ハイクノミカタ

つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子【季語=燕(春)】


つばめつばめ泥が好きなる燕かな)

細見綾子

今年も燕が来た。留学先から帰国してきた息子を迎えるため早朝の成田に行った帰りのことだった。昨年の巣はすっかりなくなってしまっていて真っ新な状態から作り直している。泥の質が劣化しているのではないかと少し心配になる。毎年同じ場所で、本当に忘れないのだなあ。感心感心。

燕は外敵から身を守るため人の出入りが多い場所を好む。その中でも巣を壊さないような優しい人がいる家の軒先を選ぶ。人間との共生だ。実際、生活圏で見かける燕の巣の下には段ボールなどが敷いてあって完全なる歓迎体勢。商業施設では糞受けを設置しているところも珍しくない。燕は穀物を食べず害虫を捕らえてくれるので人間にとっても益鳥なのだ。燕の巣は幸運のしるしとされ大切にされることが多いのはその名残か。純粋に燕を愛して守る努力をしている人もたくさんいる。

彼らが巣を作る場所を決めるのには大きな庇がついているなどはっきりとした良い理由があるはずである。せっかくの巣を壊してしまう家もあるからある意味優しさもはっきりとした理由だ。燕にとっては巣を作るのは複数の命を預ける住み処を作る一大事業なのだ。そして燕が使いこなす言語には、鳴き声だけではなく巣にまつわる記憶も含まれているはずである。巣の場所そのものが言語なのだ。

 つばめつばめ泥が好きなる燕かな

素直に巣作りを詠んだ句と鑑賞したい。泥はいずれ自分の家を構成するのだから大好きなはずである。巣立った時の匂いが蘇ってくる時間が思われる。その泥を大切に、刻みつけるように巣の姿へと形作っていく。戯れているというよりは泥を愛おしんでいるかのようである。

恥ずかしながらこの句を暗唱する時、長いこと中七を「泥の好きなる」にしてしまっていた。「が」を習慣的に避けてしまっていたらしい。しかし、「泥の」では取り澄ましていて好きの熱が低い。「泥が」とすると本能で愛してしまっている感じがする。濁音が砂粒のようであり、無邪気な燕のありようが表現として立ち上がる。

燕は独特の鳴き声で存在を知らせてくれるからこれが初燕と認識しやすい。「ボクはここにいるよ!気付いて!」と呼ばれているかのようだ。そんな燕にこちらこそ気付いてほしくて必死に目で追うのだが、燕たちは認識してくれているだろうか。

いずれにしても正解はわかりえないので「呼んでくれてありがとう!気づいたよ!」と心の中で答えては幸せにひたっているのである。

『桃は八重』(1938年刊)所収。

※句集では2度目の「つばめ」は踊り字が使われています。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔45〕鳴きし亀誰も聞いてはをらざりし 後藤比奈夫
>>〔44〕まだ固き教科書めくる桜かな  黒澤麻生子
>>〔43〕後輩のデートに出会ふ四月馬鹿  杉原祐之
>>〔42〕春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一
>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり   河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り    夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む  斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 多国籍香水六時六本木 佐川盟子【季語=香水(夏)】
  2. シャボン玉吹く何様のような顔 斉田仁【季語=石鹸玉(春)】
  3. 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規【季語=柿(秋)】
  4. からたちの花のほそみち金魚売 後藤夜半【季語=金魚売(夏)】
  5. あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢【季語=紫陽花(夏)】
  6. 雪掻きをしつつハヌカを寿ぎぬ 朗善千津【季語=雪掻(冬)】
  7. 筍にくらき畳の敷かれあり 飯島晴子【季語=筍(夏)】
  8. 兎の目よりもムンクの嫉妬の目 森田智子【季語=兎(冬)】

おすすめ記事

  1. 老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊【季語=茸(秋)】
  2. 【春の季語】雛
  3. 「パリ子育て俳句さんぽ」【3月26日配信分】
  4. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第65回】 福岡と竹下しづの女
  5. 「野崎海芋のたべる歳時記」いくらの醤油漬け
  6. 神保町に銀漢亭があったころ【第4回】菊田一平
  7. 忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介【季語=忘年会(冬)】
  8. 【春の季語】野に遊ぶ
  9. 【冬の季語】冬の月
  10. あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎【季語=寒し(冬)】

Pickup記事

  1. 【秋の季語】菊/菊の花 白菊 黄菊、大菊、小菊、初菊、厚物咲、懸崖菊、菊畑
  2. 八月は常なる月ぞ耐へしのべ 八田木枯【季語=八月(秋)】
  3. 向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一【季語=飛蝗(秋)】
  4. 屋根替の屋根に鎌刺し餉へ下りぬ 大熊光汰【季語=屋根替(春)】
  5. 婚約とは二人で虹を見る約束 山口優夢【季語=虹(夏)】
  6. 冴返るまだ粗玉の詩句抱き 上田五千石【季語=冴返る(春)】
  7. 【冬の季語】梅早し
  8. 一年の颯と過ぎたる障子かな 下坂速穂【季語=障子(冬)】
  9. 馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
  10. 【書評】日下野由季 第2句集『馥郁』(ふらんす堂、2018年)
PAGE TOP