連載・よみもの

【#20】ミュンヘンの冬と初夏


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#20】


ミュンヘンの冬と初夏

青木亮人(愛媛大学准教授)


ドイツは今年もクリスマスのマルクト等が中止になったようだ。

冬にドイツを訪れると曇りの日が続くことに驚く。何というか、陽光が降り注ぐ日々という雰囲気はまるでなく、風は冷たく、日が落ちるのも早い。どんよりと垂れ込めた雲の下、葉を落としきった枯木は尖った枝を細かく震わせ、人々は暗鬱……とまではいかないが、鬱々とした日を過ごす。しかし、クリスマスシーズンが近づくと人々の表情は明るくなり、アドヴェントのカレンダーが心に希望の灯をともし、やがて街の広場や路にマルクトの屋台が設けられ、12月の華やいだ夜を迎えるのだ。

ただ、もちろんドイツにも色々な人が住んでおり、暮らし方も様々である。ドイツ人全員がこのように暮らしているわけではないが、傾向としては長い冬の憂鬱な面持ちがクリスマスによって和らぎ、救われているという印象は強い。それほどドイツの冬は寒く、暗いのだ。

12月のクリスマスの時期にミュンヘンを訪れた時、ドイツの夜が早く、その闇は深々としており、広場や街路を通り抜ける風の寒さに驚いたものだった。しかし、漆黒の夜闇が早々と街を覆った後も多くの人々はクリスマスに彩られた街歩きを楽しみ、屋台でグリューワインを飲んでは身体を温め、ヴルスト(ソーセージ)やクッキー、チョコレート等を買い、またクリスマスツリーに飾る品やレープクーヘンを購入していた。下の写真は、ミュンヘンの中心であるマリエン広場近くの路で撮ったものだ。

写真1「マリエン広場近くの路」

また、下の写真の屋台ではクッキーやレープクーヘン(クリスマスの時期の定番菓子)が所狭しと並べられ、幾人かの人がクッキーを購入していた。

写真2「上方の屋台奥に見えるのがレープクーヘン」

ところで、若かりし頃のトーマス・マンは“München leuchtete”という一節から始まる小説を書いた。

ミュンヘンは輝いていた。この首都の晴れがましい広場や白い柱堂、昔ごのみの記念碑やバロック風の寺院、ほとばしる噴水や宮殿や遊園などの上には、青絹の空が照り渡りながらひろがっているし、そのひろやかな、明るい、緑で囲まれた、よく整った遠景は、美しい六月はじめの昼靄の中に横たわっている。(実吉捷郎訳)

長く、寒い冬がようやく終わり、春を迎え、やがて六月の息吹がミュンヘンを美しく染め上げた時の風情を綴ったもので、トーマス・マンの原文は次のような文体だ。

München leuchtete. Über den festlichen Plätzen und weißen Säulentempeln, den antikisierenden Monumenten und Barockkirchen, den springenden Brunnen, Palästen und Gartenanlagen der Residenz spannte sich strahlend ein Himmel von blauer Seide, und ihre breiten und lichten, umgrünten und wohlberechneten Perspektiven lagen in dem Sonnendunst eines ersten, schönen Junitages.

クリスマスの頃にミュンヘンを訪れた際、私は夜の街を歩きながら煌びやかなマルクトの風情を味わいつつ、時おりトーマス・マンの一節を思い出したものだった。その時は誰もマスクはしていなかったし、クリスマスが中止になる年が来るとは思いもしなかった。クリスマスの輝きに彩られたミュンヘンの街路を逍遥しながら、往事の夏のミュンヘンはどれほど素敵だったのだろうとふと思い、軒を連ねる屋台の品々を眺めたり、ビールやワインを飲んだりした。

ミュンヘンの人々は楽しそうに談笑しながら路を歩き、屋台で軽食やグリューワインを求めていた。

“München leuchtete”――いつか初夏のミュンヘンを訪れる日が来れば、と願っている。

【次回は1月15日ごろ配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
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