楽譜読めぬ子雲をつれて親夏雲 秋元不死男【季語=夏雲(夏)】


楽譜読めぬ子雲をつれて親夏雲

秋元不死男

雲はみていて飽きることがない。スマートフォンのカメラ機能で、写真をたくさん撮ってしまうこともある。実にさまざまなかたちをしていて、そのかたちも次々と変わって変化に富んでいる。光の具合によっても、見え方が変わってくる。晴れた日の夕方の雲は美しい。夕方は何故か日の動きが速く感じられ、「ああ、きれいだ」と思って、スマートフォンを取り出し、カメラアプリを選択し、画角の比率を選び、構図を考える段になると、すでに先程「きれいだ」と思った色や光の感じは失われている。すこし寂しい。しかしながら、雨の日や曇りの日の、空一面に薄く広がる層雲と呼ばれる雲となると、見ていても飽きる。やはり光が当たっていたり、変化に富んだりするから、見飽きないのだ。僕は雲を愛する。

季語は夏雲。「万座(1967)」所収。ひつじ雲、ちぎれ雲、はぐれ雲、綿雲、かなとこ雲、頭巾雲、羽根雲、ほそまい雲、あばた雲、座り雲、襟巻雲、疾風雲、くらげ雲、蝶々雲、豊旗雲などの気象学的な呼び方以外の雲や、地方独自の呼び方の雲等、雲には数多くの呼び方があるだろう。親子雲もそうした呼び方の一つで、大きな雲の下や上、あるいは後ろなどに小さな雲を伴っている雲のことだ。僕もたぶんそうした雲を見ていたことだろう。この句に出会うまでは、はっきりと意識したことはなかった。

楽譜が読めないという自覚は、普段あまり思うことではない。近親者や知人やに、楽譜が読める人がいて初めて意識されることだと思う。秋元不死男の身辺に、きっと楽譜の読める人がいたのだろう。おそらく子供だろうか。子は楽譜が読めて、曲を書いたり演奏したりしている。それを横目でみている父としての私…。「ああっ、俺はなんで楽譜が読めないのだ。俺の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」と切歯扼腕、茫然自失したことだろう。我を忘れてため息をつく時、うっとりしてため息をつく時、人は雲を見上げる。 とりわけ雲と詩人の関係は深いものがあるような気がする。

松尾芭蕉は片雲の風に誘われて、取るもの手に付かず旅に出るのだし、山村暮鳥だって「おうい雲よ、ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか」と語りかけたりする雲。

雲は英語ではCLOUD、フランス語ではNUAGE。CLOUDは響きがなんとなく固そうで、NUAGEのほうが響きとしては、雲っぽい。にゅわっとしてるイメージ。

フランスの詩人としては一人忘れちゃいませんかっての。そう「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と芥川龍之介が書いたシャルル・ボードレールです。ボードレールは「パリの憂鬱」の中の「異邦人」という散文詩で、肉親よりも友よりも祖国よりも美女よりも黄金よりも、雲を愛すると悪魔との対話で語っている。詩人は雲を愛する。

かつて激情に任せて、子の頬を打擲し、そのあと白白と天より蝉の声を聞いたという直情の句を書いた秋元不死男は、楽譜が読めなかったばかりに、所在なく雲を仰ぐことになった。

かの植木等も、心配することはない、見ろよ青い空白い雲と気を吐いていたではないか。くはは。

中嶋憲武


【執筆者プロフィール】
中嶋憲武(なかじま・のりたけ)
昭和35年(1960)東京生まれ。
平成6年(1994)「炎環」入会。作句をはじめる。 平成11年(1999)「炎環」新人賞。
平成12年(2000)「炎環」同人。
平成21年(2009)炎環賞。炎環エッセイ賞。
平成29年(2017)銅版画でANY展(原宿)参加。電子書籍「日曜のサンデー」。
平成30年(2018)攝津幸彦記念賞優秀賞。
平成31年(2019)第0句集「祝日たちのために(港の人)」。 「炎環」「豆の木」「豈」所属。
山岸由佳さんとの共同サイト「とれもろ」toremoro.ne.jp
「週刊俳句」で西原天気さんと「音楽千夜一夜」連載中。

祝日たちのために
中嶋憲武 著
(港の人、2019年)
価格 1650円(税込)
ISBN 978-4896293623

2018年、第4回攝津幸彦記念賞・優秀賞を受賞した気鋭の俳人の、句(120句)+銅版画(13点)+散文(17篇)を収めたユニークな第一句集。句は2018年にツイッターで呟いたツイッター句であり、時代の風景にスリリングに迫っている。

■収録作品より
蟻塚を越え来て淋しい息つく
夏炉あかるく人語に星を数へ得ず
海の鳥居の晩春の石は鳥になる
手が空いてゐる月白の舟を出す
葛湯吹いて馬の体躯の夜がある


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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