【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#30】
公園の猫たちと竹内栖鳳の「班猫」
青木亮人(愛媛大学准教授)
夏の朝、近所を散歩していると公園で母猫が子猫に乳を与えていた(写真)。子猫たちは公園の真ん中でのびのびと乳を吸っており、母猫は眼を半ば閉じ、何だか眠そうだった。
その日は5時過ぎに目が覚めてしまい、仕方ないので外を散歩することにした。公園に立ち寄ると早朝だったためか、人影は見当たらなかった。だから猫たちも安心して広い場所でのんびりしていたのだろう。
夏の朝の陽ざしが少しずつ明るさを増すにつれて猫たちの輪郭も徐々にはっきりし出し、その間、子猫たちは無心に乳を吸っている。彼らが黒・白・黒とオセロのように並んでいるのも面白く、私は子猫たちや母猫の様子をしばらく眺めていた。
こういう情景に出会った後、何年か経つとたいていのノラ猫たちは姿を見せなくなる。よくあることなのであまり驚かなくなったが、何かの拍子に「あの猫はなぜ居なくなってしまうのだろう」とふと感じることも少なくない。
もちろん、居なくなる理由は様々だろう。どこか別の場所へ移ったのかもしれないし、保健所に連れていかれたのかもしれない。または亡くなってしまったのかもしれず、あるいは誰かに飼われて家の中でのんびり暮らしている猫もいるだろう。
ノラ猫が姿を見せなくなるの時に抱く「なぜ」という感情は、猫が居なくなったことそのものより、「あの猫が居た風景はなぜ変わってしまったのだろう」という感触に近い。
「なぜ」――そんなことをふと感じる時、竹内栖鳳の絵をよく思い出す。「班猫」という絵で、栖鳳が還暦を迎えた頃の作品だ。
絵筆をとる栖鳳の心象風景に浮かんでいたであろう猫の姿に思いを馳せながら「班猫」を観ると、「ああ、この猫は現世のどこかで生きていたんだな」としみじみとしたものを感じてしまう。
【次回は11月30日ごろ配信予定です】
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。
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