春の夜の自動拳銃夫人の手に狎るる 日野草城【季語=春の夜(春)】


春の夜自動拳銃コルト夫人の手に狎るる
日野草城
(『轉轍手』)


日野草城の連作「マダム コルト」の謎を追え(前編)


 日野草城の第四句集『轉轍手(てんてつしゅ)』には、「マダム コルト」と題した連作5句がある。

マダム コルト
春の夜の自動拳銃コルト夫人の手に狎るる
白き掌にコルト凛々として黒し
夫人嬋娟せんけんとして七人の敵を持つ
愛しコルト秘む必殺の弾丸たまを八つ
コルトぬロリガンにほふ乳房ちちの蔭

 コルトとは、アメリカ人サミュエル・コルトが発明した回転弾倉式の連発拳銃のこと。一句目は〈自動拳銃〉に「コルト」のルビが振られている。二句目は白と黒との対比があり、夫人の白き掌が握るコルトにエロスを感じさせる。夫人は美しくあでやかで七人の敵がいるという。七人が具体的である。夫人の愛するコルトに籠められた銃弾は八発。当時の回転式拳銃の銃弾は五発か六発が通常だったようなのだが。八発は草城の創作か。五句目の〈ロリガン〉は、フランスの香水で上流階級の女性に好まれた。夫人は眠る時もコルトを離さず、香水の匂う乳房の蔭に置いた。コルトは、男性のメタファーのようでもある。
 この連作は、映画から発想を得たものと考えられており、マダム コルトは女スパイのようなものだったのだろう。だが、具体的に何という映画であったのかは分からない。国光六四三氏のブログ「六四三の俳句覚書」によれば、作品の初出は女性誌で、「十一年後、草城はこの連作に想を得た短編小説を執筆し、総合俳誌「現代俳句」に発表した」とある。参考文献として復本一郎著『日野草城 俳句を変えた男』を記しているので、榎本氏の著書にも何か手掛かりがあるのかもしれない。
 「マダム コルト」が収められている第四句集『轉轍手』は、現代ではあまり評価されていないのだが、非常に革新的な内容である。新興俳句の担い手として都市生活やモダニズムを詠み、連作も多い。以下、日野草城が連作「マダム コルト」を詠むに至るまでの経緯を確認し、その意義について考えてみたい。

【3分で分かる日野草城(速読)】
 日野草城は、明治34年東京に生まれる。4歳の時、家族で韓国に移住し、17歳まで過ごす。京城中学校時代に父の影響で俳句に興味を持ち、「ホトトギス」に投句するようになる。大正7年に帰国し、京都市の第三高等学校に入学。18歳で「ホトトギス」に入選。当時は、一句でも入選すれば赤飯を炊いた時代である。早くから才能が認められていた。大正9年、第三高等学校にて同好者を集めた「神陵俳句会」を結成し、翌年には「京大三高俳句会」へと拡大。同句会には後輩の山口誓子も参加。さらに同句会を母体として鈴鹿野風呂らとともに俳句雑誌「京鹿子」を創刊。大正10年、京都帝国大学法学部に入学。この年、20歳にして「ホトトギス」の巻頭を飾る。大正13年23歳の時には、「ホトトギス」課題句選者に推挙される。同年、京都帝国大学を卒業し、大阪海上火災保険に入社。昭和2年、26歳の時、第一句集『花氷』を出版する。昭和4年28歳にして「ホトトギス」同人となる。昭和6年30歳の時、政江(俳号:日野妟子)と見合い結婚。翌年には長女温子(はるこ)が生まれる。昭和7年、第二句集『青芝』出版。昭和8年、水原秋桜子、山口誓子、鈴鹿野風呂、五十嵐播水らとともに新興俳句誌「京大俳句」創刊顧問となる。昭和9年、改造社から創刊された俳句総合誌「俳句研究」に結婚初夜を描いた連作「ミヤコホテル」10句を発表する。この連作は賛否を呼び、特に中村草田男が痛烈に批判し「ミヤコホテル論争」へと発展した。昭和10年34歳の時「旗艦」を創刊主宰。同年年末には、問題作「ミヤコホテル」を収録した第三句集『昨日の花』を出版。昭和11年、「ホトトギス」同人から除名される。高浜虚子に疎まれた原因は、「ミヤコホテル」を句集に収録したためとも新興俳句に傾向したからとも言われている。昭和13年に出版した第四句集『轉轍手』は、無季俳句も多く新興俳句の色が全面に出ている句集である。ところが、昭和15年、京大俳句事件が起こる。戦時下における新興俳句への治安維持法違反による言論弾圧により多くの著名俳人が検挙された。草城も検挙の対象だったのだが、「旗艦」の主宰及び俳壇から退くことで難を逃れた。また、戦火により第五句集の草稿を消失する。筆を折っていた期間は仕事に没頭し、大阪住友海上火災保険株式会社の神戸支店長にまで出世する。終戦後の昭和20年45歳の時、俳壇に復帰するも肺結核を発症。3年後には退職を余儀なくされる。昭和24年48歳の時、「青玄」を創刊主宰。同年、句集『旦暮』を出版。昭和26年50歳の時、緑内障により右目を失明。昭和28年、句集『人生の午後』を出版。昭和30年54歳の時、高浜虚子に赦されて「ホトトギス」に復帰するも翌年の昭和31年、死去。

【第一句集『花氷』ダイジェスト】
 日野草城というと「ミヤコホテル」のイメージが強いのだが、端正な写生の句も多く残している。第一句集『花氷』には歳時記で見かける句が収録されている。
   ものの種にぎればいのちひしめける
   春暁や人こそ知らね木々の雨
   ところてん煙のごとく沈みをり
   天瓜粉打てばほのかに匂ひけり
   人知れず暮るる軒端の釣荵
   初雪の忽ち松に積りけり

 「ホトトギス」にて花鳥諷詠、写生を学びつつ、新しみのある句も果敢に詠んでいた。句材の新しさだけでなく、独創的な表現や鋭利な感覚が垣間見える。
   秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙
   店の灯の明るさに買ふ風邪薬
   月さしてむらさき煙る葡萄かな
   あめつちの闇の裾なる焚火かな
   うとましく冷えてしまひぬ根深汁

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