ハイクノミカタ

秋海棠西瓜の色に咲にけり 松尾芭蕉【季語=秋海棠(秋)】


秋海棠西瓜の色に咲にけり

松尾芭蕉
角川ソフィア文庫『芭蕉全句集』


秋海棠の花の色を西瓜の色のようだという芭蕉の句。まず引っかかったのは、秋海棠の花の色って、西瓜に似てたっけ?という部分。そして、そもそも何の趣向があって芭蕉がこんな句を詠んだのか不思議なくらい平凡に見える。

実は、引用書の解説を読むとわかるのだけれども、秋海棠も西瓜も江戸初期の渡来で、芭蕉の頃にはまだ市井に馴染みの薄い植物であったらしい。すなわち芭蕉は、あえて新奇な花の色の表現に、新奇な野菜の実の色を合わせて見せた、ということのようなのだ。言い換えると、一般に流通する言語体系に共通イメージの存在しないとある対象を表現するのに、普通なら皆が知っている何かで置き換えようとするところを、さらに分からないもので置き換えて見せている、ということになる。なんというか、芭蕉はしれっとトボけたことをやっているのだ。なんだか、ボケの上にボケを重ね、ボケ倒すことそのものにおかしみが湧いてくる落語に少し似ている。そうやってボケられた読者は、ああ、はいはい西瓜の色ね、という風でしれっと知ったかぶりをして済ませたりしたのだろうか。そういえば『吾輩は猫である』で、「トチメンボー」というありもしない料理を、さもあるかの如く客も店員もとぼけて会話が続く滑稽な場面があるのだけれど、ちょっとそんなことも連想してしまう。ところでその「トチメンボー」は、日本派の俳人安藤橡面坊に借りたもので、その橡面坊は先週金曜日に登場した山本梅史の師だったりする。余談めくが、芭蕉のこの句も「トチメンボー」も、言葉に言葉の指し示すこと以外の要素が密に絡み合う江戸の文芸の色が濃いように思う。

それにしても、実際の所、秋海棠の花の色って西瓜の色に似ているだろうか?それぞれに昔のはいまのと違うかもしれないけれども、今のものはあまり似ている気がしない。もしかしたら、両方を知る人々を相手にした挨拶句として詠まれているかもしれないとは思ったりしたのだけれど。

橋本直


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【橋本直のバックナンバー】

>>〔104〕幾千代も散るは美し明日は三越   攝津幸彦
>>〔103〕海に出て綿菓子買えるところなし   大高翔
>>〔102〕駅蕎麦の旨くなりゆく秋の風     大牧広
>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし    吉岡禅寺洞
>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父

>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日   堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
>>〔95〕利根川のふるきみなとの蓮かな  水原秋櫻子
>>〔94〕夏痩せて瞳に塹壕をゑがき得ざる  三橋鷹女
>>〔93〕すばらしい乳房だ蚊が居る     尾崎放哉
>>〔92〕方舟へ行く一本道の闇      上野ちづこ
>>〔91〕とらが雨など軽んじてぬれにけり    一茶
>>〔90〕骨拾ふ喉の渇きや沖縄忌      中村阪子
>>〔89〕而して蕃茄の酸味口にあり     嶋田青峰
>>〔88〕洗顔のあとに夜明やほととぎす   森賀まり
>>〔87〕六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡子規
>>〔86〕梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎
>>〔85〕麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ 長谷川素逝
>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
>>〔83〕体内の水傾けてガラス切る      須藤徹
>>〔82〕湖の水かたふけて田植かな     高井几董
>>〔81〕スタールビー海溝を曳く琴騒の   八木三日女

>>〔80〕鯛の眼の高慢主婦を黙らせる    殿村菟絲子
>>〔79〕あたゝかな雨が降るなり枯葎     正岡子規
>>〔78〕目つぶりて春を耳嚙む処女同志     高篤三
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり     橋閒石 
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔       川端茅舎  
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥       高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
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>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
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>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
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>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
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>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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