神保町に銀漢亭があったころ【第62回】山田真砂年

DNAの共鳴

山田真砂年(「稲」主宰)

銀漢亭が私にとって居心地の良かったのは、美味しいお酒と料理、ご亭主の伊藤伊那男氏のお人柄の良さや日替わりでカウンターに立つ女性陣と多彩な常連さんとの会話であったが、半年の時を経ると、何かもっと身体の芯の部分で銀漢亭に慣れ親しむところがあったような気がしている。

その原因は、私のDNAに刻まれている山の記憶ではなかろうかと思い至った。遙か昔、アフリカを出たホモ・サピエンスはユーラシア大陸の海沿いにインドを過ぎ、インドネシア辺りにかつて存在したスンダランドに到着し、そこから日本列島に向かったグループとインドの手前で内陸部へ入って、シベリア方面から日本列島へ入ったグループがあった。私のDNAには、山や丘陵や草原を見ながら内陸部を歩いた祖先の記憶が刻まれているのだろう。海に馴染めず山に馴染むのはDNAの所為なのだ。おそらく銀漢亭に集う人たちの多くは内陸派の人たちに違いない。また、来店する人たちには長野県人も多く、後天的にも山の記憶を脳の何処かに刻んでいるはず。そんなDNAの共鳴があったのだ。だから、あんなに居心地が良かったのだと妄想する昨今である。

【執筆者プロフィール】
山田真砂年(やまだ・まさとし)
1949年東京都生まれ。「稲」主宰。1986年「未来図」入会、1995年、第1句集『西へ出づれば』で第19回俳人協会新人賞。2008年、第2句集『海鞘喰うて』 。2020年、「稲」創刊・主宰。


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