秋風や妻の雀とわが雀 加藤楸邨【季語=秋風(秋)】


秋風や妻の雀とわが雀
加藤楸邨

 この頃は涼しい日も多く、本格的に秋である。我が家の庭にも草食の鳥たちが熟れた草の実を目当てに降り立ち始めた。

 私は掲句を、秋風のよく通る部屋で、作者と妻が並んで外を眺めている場面として想像した。何羽もの雀たちが草の間を跳ね回り、互いに鳴き交わしながら、思い思いに動いている。主体はその群れの中から、たまたま目に留まった一羽を眺めているのだろう。小さな体で草の実を啄む姿や、大きな草の茎に逆に振り回される姿、突然立ち止まってあたりを見回す姿などに親しみや面白さを覚えているのかもしれない。

 そして「妻の雀」と「わが雀」。ふと隣に目を向けると、妻は妻で別の雀を目で追っているのである。主体が見ている雀と妻が見ている雀は、同じ群れの中にいるのかもしれないし、あるいは互いに少し離れた場所にいるのかもしれない。いずれにしても、二人は同じ庭を眺め、同じ秋風に触れながら、それぞれの視線を別々の雀に向けているのである。

 ここで興味深いのは、その違いが感情を交えず淡々と描かれていることである。夫婦であれば、長い時間を共に過ごすうちに、ものの見方や感じ方が似てくることもあるだろうが、どれほど親しい間柄であっても、同じものをまったく同じように見ることはできない。人はそれぞれ異なる記憶や関心を持ち、同じ風景の中でも心に留めるものが違っていることを、妻の見ている雀を無理に確かめようとするのでもなく、自分の見ている雀を妻に教えようとするのでもない姿が朗らかに肯定していく。秋風の存在もまた、夫婦それぞれ、雀たちでさえもが同じ一瞬を生きていることを再認識させてくれる。

 私は吟行句会をするとき、掲句の感慨に通じる体験をする。同じ場所へ出かけ、同じ風景を見て、同じ時間を共にしても、いざ句会で清記された俳句を眺めてみると、参加者がそれぞれ異なるものに目を向けていたことに気づく。自分には何気なく見えていたものが、誰かにとっては句に詠みたいほど印象的なものであったり、逆に、自分が強く心を動かされたものに、ほかの人はまったく関心を示していなかったりする。

 先日決行したバーベキュー吟行句会でも、そうした視点の違いがはっきりと表れていた。グループで全く同じ状況を共有していたはずだったが、出来上がった句には、それぞれの関心がよく表れていた。炭の色や温度に注目する人がいれば、食材の焼け具合や匂いに心を留める人もいて、とても面白く思った。

 この頃は、掲句で言うところの「我が雀」を言語化して共有し、肯定し合う行為が句会なのかもしれないと考えている。他人の感動をそのまま体験できるとしたら、俳句を読むことがよりいっそう魅力的に見えてくる。

野城知里


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


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