ハイクノミカタ

パン屋の娘頬に粉つけ街薄暑 高田風人子【季語=薄暑(夏)】


パン屋の娘頬に粉つけ街薄暑

高田風人子

元気でやっていますか?
お父さんは、まあ、元気というか、なんとかやっています。

いい季節になってきましたね。今の季節がお父さんは一番好きです。
新緑がその眩しさを増し、いろいろな花の香りが風に混じってくる頃。
この小さな港町の急な坂も、汗もかかずに登ることができる。
(汗なんてもうずいぶんかいてないけどね)
坂を登って振り返った時の、港の向こうに広がるきらきら光る海が
お父さんのお気に入りの風景です。
でもこんな季節は、いつもあっというまに過ぎてしまいますね。

お父さんが育ったこの町も、造船所があったころは
まだずいぶん賑やかだったのですが、
いまはだいぶ寂しくなってしまいました。
でも、あのきれいな海の光は変わらないですね。

ところで。パン屋さんで働き始めたんですね。
小さい頃から、あなたはパンが大好きでした。
小学校に入るくらいから、バゲットはどこのパン屋がおいしい、なんて言ってたし、
好きじゃないパンはまるで食べませんでした。
まだ小さいのに、そんなに好き嫌いがあってだいじょうぶかな、
と心配したこともありましたが、今考えると、舌が繊細だったんだろうなあ。
でも、こうやってパンを作ることを仕事にしたいと思うようになったのだから、
その味覚は、きっと、これからもあなたの味方になってくれるでしょう。
朝も早いし、一日中体を使った仕事をして、
夜はパンの専門学校にも通っているのですね。
お父さんはあなたの体が心配ですが、目標を決めて、
それにむかってまっしぐらに進んでいるのですから、
あなたならきっと、このたいへんな時期も乗り越えていけるでしょう。
いつか笑って思い出せる時が来るよう、
今は全力でがんばるしかない時期なのだと思います。
とはいえ、やはりお父さんは心配性なので、
無理だと思ったらすぐやめてもいいんだよ、と言いたいところですが、
そこはぐっと我慢することにします。(もう言っているか)

怒らないで欲しいのですが、
実はお父さんはあなたが働いているパン屋さんをこっそり見に行きました。
坂の途中にあって、店を出ると港が見える、いい場所にありますね。
大きな広い窓から、お店の中いっぱいに明るい光が差し込んでいました。
お店の外、遠くから見ていたので、気づかなかったと思います。

レジの前に何人かお客さんが並んでいて、
あなたは店の奥から作業用のエプロンをつけたまま出てきて、
接客を手伝っていましたね。
にこにこ、きびきび対応していて、お父さんはすっかり感心してしまいました。
あなたの笑顔は、それを見ている人の気持ちまで明るくしてくれます。
本当にそれは、あなたにとっての、一番大切な財産だと思います。

そして正直、安心すると同時に、すこしだけさびしいような気持ちにもなりました。
いつのまにか、こんなにしっかりと成長していたのだな、と。

でも当たり前の話ですね。
お父さんが、この世からいなくなって十年。
あなたはもう九歳の子どもではないと、わかってはいるのですが。
これからの人生、きっといろんなことがあるのでしょう。
でも、あなたなら乗り越えていけます。だいじょうぶです。
季節は巡っていきますが、お父さんは変わらず、
あなたを見守っていこうと思っています。
(やめて、とか言わないでね)
とにかく、元気で。
健康第一で。

パン屋の娘頬に粉つけ街薄暑
高田風人子

※気になる一句から膨らむストーリーを書いていきます。作者の人生、作句の背景とは、全く関係がありません。その点ご理解、ご容赦いただけると幸いです。

小助川駒介


【執筆者プロフィール】
小助川駒介(こすけがわ・こますけ)
『玉藻』同人。第三回星野立子賞受賞。
星野椿先生主催の超結社句会「二階堂句会」の司会進行係。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年5月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔1〕今年の蠅叩去年の蠅叩 山口昭男
>>〔2〕本の背は金の文字押し胡麻の花 田中裕明

