
【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2026年7月分】
月末の恒例行事!「コンゲツノハイク」から推しの1句を選んで200字評を投稿できる読者参加型コーナーです。みなさんに未来の名句を探していただいています。今月は、9名の皆様にご参加いただきました。
立子忌の腰にちひさきタトゥーあり
太田うさぎ
「街」
2026年6月号より
立子忌は、星野立子の忌日のことである。最近は、若年層の間で、派手なタトゥーではなく、ワンポイントのタトゥーを入れて楽しむのが流行りだそうだ。そのタトゥーが目立たない箇所にあるのも最近の流行り。その事を星野立子の忌日と取り合わされた。モノクロ写真にカラー写真を組み合わせたような斬新さがある句である。
(夜寺耕太/「いつき組」)
緑夜更く熊野は雨のやまぬ国
大西主計
「銀化」
2026年6月号より
新緑の香に包まれた青葉の美しい夜、熊野には太古からの樹々も生き伸びている。そんな熊野は雨のやまぬ国だという。夏の雨を浴びて、緑は生き生きとさらに瑞々しく青々と茂っている。昼行性の生き物はみな寝静まり、夜行性の生き物や昆虫の世界となった熊野の森。森は多種多様な生命が力強く蠢く基盤のようだ。人の世とは別の世もあることを改めて気づかされる。博物学、生物学の膨大な著書を残した南方熊楠の目になる感覚もある。
(貴田雄介/「台北俳句会」「We」)
逃げ水になる用意ならできてゐる
高木宇大
「雪華」
2026年7月号より
逃げ水は、春の終わりの路上に水があるように見えながら、近づくと消えてしまう蜃気楼の一種。見る者を誘いながら決して捕まらない実体と幻の境界。この世から姿を消す準備、みなの記憶から薄れていく準備、固定された自己を捨て去る準備、現実から詩の放浪へ移行する準備。逃げ水への変容には多様な読みがある。もう逃げ水になったのではなく、待機状態。その境界線にいるのに静かに凛と存在する。それは社会の中で輪郭を消し去り誰にも掴まれない自由への希求、あるいは滅への憧れだろうか。
(押見げばげば)
顎で泥かき分けて来る鯥五郎
中野こと子
「鷹」
2026年7月号より
鯥五郎の語源は、佐賀県でムツゴロ、ムツゴロウ、ムツゴロオということから来ている。「むつ」は「むつっこい」、「ごろう」は、ハゼを「ゴリ」というのと同じ。すなわち脂っこいハゼの意味。腹びれは吸盤状,目は頭頂部につき出している。干潟を全身ではねたり,胸びれではいまわったりする。日本では有明海・八代海の特産。潮が満ちると巣穴に潜り、ひくと干潟状に出て干潟の表面に発生する珪藻を食べる。この時の姿を的確に描写している。
(野島正則/「青垣」「平」「noi」)
汕頭(スワトウ)のレースのやうな嘘ひとつ
大槻寿一
「銀化」
2026年6月号より
汕頭、美しい刺繍。普通目にするのは手巾だけれど実用からは程遠い、そんな美しく非現実的な、夢を見るような嘘。その嘘をつくおそらく女性は、汕頭のように品よくありながら嘘でしかリアルを上手く消化できない。嘘が彼女の口から溢れる時、傷つくのは彼女自身、もしくはその彼女を見つめる視線の主、でしょうか。そこに一枚の汕頭の手巾なやうな、哀しみのふわりと。
これは十七音で編む物語。非現実的であるが故に、それは「俳句的」ではない外連味のある景色なのかもとも思いましたが、それもまた面白いのではと選ばせていただきました。
(haruwo/「麒麟」)
桜ラテ受くサコッシュを背に回し
北野小町
「noi」
2026年6月号より
桜ラテは桜の季節になるとでてくる飲み物。ピンク色で甘い。サコッシュは厚みのない軽量なショルダーバッグのこと。売り子から直接桜ラテを受け取るときに、邪魔にならないようにサコッシュを背中に回す。なんとなく野外で販売しているキッチンカーを思い浮かべた。桜ラテやサコッシュといった、俳句には新鮮な言葉をうまく使っていて感心した。一瞬のしぐさの切り取りが鮮明なのがよい。サの音の重なりに軽みとリズムがあって、この句の新しくて楽しい雰囲気によく合っている。
(千野千佳/「蒼海」)
青麦や謝らぬ子の足を拭く
館ゑみ子
「南風」
2026年7月号より
十七音にぎゅっと詰めこまれた思いに強く心を打たれました。平易な言葉なのに中七下五の省略が素敵で、「足を拭く」に至った出来事の様子が色々と想像でき、「青麦や」が活きて、この子に対して抱く気持ちが深く表現されたと思います。叱られて感じることよりも愛情を注がれて感じることの大きさは、多分もっと後になってからその子に現れてくるのだろうと思います。生きものは植物だろうと人間だろうと、愛情をこめるときっとよく育つのでしょう。
(小松敦/「海原」)
夜桜やシーソーの端地に付けて
野武和美
「橘」
2026年7月号より
シーソーに座って桜を見ている。通常、シーソーはその中央に向かって座るが、この句では逆向きに座っているのではと思った。また、二人で前後に座ることもできるが、おそらく一人だろうと読んだ。シーソーは端が地面に付かない設計になっているものもあるが、この句のシーソーは地面に付くタイプのようだ。時折、その端を見つつ、桜を眺めている。通りがかりの公園の桜だろうか。立ったまま眺めるより、もう少し落ち着いて観賞しようと思ったのかもしれない。桜がとても美しかったのだと思う。
(弦石マキ/「蒼海」)
しましまのからだとなつて滝を去る
しなだしん
「青山」
2026年6月号より
かなり興味深い表現でした。川に流れてきた水が滝となって落ちる時に幾筋もの水の様子をしましまのからだになったということでしょう。液体である水はどのような形にもなるのですね。
(慢鱚/「俳句大学」)

【次回の投稿のご案内】
◆応募締切=2026年8月5日
*対象は原則として2026年7月中に発刊された俳句結社誌・同人誌です。刊行日が締切直後の場合は、ご相談ください。
◆配信予定=2026年8月10日ごろ
◆投稿先 以下のフォームからご投稿ください。
https://ws.formzu.net/dist/S21988499/
