神保町に銀漢亭があったころ【第22回】村上鞆彦

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リクルートスーツ

村上鞆彦(「南風」主宰・編集長)

銀漢亭に行くと、たいてい飲み過ぎて記憶を無くした。いつもほどほどにしようという心積もりで店に入るのだが、ビールを2杯くらい飲んだあたりからぽーっと上気して、その後は陽気な顔触れと語らううちに杯を口に運ぶ手が止められなくなり、ついついあれやこれやとチャンポンしてしまうのが常だった。

後日、人に尋ねると、歌ったり踊ったり楽しそうにしていたよと言われることが多かったが、もしや迷惑をかけてしまった方もおられるかもしれない。この場を借りて、お詫びいたします。

(ほろ酔いだと思われる村上鞆彦さん。小野寺清人さんと、銀漢亭にて)

さて、記憶に自信がないながらもそれでも記憶に残っていることで、いちおうここに書いておかなければならないのは、有志が開いてくれた私の35歳の誕生日祝いのこと。

この時、遅れてやってきたリクルートスーツの女子大生がいた。走ってきたのか、やや息が乱れて、うっすらと汗を浮かべていた。彼女とはこの日が初対面であったけれども、まさか後日、結婚することになろうとは夢にも思わなかった。

当時、独身の暮らしが長かった私を心配して、所属する「南風」の先輩方がよく声をかけてくれたが、そんな時は「南風と結婚していますから」とはぐらかした。私は「南風」の副代表と編集長とを兼任していた。しかし、その言葉は半ば本心でもあったのであり、「南風」を盛り立てながらこの先も独りで生きていくのだろうとぼんやりと考えていた。

ところがの青天の霹靂、リクルートスーツの登場である。銀漢亭は、私の人生に一大転機をもたらした。

銀漢亭はいつまでもあるものと勝手に思い込んでいた。今1歳の息子・貴彦が大きくなったら、銀漢亭でバイトをさせて、人生経験を積ませようなどとも考えていた。なぜもっと足繁く通っておかなかったかと、益のない後悔を禁じ得ないでいる今である。

伊那男さん、長い間おつかれさまでした。


【執筆者プロフィール】
村上鞆彦(むらかみ・ともひこ)
昭和54年、大分県宇佐市生まれ。現在、「南風」主宰・編集長。俳人協会幹事。著書に句集『遅日の岸』、『芝不器男の百句』など。



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