【2024年5月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔5〕たくさんのお尻の並ぶ汐干かな 杉原祐之
>>〔6〕捩花の誤解ねぢれて空は青 細谷喨々
>>〔7〕主われを愛すと歌ふ新樹かな 利普苑るな

【2024年5月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔4〕一つづつ包むパイ皮春惜しむ 代田青鳥
>>〔5〕しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る 富安風生

【2024年4月の火曜日☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔119〕初花や竹の奥より朝日かげ    川端茅舎
>>〔120〕東風を負ひ東風にむかひて相離る   三宅清三郎
>>〔121〕朝寝楽し障子と壺と白ければ   三宅清三郎
>>〔122〕春惜しみつゝ蝶々におくれゆく   三宅清三郎
>>〔123〕わが家の見えて日ねもす蝶の野良 佐藤念腹

【2024年4月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔1〕麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
>>〔2〕白魚の目に哀願の二つ三つ 田村葉
>>〔3〕無駄足も無駄骨もある苗木市 仲寒蟬
>>〔4〕飛んでゐる蝶にいつより蜂の影 中西夕紀

【2024年4月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔1〕なにがなし善きこと言はな復活祭 野澤節子
>>〔2〕春菊や料理教室みな男 仲谷あきら
>>〔3〕春の夢魚からもらふ首飾り 井上たま子

【2024年4月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔1〕なにがなし善きこと言はな復活祭 野澤節子
>>〔2〕春菊や料理教室みな男 仲谷あきら

【2024年3月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】
>>〔14〕芹と名がつく賑やかな娘が走る 中村梨々
>>〔15〕一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
>>〔16〕牡丹ていっくに蕪村ずること二三片 加藤郁乎

【2024年3月の水曜日☆山岸由佳のバックナンバー】
>>〔5〕唐太の天ぞ垂れたり鰊群来 山口誓子
>>〔6〕少女才長け鶯の鳴き真似する  三橋鷹女
>>〔7〕金色の種まき赤児がささやくよ  寺田京子

【2024年3月の木曜日☆板倉ケンタのバックナンバー】
>>〔6〕祈るべき天と思えど天の病む 石牟礼道子
>>〔7〕吾も春の野に下りたてば紫に 星野立子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 鹿や鶏の切紙下げる思案かな 飯島晴子
  2. カンバスの余白八月十五日 神野紗希【季語=終戦記念日(秋)】
  3. 【祝1周年】ハイクノミカタ season1 【2020.10-2…
  4. 愛断たむこころ一途に野分中 鷲谷七菜子【季語=野分(秋)】
  5. 妻となる人五月の波に近づきぬ 田島健一【季語=五月(夏)】
  6. ぬばたまの夜やひと触れし髪洗ふ 坂本宮尾【季語=髪洗ふ(夏)】
  7. 遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女【季語=星まつり(秋)】
  8. 大いなる春を惜しみつ家に在り 星野立子【季語=春惜しむ(春)】

おすすめ記事

  1. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2022年10月分】
  2. 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(3)
  3. 銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋 閒石【季語=ヒヤシンス(春)】
  4. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第30回】暗峠と橋閒石
  5. 「ハイブリッド句会」の勧め!
  6. ポメラニアンすごい不倫の話きく 長嶋有
  7. 石よりも固くなりたき新松子 後藤比奈夫【季語=新松子(秋)】
  8. 猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮【季語=椎茸(秋)】
  9. 【春の季語】蜃気楼
  10. 春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ 河野多希女【季語=春の雪(春)】

Pickup記事

  1. 【冬の季語】枯木立
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第27回】安里琉太
  3. 黄金週間屋上に鳥居ひとつ 松本てふこ【季語=黄金週間(夏)】
  4. 【夏の季語】蝸牛
  5. 七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地【季語=七月(夏)】
  6. さくら仰ぎて雨男雨女 山上樹実雄【季語=桜(春)】
  7. 【春の季語】葱の花
  8. 【卵の俳句】
  9. たくさんのお尻の並ぶ汐干かな 杉原祐之【季語=汐干(春)】
  10. 秋櫻子の足あと【第4回】谷岡健彦
PAGE TOP