ハイクノミカタ

虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会 飴山實【季語=初句会(新年)】


虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会)

飴山實

 句会の席で、ほとんどの方の本名を把握していない。苗字が頼みの綱だが、なかにはその苗字すら俳号にしている方もいる。それについて「句会は特別」という思いを抱きがちだが、人の名前を把握していないことは現代においてはさほど特殊なことではない。友人、同僚のフルネームを言えるのは何人くらいになるだろうか。勤務先であれば姓がわかっても名がわからない。辛うじてわかったとして、字も読みもわかるのは相当古い仲間である。友人もだいたい姓か名のどちらかである。もはや覚えることも難しいので、確認手段のない人にフルネームの本名を聞いてしまうと「しまった…覚えられないのに…」と後悔したりする。

 固定電話しか通信手段がなかった頃は相手の姓名はもちろんのこと電話番号、家族構成、更にはだいたいの住所まで把握していた。昭和生まれにとっては特殊な経験ではないはずだ。

 年賀状を書かなくなったことが拍車をかけた。筆者は今でも宛先を手書きしているが、自分の俳号から相手の俳号に出す枚数が増えてきたため住所やメールアドレスはわかっても本名は知らない人の割合が増える一方である。

 そんな世の中になってきたが、名前を間違えるのだけはなんとしても避けたいものだ。

虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会

 本名を知らない人たちと初句会。句会で見せる顔は師や句友に見せる顔であり、本音とは限らない。その本音はいくら包み隠しても俳句に出てしまっているのだが…。

 「虚仮」は中身と外面が違うこと、真実ではないという意味の仏教用語。「人をコケにして!」の「コケ(=虚仮)」である。言葉の意味に忠実に解釈すれば「嘘の世」ということになる。欺瞞に満ちたこの世でかりそめの顔を突き合わせて新春を寿ぎつつ初句会に勤しむ姿を冷静に観察している。

 嘘と言ってしまえばそうなのだが、そもそもこの世の中は嘘だらけ。嘘をつくつもりがなくても正しい表現が出来ていなかったり、読み手側の読解力に問題があったり、未必の故意による嘘は相当あふれているはずである。悪意のある嘘もあるかもしれないが、良い気持ちになってもらうためのお世辞だって嘘といえないことはない。1の長所を10であるかのように表現することが嘘であり罪であるなら、その清廉さが求められる世界は居心地が悪い。

 掲句は嘘を喜んでいるからこそ「初句会」と思いが同調した。それを「虚仮」と表現したことによって新年の季語が持つめでたさを損なうことなく作品に昇華させたのだ。

『花浴び』(1995年刊)所収

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎【季語=おでん(冬)】
  2. 湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり【季語=花曇(春)】
  3. 跳ぶ時の内股しろき蟇 能村登四郎【季語=蟇(夏)】
  4. みどり児のゐて冬瀧の見える家 飯島晴子【季語=冬瀧(冬)】
  5. とれたてのアスパラガスのやうな彼 山田弘子【季語=アスパラガス(…
  6. エッフェル塔見ゆる小部屋に雛飾り 柳田静爾楼【季語=雛飾り(春)…
  7. 眼前にある花の句とその花と 田中裕明【季語=花(春)】 
  8. 冬蟹に尿ればどつと裏返る 只野柯舟【季語=冬蟹(冬)】

おすすめ記事

  1. 菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴【季語=菊人形(秋)】
  2. 妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
  3. 趣味と写真と、ときどき俳句と【#07】「何となく」の読書、シャッター
  4. 【新年の季語】雑煮
  5. 農薬の粉溶け残る大西日 井上さち【季語=大西日(夏)】
  6. 風邪ごもりかくし置きたる写真見る     安田蚊杖【季語=風邪籠(冬)】
  7. 【冬の季語】聖樹
  8. 蛤の吐いたやうなる港かな 正岡子規【季語=蛤(春)】
  9. もう逢わぬ距りは花野にも似て 澁谷道【季語=花野(秋)】
  10. 【書評】三島広志 第1句集『天職』(角川書店、2020年)

Pickup記事

  1. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第35回】英彦山と杉田久女
  2. 【春の季語】二月尽
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第36回】内村恭子
  4. 馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
  5. 海外のニュースの河馬が泣いていた 木田智美【無季】
  6. 巡査つと来てラムネ瓶さかしまに 高濱虚子【季語=ラムネ(夏)】
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第27回】安里琉太
  8. 【秋の季語】椎茸
  9. 東京の白き夜空や夏の果 清水右子【季語=夏の果(夏)】
  10. 【秋の季語】檸檬
PAGE TOP