ハイクノミカタ

くれなゐの花には季なし枕もと 石川淳【無季】


くれなゐの花には季なし枕もと

石川淳
『現代俳句協会編『昭和俳句作品年表戦後編』昭和二十七年より)

前回の久保田万太郎に続き、『昭和俳句作品年表戦後編』の昭和27年から。掲句もいわゆる文人俳句ということになる。戦後文学史上では太宰治や坂口安吾らとともに「無頼派」と呼ばれる作家の一人だった石川淳の仕事をここでこまごま紹介する必要はないだろうが、「夷斎」と号し連句を詠む人であったことはいかほど知られたことなのかどうか。

「連句年鑑昭和63年版」(注)の福井隆秀の評論「石川淳における連句とは」によると、掲句は石川淳が石田波郷と飲んだ時に酔った勢いで詠んだ波郷への挨拶句ということらしい。石川はこれを契機に歌仙にして発表したともある(詳細は同評論参照)。しかし、波郷云々を抜いて掲句をテクストのみで読むと、「〈くれなゐの花〉というものには季節感が存在しないのだ」と言っているように見え、発句としても挨拶句としてもヘンであり、あえて波郷にこのような無季の句を詠むというのはどこかひねくれているような印象を持たないこともない。そこが無頼派っぽいということなのかもしれない。

一方で、そういうことではないような気もする。たとえば、「枕もと」は結核で闘病し長く病床にあった波郷のことを思ってのことで、「くれなゐの花」は病室の花瓶に生けられたもの。つまり、病院の閉じられた世界の中にいたころは、さぞや季節感も感じられなかったでしょう(が、今はそこから出られこうやって飲みながら話せて良かった)、というようなことを含意するととれなくもない。そう考えれば挨拶句として一応成立はしているだろう。それでも残る問題は敢えての無季であることだけれど、挨拶句で季をおくべき対象を無季であるとわざわざ言語化することの意味を考える時、この「くれなゐの花」とは、実は波郷の吐いた血の暗喩だったのではないかと思うが、どうだろうか。

注:連句協会は平成までの年鑑をpdfデータで公開している。https://renku-kyokai.net/

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


昭和俳句作品年表 戦後篇

橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

>>〔125〕ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 久保田万太郎
>>〔124〕ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
>>〔123〕自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明
>>〔122〕ものゝふの掟はしらず蜆汁   秦夕美
>>〔121〕灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟
>>〔120〕冬深し柱の中の波の音     長谷川櫂
>>〔119〕よもに打薺もしどろもどろ哉    芭蕉
>>〔118〕二十世紀なり列国に御慶申す也   尾崎紅葉
>>〔117〕ぽつぺんを吹くたび変はる海の色  藺草慶子
>>〔116〕集いて別れのヨオーッと一本締め 雪か 池田澄子
>>〔115〕つひに吾れも枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
>>〔114〕完璧なメドベージェワが洟を擤む   秋尾敏
>>〔113〕本の山くづれて遠き海に鮫      小澤實
>>〔112〕とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
>>〔111〕冬枯や熊祭る子の蝦夷錦      正岡子規
>>〔110〕夢に夢見て蒲団の外に出す腕よ   桑原三郎
>>〔109〕手を入れてみたき帚木紅葉かな   大石悦子
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>>〔106〕古池や芭蕉飛こむ水の音        仙厓
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>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし    吉岡禅寺洞
>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父

>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
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>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
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>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
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>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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