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秋灯の街忘るまじ忘るらむ 髙柳克弘【季語=秋灯(秋)】

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秋灯の街忘るまじ忘るらむ)

髙柳克弘


 「赤いスイートピー」の歌詞を理解することは恋の煌めきを知る第一歩だった。

  〽何故知りあった日から半年すぎても あなたって手も握らない

小学生だった筆者には「手を握る」とはおててをつなぐことと変わりがなく、彼との距離に揺れる機微も知らない。手を握らないことを悲しがる意味がわからなかった。

  〽何故あなたが時計をチラッと見るたび 泣きそうな気分になるの?

 「泣きそうな気分になる」の主語が「あなた」だと思い込み、相手の「泣きそうな気分」をどうやってわかったのかが不思議だった。主語が自分に変わっている可能性も考えたが、そもそも時計を見て泣きそうな気分になる理由がわからなかった。

 なかなか手を握ってくれないこと、時計をチラッと見るのに気付いてしまうこと。恋の始まりの微妙な心理を鮮やかに描いている一つの理想形であることを知ったのは何年も後のことだった。理解できなかったその時間が空虚なものに思えた。

 主語の省略は詩を綴る上で不可避であり効果的だが、主語を明示しないまま途中で変えることは特に高度な技術を要する。時計の件は筆者の経験のなさの問題でしかない。上記それぞれの理由がわかった時、「春色の汽車」の春色は光を放ち、同時に「主語が変わってた!」という感想を抱いたものである。

  秋灯の街忘るまじ忘るらむ  髙柳克弘

 俳句の主語は基本的に「私」である。その前提を打ち破って十七文字の中で主語を変え、かつ読み手にわからせるにはやはり高度な技術が必要だ。作者はもちろんそこまでの技術は持っているが、掲句はその技術を駆使したというよりは頭の中に思い浮かべた二人の人物がそれぞれ勝手に動き出したように感じられる。小説家や脚本家にそういうことはあるらしいが、俳句でそれが起こり、作品に落し込むのは誰にでもできることではない。

 一人目の人物(=作者)は打ち消し意志の「まじ」によって秋灯のこの街を忘れるまいと心に決めていることを語る。二人目の人物は現在推量の「らむ」によってどこか遠くにいて今頃忘れてしまっているのだろうと作者が推量していることがわかる。「秋灯」であれば意味が破綻するが、「秋灯の街」としたことで世界が広がる。二人目は作者の別人格とも考えられる。「忘れないと思っている今この瞬間にも自分は忘れていっているのだろう」という特殊な感覚だ。だとしても二人目は別人格なのだから主語は変わっている。

 「忘るまじ」は「忘る」の始まりとも考えられる。だがこのように句に残せば忘れてもまた思い出す日がくるのだ。

『涼しき無』(2022年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


髙柳克弘さんの第三句集『涼しき無』はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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