ハイクノミカタ

ゆげむりの中の御慶の気軽さよ 阿波野青畝【季語=御慶(新年)】


ゆげむりの中の御慶の気軽さよ

阿波野青畝


新年明けましておめでとうございます。
今年も皆さまにとって幸多き一年となりますよう。

 年始に申し述べるこうした祝詞を「御慶」と言う。

 青畝は年末年始を温泉宿に過ごしたようだ。元旦の朝、初湯を使おうと浴場へ足を運ぶ。湯舟に体を入れると既に先客があった。ゆらゆらと立つ湯気で相手の顔は定かでないが、年の始めにたまたま一つ湯に浸かるのも浮世の縁だ。「おはようございます」の代りに自然と「おめでとうございます。」の挨拶がお互いの口から零れる。後はそれぞれ前を向いて思い思いに湯に身を任せればよい。「旧年中はお世話になりました。本年も何卒よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。」などと堅苦しさの欠片もない、柔らかな湯煙に包まれた通りすがりの御慶である。

 この句を収めた句集『除夜』は昭和61年刊。昭和58年から60年にかけての俳句を纏めたらしい。青畝85歳前後ということになる。「気軽さよ」というまさしく気軽な置き方なんぞは年の功というものだろう。そして数年後には有名な「初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり」が誕生する。

 ということは脇に置いて、私がこの句でことに気に入っているのは「ゆげむり」の連濁なのであった。連濁とは「手+紙=てがみ」のように、複合語において後部の先頭子音が濁音に変化する現象を指す。普通、「湯煙」は「ユケムリ」と発音されていると思うけれど、連濁の法則に従えば「ゆげむり」はまっとうだし、その響きはどこかしら古風な奥床しを湛えている、とは贔屓の引き倒しかしらん。

 連濁が似合う、というのもヘンだけれど、「ゆげむりゆげむり」と唱えていたら湯気の向こうに落語家の故林家彦六が現れた。そして細やかにヴィブラートをきかせた声で「あァけェまァしィてェおォめェでェとォォゥ」と幻の彦六が御慶を申されるのであった。これが我が新年の白昼夢ってどうしたものか(林家彦六については動画も残っているが、林家木久扇の「彦六伝」の物真似が分かり易くて笑えます)。

 今年もゆげむりのようにゆらゆらと捉えどころのないことを書いて参りますが、湯舟に浸かったときのような大らかな気分で読み過ごして頂ければ幸い至極に存じます。

『阿波野青畝』 春陽堂俳句文庫より)

太田うさぎ



【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔65〕イエスほど痩せてはをらず薬喰   亀田虎童子
>>〔64〕大氷柱折りドンペリを冷やしをり  木暮陶句郎
>>〔63〕うららかさどこか突抜け年の暮    細見綾子
>>〔62〕一年の颯と過ぎたる障子かな     下坂速穂
>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く   若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ     遠山陽子
>>〔59〕おやすみ
>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部   加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
>>〔56〕犬の仔のすぐにおとなや草の花    広渡敬雄
>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日      澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり    日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
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>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
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>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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