいただき始めたころ、カウンターの何人かと、先ほどの青年が席に近づいてきた。「にしむらきりんです」と青年は名乗った。

カウンターから来た人たちから、(村上鞆彦が)「湯島句会」のお誘いを受けた。これまで何人もの方が、このリレー連載でも触れられている伝説的スタンド句会。「玲奈も行っていい?」と主張する矢野玲奈の後について、「敦子も?」と言いつのって、人生をものすごく変えられることになる銀漢亭とのご縁が始まった。

地下鉄銀座線三越前駅の、銀座線から半蔵門線への長い地下通路。両側には三越やコレド室町が軒(?)を連ね、高級パン屋からはバター、老舗かつお節屋からは出汁が香る中、脇目もふらず、そこを駆け抜ける。

17時半終業、17時52分水戸発の「フレッシュひたち(当時)」に飛び乗って上野で銀座線に乗り換え、三越前にて5分以内で乗り換えると銀漢亭の7時開始の湯島句会に滑り込める。

あれは震災の日、会社から水戸支社異動の内示を受けた。それは、愉快な東京の暮らしを捨てて、実家のあるエリアへの撤退を意味した。そもそも父の転勤で渡った茨城を疎むところもあったし、震災の被害で電車が停まっていたその街はとても遠かった。

内示数日後、銀漢亭でべそべそしていたとき、しなだしんさんが飲みにやってきた。あ、いい愚痴の相手が来たとて「しんさんしんさん、聞いてくださいよ」と、これまでも繰り返した悲劇を打ち明ける。いつも通り、「まぢ?」とか言うので、今日は冗談ではないということをもう一度話そうとするのを遮って、「松戸とか柏あたりで、手打てば?」と言う。その手があったか。

1か月後、かくして盛大な壮行句会が開かれ、水戸への100キロ通勤が開始、特急の復旧後すぐに句会への大脱走が始まった。「敦子が着いたよー」「お、来たね」と迎えてくれる銀漢亭を目指して。

帰り道もまた忘れがたい。北千住に移り住んだ私は千代田線を利用していた。神保町から1駅乗って乗り換えてもいいのだけれど、俳父・山田真砂年とお茶の水まで歩くこともあった。これが漱石の通った錦華小学校、あれが山の上ホテル、真砂年さんが住む逗子の話、さっき終わった句会の句のこと、なんだかとりとめもないけれど、酔いも回ってよくしゃべった。

最近にして最も印象的な帰宅は、神保町の改札で伊那男さんと別れて、半蔵門線で九段へ向かう道。六年の北千住生活を終えて、私は阿佐ヶ谷に住んだ。

おしゃれなショルダーバッグと空になった食材運搬用のカート(よく商店街でみかけるやつだ)というちぐはぐな二つを提げた伊那男さんが、「はい、気をつけて」と片手を軽く上げて帰ってゆくのを見送り、元店員(私だ)と現役の店員2名、常連1名の助け合い航路は最短距離を行く。神保町では、一駅隣の九段下のホームエスカレーターの目の前に停まるドアまで縦列で進み(前よりの階段の脇でやや狭いから注意だ)、半蔵門線では決して座らず(寝たら終わり)、九段下の大階段を全員で「手すり手すり」と指差し確認で進み(なんと最近になってエレベーターができた)、東西線へ。高田馬場で太田うさぎがひらひらと猫のもとに帰り、近恵と私は顔を見合わせてそれを恨めしく見送り、終点(だいたいそれ以上先に行く直通電車はもうなくなっていた)の中野で「小石―、中野だよー」と声を掛けて起こす。「にゃかのー」とか言っている天野小石をしかるべき改札に向けて押し出す。残された近恵と二人、天を仰いで小さなため息をつき、阿佐ヶ谷方面行きのホームへ、そこからは穏やかな時間。あんな物静かな我々二人を人は想像できないだろう。JR阿佐ヶ谷のホームは風がよく通る。改札を出て、どちらともなく目があって、「阿佐ヶ谷無事帰着祝い」へ…ははは。

銀漢亭で過ごした時間はもちろんだけれど、その行き帰りも私にとっては銀漢亭の一部をなしている。そこへ足を向けた時から始まる幸せな気分、帰り道で思い出す誰かの傑作のセリフ、お店以外で会って交わす「こないだは」という挨拶(だから、銀漢亭で一度出た噂話はあっという間に広まった)、来週いついつに行くかもという緩やかな口約束。

そんな習慣がなくなって、今、私は手さぐりにアフター銀漢亭を歩き始めたところだ。


【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。


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