葛切を食べて賢くなりしかな
今井杏太郎
学生にしかできない旅の形のひとつが青春18きっぷである。大人でも利用は可能だが、寝台列車ではなく鈍行列車を1泊に替えるなどということは体力がないとできない。体力が気にならなかった頃はそういう旅の形がむしろ楽しかった。それが俳句仲間だったら一晩中句会をしていたのだろうと考えると学生時代に俳句に出会えた皆さんを羨んでしまうので考えないようにしている。
平成2年の夏、演劇サークルの仲間と青春18きっぷで初めての奈良旅行に行った。合宿所のような宿。食堂に置いてある醤油は甘く、醤油さしには「しょゆう」と平仮名で書いてあった。東大寺では大仏殿の柱の穴くぐりに並んでいる間に仲間たちとはぐれた。走り回ってみても全く見つからない…。スマホのなかった当時は連絡のとりようがなく、宿に戻ったところで伝言を受け取った。そんなすれ違いは全然珍しくなかった。迷子は別として。
大人になっても迷子になるときはなるものだ。マップなしではもう無理。
葛切を食べて賢くなりしかな
賢くなったような気分ではない。賢くなったことは確定で、「なりしかな」と感嘆までしているのだ。それはもちろん葛切のある成分が脳に良い作用をもたらすといったことではない(実際あるとしても)。何をもって賢いとするのか、作者の哲学がここに集約されている。
江戸時代には既に庶民の間で親しまれていた葛切は比較的新しい季語のようで『虚子編 新歳時記 増訂版』でも立項されていない。『風生編新歳時記』では葛湯の傍題となっている。京都の老舗和菓子店「鍵善良房(かぎぜんよしふさ)」で戦後デザートとして出すようになったのが発祥との説をとると歳時記採用可否の経緯にも納得がいくが、これについては調べきれず。歳時記には葛切の作り方が載っている。
奈良旅行の際には京都も廻った。暑さに耐えかねて清水寺付近の坂の途中にある甘味屋に入った。どうやらその店では葛切が有名らしいというので頼んでみたところ、絶品であった。食感も味も火照った体に染み渡った感覚は今でも忘れない。それなのに店の名前は覚えておらず…。地図や写真で雰囲気を察するに「かさぎ屋」が一番近いように思われる。竹久夢二もお気に入りだったとか。
火照った頭がしゃきっとする感覚を「賢くなりし」と言い表すということ。初めて葛切を食べた時を思いだし、理屈抜きで句の世界が自分の中に結ばれた。直に感覚に訴えてくるものがあったのだ。
あの経験を上回る葛切には未だ出会っていない。
『海鳴り星』(2000年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
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>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏 堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】